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松下松蔵翁のこと

ブックオフに、塩谷信男先生の「宇宙の無限力の活用」があった。
塩谷先生は、今年103歳になられる元医者で、60歳の頃完成し、90歳の頃から世に提唱された、正心調息法は私が毎日行っている腹式呼吸である。これは買うしかない。しかも、単行本と文庫本が特価本コーナーにあったので、2冊とも購入した。
 「宇宙の無限力の活用」の中で、塩谷先生が日本最高のヒーラーとも言われる松下松蔵翁のことを『松下松蔵と私』にこう語られている。(一部省略)

「私は昭和六年五月に東京渋谷に内科医院を開設した。
表の看板に専門科名につづけて生命線研究所と記入した。
手のひらから放射される力を生命線と名づけ、西洋医学の治療のほかに、生命線を患部に当てる治療法を行っていた。
ある日の婦人倶楽部の記者が、この治療法について取材に来た。
取材の後、この記者が
『先生の方法も効果があがっているようですが、私はもっと素晴らしい治療をしている人を知っていますよ。
 熊本の片田舎に住んでいる老人です。
 素晴らしい治病力の持ち主で、土地の人は親神様と尊敬しています。
 東京からも何さん何さんが行って治してもらっています』
 塩谷先生は、東京の二人を訪ねて、実際の様子を聞いた。
そして一週間休診の札を病院に出して、熊本に向った。
 大牟田の先の長洲という駅を降りると「神様行き」という表示のバスが待っていた。
塩谷先生はそのバスに乗った。
バスは田舎道をゴトゴト行き、ある農家の庭先に止まった。
一同バスから降り縁側から座敷に入って列を作って座る。
まもなく二階から白衣の老人が降りてきて神棚の前に横向きに座った。
端の人から順々に前に出て、神棚に両手をついて頭をつける。
すると老人は横から見ながらコックリコックリと二、三度頭を上げ下げして、『ヨカ』と一言言う。
治療はそれで終わり。
何がしかのお賽銭を箱に入れ下がる。

 塩谷先生の番が来て、進み出て、神前に頭を下げる。
ところが「ヨカ」という言葉がなかなか出ない。
松下翁は、塩谷先生の右手を持ち上げて、
「アンタハンこの手にカミノケ(神の気)がついていなはるばな、この手当てると病気治るばな。」と言われた。
「はい、この手を当てて病気を治しています。」
「二、三日おんなはれ。」
そして、塩谷先生は、その夜から泊って研究した。
松下翁の治癒ぶりは驚異的だった。
翁の治療の時、塩谷先生は傍らに座り患者を診断し、それから翁が治療する。
そして塩谷先生の診断と翁の見立てを照合する。
すると塩谷先生が診断で見つけた病気は全部翁に分かっていた。
それどころか見落としたところまで分かっていた。
翁の診断は一目見るだけで、治療は二度三度コクリコクリとやるだけだ。
それで、苦痛は除かれ、病気も治っている。

「この人な、右の肋膜に水溜まっているがな、
 何ぼ溜まっているかわからっしゃるか。」
「ええ、右の肋膜炎で、水が溜まっていますが、分量は分かりません。」
「三合二勺たまっている。いま水とるがな。」
そして二度三度コクリコクリとやる。ヨカと言う。
診断すると、もう水は無くなっている。
この調子で熱をとり、松葉杖で来た人は杖がいらなくなり、背負われてきた人は自分で歩いて帰れるようになる。
泊って治療している人は難病で肺結核とハンセン氏病で、どの患者も快方に向っているということだった。」

 松下翁は「忠・孝・敬神・崇祖」、なかでも「親孝行」を大事にされた。
昭和二年の信者への言葉でこう示された。

「どんな人でも親の恩を受けない者はない。
自分の体も魂もみな親から得たもので、しかも生長し成人するまで、その世話になる。
親の恩は山より高く海より深い。
大恩ある親に孝を尽すことができない人が、朋友に尽し、社会に尽し、国家に尽くす事がどうしてできよう。
孝は百行の始めで人道の基礎である。
どんな人も孝道を人間道徳の根本と心得なければならない。
親より祖先、祖先より天地へつながっている。
人は天地の分霊を頂き、親あってこそ我が身が存在する。
親孝行は人にとって絶対の道で、人道の根源は至孝にある。
私がこの様な神通力を得たのも、ひとえに孝行の賜物である。」

「元来人間は親あってこそ自分の体がある。
生まれたのも、育ったのも皆、親の恩である。
親あっての自分で、わが身が大切なら、親はなおさら大切で、ことに親の子に対する愛情は無限である。
それを思うなら、どうして親を大切に思わずにいられよう。
親孝行が人間道の根本だ。」(「神書」松下松蔵翁)

○『主婦の友』昭和6年11月号抜粋

・「長洲の生神様は世界を見透すことができる。」
 「それに、一度声を掛ければ、盲は眼を開き、躄者は起って歩く。その奇跡は基督以上だ。」・・・と。
記者の聴覚は異常に緊張しました。
長洲とは何処?
生神様とは何者?
噂の如き奇跡が、科学文明の発達したこの現実の世界に、私達の眼前で、果たして展開されるものでせうか?!

・「まあ、行って御覧なさい。百聞は一見に如かずですよ」と、生神様の情報を教えたのは、元九州毎日新聞社長の澤井元善氏。
そして訪ねたのは、九州本線長洲駅の南約1里の地。
事前の取材で分かっていたのは、松下松蔵氏は僻村に生まれ、教育も受けず字も読めない59歳の男性であること。
子供の頃から病身であったため、信仰と孝養を唯一の楽しみとしてきたこと。それが、大正8年10月7日の夕方、突如吐血しそのまま昏倒。
絶息するかと思われたが一命を取り止めたその瞬間から、
「身体には異常な霊力が漲り、眼は不思議に物を見透し、耳は神霊の声を聞く、謂ゆる神通力を得るに至ったそうです」

・山陽線を下関駅で下りて、更に門司から鹿児島本線に乗り、大牟田から二つ目の長洲駅に下車すれば、駅前には「神様行」と記された乗合自動車が待っています。平凡な稲田の間を馳せること二十分ばかりにして、海辺近くの小村、上沖洲の神館へ、車は横着けにされました

・ぼうぼうたる頭髪と鬚髯、力に光る二つの眼、鼻は隆く、眉は秀で、赤銅色の顔には幾條かの深い皺が刻まれ、眉間にある一点の大豆粒大の疣も、宛ら仏の尊像を見るが如くに異彩を放っています。身長五尺六七寸もあろうか、その骨格の頑丈さ

・さて、記者は特に優待されて、極く最初に呼び出されました。
暫く、それはニ三分間も叩頭した時分でせうか、先生の首の動きがピタリと止まると、「あなたは十年ほど前から××が悪いぞな。治してあげるが、根治するにはニ三日かかる。」
病気の図星を指されたのには、全く驚きました

・「では私の子供、長男と長女の二人に病気があれば、その場所をお示しください。」
 「兄の方は左肺の裏の方が弱っている。妹の方は、お腹が弱いわい。」

・先生 「儂は眼前のものでも、千里先のものでも、同じように治すことができる。暗示では、さうはゆくまい。あれは神の力を見せているのだ。
疑ひ深い人間を、手引きする方法なのだ。
だから、それによって神を敬ひ、人間道を反省しないものは、一時は治っても、直ぐ再発する。」
記者 「よく解りました。まだ何か外に、教へて頂くところがありませうか」
先生 「あなたは神の招きで来た人だ。
何も彼もよく解っているから、もういいだろう。
精々、肉類は食わぬようにするがいいよ。
儂等は朝は味噌汁一杯、昼は御飯一椀と野菜一皿、それ以外に何も食わないで、これだけ働ける。
今の人間は食い過ぎているわい。
獣の肉を食うと、心臓が弱る。血が濁る。
魂の穢れを増すばかりじゃ。
獣類、鳥類、虫類の怨みも恐ろしいからな・・・・」

○昭和6年 ある雑誌記者の言
(略)
(記者)
どうすれば病気が治り、あるいは、病気にかからずにすむでしょうか。
(松下翁)
なかなか質問は急処を突くのう、問題はそこじゃ。
人間には、神の定め給うた人間道がある。
忠、孝、敬神、崇祖の4つがそれだ。
この4つさえ正しく行うなら、悪因縁のない人間なら、断じて病気をするものでない。
よしんば先祖の罪の累積を背負うて生まれて来ても、重荷は、神の助けで軽くして貰えよう。
特にこの中でも孝行は大切で、親孝行する程の者は、君にも忠義であり、祖先を崇び、神を敬うに相違ない。
実に孝は百行の本じゃからのう。

○ある信者の話

私は、43歳の時、大病にかかり、長い間、幾人かの医師を患わせて、一命はとりとめましたが、動きも自由にならず、半病人の状態でした。
人の勧めでいよいよ決心してお参りしたのは、大正15年の春、発病後3年目で、長洲駅から人力車で、一里ばかりの道中、腰の痛みは耐えられない程でした。
そして行き着いたところは、お宮でも何でもなく、ただのささやかな農家で、しずが伏屋にふさわしいところ、
一室の正面には、神棚があって、赤い旗、青い旗等が飾ってあった様に覚えて居ます。
その前に白衣をつけ、笏を持った御方が一人坐って居られ、隅の方には、お参りの人らしい方が数人居り、次々と白衣の方に呼ばれて、それぞれの悪い所を御指示頂いた上、いろいろと御注意や御手数を頂いて居ました。

ある人には、
「貴方の家には、神棚も仏壇も無い。神様に手を合わせたことはない。そんなことでは、今、貴方の病気を治して上げても、直ぐ戻る。これから先祖の祭りをするかな。」
と祖神(おやがみ)様は申され、
「私は、次男ですから、それは、本家で致して居ります。」とその人が申し上げますと、
「たとえ次男でも、まさか木の股から生まれたのではあるまい。兄弟は、幾らあっても、皆、それぞれ先祖を祭らなければならぬ。」
と御諭しになり、それからその人の病気を治されました。
さて、神棚も仏壇も持たない私には、何と云われるであろうかと居りますと、
名も聞かず、所も聞かず、いきなり

「おばさんは、どこが悪いか。」

とおっしゃいますから、

「腰です」

と申し上げますと、

「羽織を脱いで、俯伏せになれ。」

と申されました。

その通りにして、私は、真の神さまが、この人を通じて、私をお治し下さるのでなかったら、治らなくてもよろしゅうございますと、心の中で、念じました。

「ここだな。」

と私の痛いところを着物の上から押さえて、御手の笏を以って、いやと云う程、三つばかり御打ちになりました。
こんなことをしてもよいかと思って居りますと、

「起きて見なさい。」

とおっしゃいますので、起きて見ると、何と不思議、痛みは拭ったように消えてしまっています、寝かえりも自由にできました。

「あんたはそれでよい。」

と、云われ、次の人をお呼びになって、一向に何の御言葉もございません。
下座に下って、待って居りましても、何の御言葉も無いので、教えられて来たとおりに、わずかの御初穂をそっと置いて退出しようとしました。

「おばさん、一寸待ちなさい。」

と申されるので、何事かと思いましたら、

「貴方の拝んで居る神様は、それでよいが、先祖を祭らにゃいかん。」

と唯、それだけの御言葉でした。

昭和6年1月2日

○「神ながらの道」は、神仏を拝むより、親孝行の実行することを、大神様は、お喜びになるのである。

○人の為すべき道は、忠孝敬神崇祖の行いを実践することで、この他に、神様の御心に適うものはない。

その135 ◎信者達への御言葉(昭和11年3月11日)

他の信仰は、拝み信仰だが、四大道(忠・孝・敬神・崇祖)の信仰は、眼に見て、これを実際に行うことでなくてはいけない。そこが他の信仰と違うところである。

その143 ◎信者達への御言葉

人間には、「情(なさけ)」より上のものはない。

○松下翁はこう言われた。
「私は病気を治す力は持っていない、神様が御治しになる、私は唯、そのお
取り次ぎをするのみにある」

また、平時近親者にはこうおっしゃった。
「人と争う時に、勝ったとていずれの利得があるであろうか、また負けたとていずれの損があろうか、俗に負けるが勝ちという事があり、人はできるだけ我慢して、いつも人の下手にいて負けているのがよろしい。
人は表面に立派な衣装を着てもその魂が汚れていては、誠に見苦しいものである、かりに表面では汚い衣装を着ていても魂が立派であることを心がけねばならない」

祖神(そしん・おやがみ)様は、大正14年こうおっしゃった。
「私は、親孝行のために力を得た。
私は決して願をしたのでもなく、行(ぎょう)を積んだのでもない。
ただ、生まれつき親孝行することが好きである、
一度も親に口答えせず、そむいたこともなかった。
元来人間は、親あっての自分で、わが身が大切ならば、親はなおさら大切で、ことに親の子に対する愛情は無限である、
それを思うなら、どうして親を大切に思わずにいられよう。
親孝行が人間道の根本だ。
(略)
私は、神様は何神様を信ぜよとか、仏様は何様を信ぜよとか、決してそんな事をすすめるのではない。
世の中は親孝行が第一で、親孝行さえするなら、成功もでき出世もできる。

(略)

私の教えは、孝行をせよ、その功徳は偉大であるという事にある。」

font style="font-size:20px;" color="#000000">「人間は、自分の思うことが叶い、運が向くと、周囲の人々は、次々と集まってきて上げる、本人は、増長する。
この時こそ一番大切である。
自分の力だけではない。
と云うことを忘れてはならぬ。
ところが、人間は、いたって忘れがちになる。
どこまでも、どこまでも影の御力、神様への感謝を忘れずに、頭を低くして、私が、毎日実行して来たことを忘れずに、修養、修行して行かなければならない」。
(昭和12年12月)


☆昭和29年(1954)に世界神霊学会が、アメリカ合衆国で開催され、当時大阪大学教授で工学博士であった安藤公平氏が日本から代表として出席した。
その時、安藤博士の主背後霊として、祖神様が御出現された。
「石盤書記」という形で「神言」を贈られた。


あなたたちの賢者として、私は、あなたたちにこのことを言い残しておきたい。

信仰こそは、人生の宝の家のありとあらゆる扉を開く、万能の鍵である。

あなたの言葉の使い方によって、あなたは弁護もされ、また批判もされるのである。

人生は冷厳な現実であり、人生は厳粛である。

現代の人々に必要なものは、物質の量ではなく、魂の量である。

あなたの考えと思いを、常に正しいことに向けよ。

ーまつぞうー


原文

As your philosopher I want to leave this with you.
Faith is the master key that will unlock any all doors to the treasure house of life.
By the words thou shall be justified or condemned.
Life is real and life is earnest.
The need of people of today is not material food but spiritual food.
Direct your thoughts and mind alway for the right.
-Matsuzo-

 人の道ー幸福を求める人の為にー 松下延明著

「人の道」は、松下松蔵翁の孫にあたる松下延明氏(孫先生)の著である。
序文にはこう書いてある。

 序文 現実をみつめて

 人間の宿命は、生まれながらにして、神様より定められたものであり、その運命は先祖より己に至る総決算である。
 人間の生命は、男と女の出会いによって母体に胎児として宿った瞬間から始まる。
 人間の人生は、その誕生より始まり、必然的な死を迎えて、終焉の幕を閉じるのである。
 この限られた人生を考えつつ、現実の人間生活に目を向けると、色々な人間が生活しております。
その中で精神的にも、肉体的にも、経済的にも、物質的にも、あるいは家庭的にも、社会的にも恵まれて生活している人、
幸福という二字に恵まれて、人生を意義深く送っている人々と、
これらに全く恵まれず、無縁にして不幸という二字に追いかけられ、路頭に迷って逃れることのできない人々、
自らの手で、不幸の穴を掘り続けている人々、
不幸の種を撒き散らしている人々、
自分の目の前に幸福がありながら、精神的能力が無いために気がつかず、迷いと不安、悩みと苦しみの中で、不満を抱きつつ愚痴をこぼして生きている人々、
このように不幸という十字架を背負い、好運にも巡りあえず、泥沼の中で生きている人間が、多くいることも事実であります。
しかしながら、不幸というものは、神様がお作りに成るものではなく、人間が自分の手で作るものであります。
人間生活の中で生ずるさまざまな悩みや苦しみ、恐怖や不安、迷いや疑問、そして矛盾、これらから逃れるために、人間が考え出した思想や邪教に救いを求めたりしますが、不完全なるがゆえに、横道にそれたり、行き止まりになったりして、本質的な解決にはならず、絶対に救われるものではありません。   

「今、私は、正しい神様を信仰し、人間として正しい道を歩いて居るであろうか」
と自問自答して、自分を心静かに見つめてください。
人間は、与えられた自分の人生を、総決算する時が必ず到来する。人間の老化と死は、避けて通りえない宿命なのです。
限られた人生の中で、終末が訪れた時に気がつき、いくら反省し、後悔しても後の祭りで、
「後悔先に立たず」であります。
 人間の能力で過ぎし時を取り戻すことは、絶対にできません。
人間の一生を考えますと、大宇宙の時の流れから見れば、一瞬の間に過ぎないのです。
この事実を考える時に、未知なるが故に、信仰的に紆余曲折があったとしても、不完全な思想や営利主義のもとに理屈で作った宗教、そして既存の御利益信仰(利益だけを求める信仰)や祈祷信仰(唯神仏を拝む信仰)を捨てて、一日も早く、否一時も早く、万物の創造主である唯一無二の天津神様(天の神様)を求め、偉大な摂理(神様の御意志と御恵み)と啓示(御諭し、御知らせ)を会得し、そこで実践して、正しい信仰のもとに、正しい道を歩き、地に足が着いた信仰をしなければならないということであります。
 それには目先の利得(利益)だけを求めるのではなく、万物の霊長たる人間は、現世から来世に生きるための有徳(徳を備えていること)を得て、現実に生きながらにして、永遠の生命の喜びを自らの手で獲得し、体験することに他ならない。私たち人間は、神の道を切り開いてこそ、真の人生があるのであります。天津神様は、求める者の魂によって、必ず与えられ、そして正しく導かれ、守護されるのです。
貴方の正しい信仰への勇気が、貴方の今後の人生を大きく切り開き、幸福な人生へと発展するのであります。この「人の道」が、貴方の信仰への手引きと成ることを確信してやみません。

                昭和六十二年六月十八日 松下延明

 神 言

 貴方達(あなたたち)の先達(せんだつ)として、私は、貴方(あなた)にこのことを言い残して置きたい。

 信仰こそは、人生の宝の家のありとあらゆる扉を開く、万能の鍵(かぎ)である。
 貴方(あなた)の言葉の使い方に依(よ)って、貴方(あなた)は、弁護もされ、又(また)批判もされるのである。
 人生は、冷厳(れいげん)な現実であり、人生は厳粛(げんしゅく)である。
 現代の人々に必要なものは、物質の糧(かて)ではなく、魂の糧(かて)である。
 貴方(あなた)の考えと思いを、常に正しいことに向けよ。

                        まつぞう

As your philosopher I want to leave this with you.
Faith is the master key that will unlock any and all doors to the treasure house of life.
By thy words thou shall be justified or condemned.
Life is real and life is earnest.
The need of people of today is not material food but spiritual food.
Direct your thoughts and mind always for the right.
-Matsuzo-
この御言葉は、昭和29年(1954)に世界神霊学会が、アメリカで開催され、当時大阪大学教授で工学博士だった安藤先生が出席した時、祖神様(松下松蔵翁)が出現し、石盤書記という形で、「神言」を語られたという。

  一、教祖について(抄出)

 祖神道の教祖、松下松蔵その人は、明治六年三月十日宇宙万物の創造主である天津神様から使命を受け、この地球上に使者として降誕され、「祖神(そしん)様」「親神様」「生神様」と尊信を受け、神人として慕われました。
 祖神様は、三十六万年前に天津神様から約束された方でした。
大正八年に御力を授かり、更に昭和五年十一月二十一日に御力を授かりました。
その間、修養と修行を積み重ねられ、人間としての肉体を所有しながら、天津神様に次ぐ魂と御力を所有されるに至ったのです。
 祖神様の修行は、まず自分を生み育てた親を対象にされたのです。
御尊父は、恵七と申され、正直者で勤勉努力家で、家業に熱心な余り、外に対しては寛大でしたが、内に対しては頑固一徹な性格でした。
御母堂をチヨと申されました。
祖神様の正直一途の家業振りを面倒がられ、ある時は大声で叱咤され、ある時は鉄拳を揮って殴打されることすらあったのですが、親孝行を魂の修行とされた祖神様は、日常生活の中でただの一度として口答えをなさることが無く、嫌な顔色一つなさらなかったのです。
 祖神様は、御幼少の頃からこれという教育も受けず、御身体も強壮ではありませんでした。
祖神様は、普通の子供達とは違っておられ、八歳頃から好んで寺に説教を聞きに行かれたり、神社に講話を聞きに行かれたのです。
 十二歳頃から自分に目を向けられ、自己追求と徹底した親孝行による魂の修行をなされたのです。
祖神様が仰せに
「小さい時から晩に成ると、毎晩のように食べたものを吐いていた。
それで家内の兄弟と私の従兄の二人が、御祓いを奏上することに成り、御祓いを奏上していたところ、
三日目の晩、私の口から突然「待て」と大声を発した。
私も「何の気が這入っているのかと思った」とのことであり、その時二十二歳でした。
 病弱な祖神様ではありましたが、深い信仰心によって健康に成られ、それ以後、天津神様を修行の対象と成され、一層自分に厳しく精進されたのです。
 大正八年八月七日(西暦一九一八)の夜のことでした。
御神前にぬかずかれて、祈念祈願しておられた一刹那、突然祖神様の口からあたかも煙でも噴くように、約一升とも思われるほどの血が、十分間ほどもほとばしり出て昏倒し、そのまま絶息するかと思いのほか、祖神様御自身「今、自分は死ぬのではないか、と思った」とのことでした。
この一瞬時に、天津神様の啓示である四大道すなわち忠孝敬神崇祖を喝破され、この時をもって天津神様の御霊気と御神気(能力)が祖神様の体内に大量に御下りに成り、心身ともに天津神様の領域の御方と成られたのです。
 この出来事の瞬時から、祖神様の御身体には、異常なまで霊力が加わり、神眼神耳が開かれ、神通力を得られ、いろいろな霊的現象、神的現象を披露され、三界を見通されたのです。
時間と空間を超越され、人間が生存する現界は勿論、霊界も自由自在に透視され、天津神様と神話を交わされたり、死霊や生霊と交霊され、邪霊や動物霊を排除され、諸悪霊を支配して使わされたり、霊的交流をされたり、また病者に対しては、病気の根源を見出して、深い愛情をもって霊的治療(御手数)をされ、天津神様に対して、その者の御加護を願われたり、数々の予言を成されたのです。
祖神様は、
「人間の根本は神である。人間は、その分身であり、分霊である。本来は、純真清明の霊である。
しかし、そうあるべき霊魂が穢れ汚れている為、不幸を招き、不運にとらわれる。霊魂を磨き本来の清明な心に帰らなければならない。
それが神に尽くすべき人の道であり、自己を全うする人の道である。」

「私は神通力を発揮して、多くの患者を治す目的は、ただ病者を救うというだけでなく、世の中には、人間の眼に見えない霊界が厳存して、人の運命を支配していることを立証し、物質文明にとらわれて、精神界の因果律を忘却し、無視しつつある現代の人心を、眠りから醒めよとの神意を顕すことにあるのだ。」と力説された。

「私は親孝行のために力を得た。
私は、決して願をしたのでもなく、行を積んだのでもない。
ただ、生まれつき親孝行することが好きであった。
一度も親に口答えせず、そむいたこともなかった。
元来人間は、親あってこそ自分の身体がある。
生まれたのも、育ったのもみな親の恩である。
親あっての自分で、わが身が大切なら、親はなおさら大切で、
ことに親の子に対する愛情は、無限である。
それを思うなら、どうして親を大切に思わずにいられよう。
親孝行が人間道の根本だ。
 今日、私が神通自在の力を神様から授かったのは。ただ親孝行の一事からである。
いかに利口な人でも、偉い人でも、親孝行をすることを忘れたら、その人は無価値である。
世の中は親孝行が第一で、親孝行するならば、成功もでき、出世もできる。
親孝行の心の無い人は、病気もするし、運も悪い。
これは現実のことだ。
孝の功徳は広大無辺だ。
俺には学問がある、親は無学だ、と親を親とも思わぬ不心得者や、親は親、子は子だと西洋流の個人主義的思想にかぶれ、孝道も大徳を忘れている人が多いのは、実に嘆かわしい。
私の教えは「孝行をせよ、その功徳は偉大である。と言うことにある。」

「私は神様ではない。神様のお姿を見、神様のお声を聞き得るのみである。
人間と神様を取り次ぐ通訳官である。
決して松下という人間の力でできるものではない。
神様のお声を聞いて初めてそれができるのである。
これは、神様が厳存される実証でもあるのだ。」

「人間は正しい神様を求め、そして信じ、感謝しなければならない。
合掌礼拝を幾百万遍繰り返しても意味をなさない。
自分の霊魂を磨かなければならない。
あなたがいかに松下自身を尊敬しても、それではダメだ。
松下の思想、松下の行為そのものに一歩一歩見習って進むことが肝要である。
かくして人間の罪障が取り除かれ、人は幸福を受ける、すなわち信仰の利益を得られるのだ」

祖神様は昭和22年11月12日御年75歳で御昇天あそばされた。

「私は、日本国内の平和護持にはあまり用はないが、日本国を中心とする世界の平和維持には無くてはならぬ大黒柱である。」
と日ごろ仰せられていたということである。

信仰体験その7 福岡県 浦 定平 66才

(浦さんは心筋梗塞で瀕死の重体のところ、薄れゆく意識の中で祖神様に必死でお願いして生還した。)

病室の窓より街並の様子が見分けられる程明るくなった頃に目が覚めると、私の体の中から湧き出るように、
「素直になれ、素直さが大切だ」とその事ばかりが押し寄せてきた。
あまりにも素直になれと催促されますので、
「祖神様、素直の気はどこから来るでしょうか」とお伺い申し上げましたところ、即座に
「親孝行からたい」と申されました。

10月28日、次のお言葉の前に正座しておりました。
「近頃種々の教えが流行して、人間が一番幸福に暮らされる道とか、死んでから先々を助けてもらえる道とか、いろいろの理屈をつけてあれやこれや説いているけれども、これらは皆人間の理屈に過ぎない。
人間は何の目的を持って生まれ、自分の力で生きているのか、また人間はどんな道を踏み行えばよいのか、忠、孝、崇祖、敬神、この四大道こそ天地創造の大神様が、人間の踏み行わなければならぬ道としてお定めくだされた大道である。
人間は、真の道理にかなった道を踏み行ってこそ、身体の健康も保たれ、幸福にも過ごされるのである。
四大道の中でも一番大事で実行しなければならないのは親孝行である。親が安心するような行いをすることである。」

(浦さんは、一言一言に打たれて魂が奮い立って、四大道が体中に広がっていく思ううち眠ってしまった。)

10月29日午前4時頃、体の中から多勢の声で
「苦しい、苦しい」「こんなところにはいたくない」
「お前の都合のよい時ばかり、俺の世話になって、なぜ今頃親孝行か、聞きたくもない」など口々にいろいろ罵ったり、怒ったり、言い放っている。
「お前たちには用事はないからサッサと出ていけ」と言うと力の弱いのは一目散に出て行ったが、抵抗するのもいて、口々に罵倒している。
「早く出ないと出してやらないぞ」と言うと、急いで出ていったが、しつこいのが二、三いて出ていかない。
「なぜ出ていかないのか」と聞くと
「ここはいたくないが、今日は出ない」と言って、いくら催促しても出ない。
よし、
もうお前たちに私を操る力はない、勉強の資料に残しておいておこうと浦さんは思った。
翌朝4時頃、「苦しい、苦しい、早く出してくれ」とまたせき立ててきた。
「すぐ出してやるから今から聞くことに答えるか」
「苦しい、何でも答えるから早く言え」
「お前の嫌いなものは何か」
「働くことだ。これほど嫌いなものはない。」
「お前の一番好きなものは何か」
「親の面汚しだ」
「その次は」
「細かいのは一杯ある。それはお前が知っているだろう。ああ苦しい、早く出してくれ」
「よし出ていけ」

脇さんは心臓の3分の2が壊死したが、12月10日69日間の入院生活を終えて無事退院できたという。
(以下略)

「念波」より松下松蔵翁のこと
○新しくできたブック・オフで、「念波」という本を手にとったら、松下松蔵翁のことが載っておりこれは珍しいと買い求めた。

○この人物のお生まれになった時は明治六年、所は熊本県玉名郡長洲町上沖洲で、JR鹿児島本線長洲駅の南四キロ位の場所である。(略)
 松下松蔵翁は僻村に育ったことで、幼少の頃、ほとんど学校教育をうけられなかったが、ご生母の胎内にある頃から大神様よりご神気をお授かりになり、ついで大正八年十月七日夕暮、さらにご神気をお授かりになり、そして昭和五年十一月二十一日に第3回目のご神気をお授かりになって、その上修業と修養を積み重ねられ、大神様のお力をフルにお借りできるようになった。
 一九三二年、主婦之友の記者が取材した中から一つだけ参考に紹介しよう。
「二、三年前の秋のことでした。熊本県下益城郡の某村長が肋骨を折って病院へ行くと、手術をするより他に道がないといわれ、手術恐さに、先生の所に来て治療を乞うと、先生は極めて簡単に
『よろしい。神棚から骨を出して、取り換えてやろう』と言われて、黙祷二、三分『もうすっかり治った』といわれたとき村長は不審そうな面持で胸のあたりを押さえてみたり、撫ぜたりしていましたが、『おかげさまで大変よくなりました』とニコニコしながら帰ってゆきました。
側で見ていた私が先生に向かい
『骨の取換えなど、そう簡単にできるのですか』と問うと、先生は笑いながら、神棚を指して
『あの中には骨でも、筋でも、何でもたくさん予備品がある。ここは人間の修繕所なんだから』
と事もなげに申されました。
いや、全く脅かされましたよ」と経験談をした。
 松下松蔵翁は祖神様と崇められ、その後継者たちによって「祖神道」という宗教法人が作られたが、もともとの教えは「四大道」が中心であった。
だから、右のような怪我人がきても、内科関係の病人が来ても、立所に治癒するのであるが、その前に必ず四大道を実践しているかどうかを確かめ、もし実践していなければ、今後実践するという約束をさせてから治癒にかかった。
 四大道とは、敬神、崇祖、忠、孝で、これこそ天地創造の大神が人間のぜひふみ行う道としてお定め下された大道である。この中でも、一番大切で、実行せねばならないことは、親孝行である。
親が安心するような行いをすることである。祖神様は幼少の頃、体が弱かったが、特別に親孝行をよくやって、体が丈夫になり、宇宙の理に精通するようになった。(略)
この四つの道は、踏み行うべき、神様の定められた道である。
この四つを完了すれば、神様の御心に叶うことになり、神様より造られた、人間としての使命を果たすことになる。(略)
祖神様のお言葉。
「長洲の御神殿は、天皇陛下が世界の天皇陛下とお成りあそばす仕事をするところである」
身近な健康法
「はだしになって、土を踏むこと」
人間は、人間の生存に必要な養分を天からいただくのであるが、天からいただいた養分は、体内を回って、老廃血液を浄化する役目をする。
働き終えて廃物となったもの(これを邪気とい名づける)は、主として手足の爪と肉の間から排出する。
はだしになって土をふむことによって、足の裏からも邪気が出ていくことになり、同時に土が持っている滋養分を吸収するのである。
天の恵み、地の恵み、人間は人間がつくったものではなく、自然のものである。
したがって、自然と接していれば、そんなに難儀はしないのである。
「はだしになって土をふむこと」がもっともよい。
(以上「念波」(関英男著より)

☆ 私は、43歳の時、大病にかかり、長い間、幾人かの医師を患わせて、一命はとりとめましたが、動きも自由にならず、半病人の状態でした。
人の勧めでいよいよ決心してお参りしたのは、大正15年の春、発病後3年目で、長洲駅から人力車で、一里ばかりの道中、腰の痛みは耐えられない程でした。
そして行き着いたところは、お宮でも何でもなく、ただのささやかな農家で、しずが伏屋にふさわしいところ、
一室の正面には、神棚があって、赤い旗、青い旗等が飾ってあった様に覚えて居ます。
その前に白衣をつけ、笏を持った御方が一人坐って居られ、隅の方には、お参りの人らしい方が数人居り、次々と白衣の方に呼ばれて、それぞれの悪い所を御指示頂いた上、いろいろと御注意や御手数を頂いて居ました。
ある人には、
「貴方の家には、神棚も仏壇も無い。神様に手を合わせたことはない。そんなことでは、今、貴方の病気を治して上げても、直ぐ戻る。これから先祖の祭りをするかな。」
と祖神(おやがみ)様は申され、
「私は、次男ですから、それは、本家で致して居ります。」とその人が申し上げますと、
「たとえ次男でも、まさか木の股から生まれたのではあるまい。兄弟は、幾らあっても、皆、それぞれ先祖を祭らなければならぬ。」
と御諭しになり、それからその人の病気を治されました。
さて、神棚も仏壇も持たない私には、何と云われるであろうかと居りますと、
名も聞かず、所も聞かず、いきなり
「おばさんは、どこが悪いか。」
とおっしゃいますから、
「腰です」と申し上げますと、
「羽織を脱いで、俯伏せになれ。」
と申されました。
その通りにして、私は、真の神さまが、この人を通じて、私をお治し下さるのでなかったら、治らなくてもよろしゅうございますと、心の中で、念じました。
「ここだな。」
と私の痛いところを着物の上から押さえて、御手の笏を以って、いやと云う程、三つばかり御打ちになりました。
こんなことをしてもよいかと思って居りますと、
「起きて見なさい。」
とおっしゃいますので、起きて見ると、何と不思議、痛みは拭ったように消えてしまっています、寝かえりも自由にできました。
「あんたはそれでよい。」
と、云われ、次の人をお呼びになって、一向に何の御言葉もございません。
下座に下って、待って居りましても、何の御言葉も無いので、教えられて来たとおりに、わずかの御初穂をそっと置いて退出しようとしました。
「おばさん、一寸待ちなさい。」
と申されるので、何事かと思いましたら、
「貴方の拝んで居る神様は、それでよいが、先祖を祭らにゃいかん。」
と唯、それだけの御言葉でした。


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