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しらくも君

図書室で椋鳩十さんの「感動は心の扉をひらく」という薄い本をみつけて、何気なく手に取って読んだ。するとその中に載っていた「しらくもくん」の話にとても心打たれた。

「私は長野県の赤石山脈、すなわち南アルプスと、木曽山脈(中央アルプス)の間の伊那谷という谷間に生まれました。私の村は、南アルプスの麓の喬木(たかぎ)村といって、木の中の村、人口が5、6千人の小さな村です。私は中学校出てから、30年近く郷里に帰ったことがなかった。ところが事情があって、30年ぶりに郷里に帰ったんです。
 そうしたら帰った3日目に、小学校の同級生が同級会を開いてくれました。
 ああいう田舎だから、私ぐらいの者は、ほとんどとどまっています。40人近くの男女が集まってくれた。行ってみて驚いた。集まった男性の半分は、どうしたらあのように毛がなくなるかと思うほど、(笑)ふもとから頂上まで一本もないんです。
 女性の方は、どうしたら、ああしわができるかと思うほど、縦横十文字ですよ。(笑)
 伊那谷というところは山ん中でしょう。だからたんぼとか畑は全部山の斜面にできておるんです。段々畑とか棚田というやつですな。そういうところに、昔は肥桶をかついで、一時間くらい登っていくんです。これは大変ですよ。そういうところで骨折って働くでしょう。海がないから、魚も全部塩辛い干物です。だから過重労働の上に栄養が少ないから、早く年をとる。だから、最初見たときは、誰が誰だかさっぱり分からん。ところが、見ているうちに、特徴がわかってきて、ああ、君だれだったなと、たいてい当たるけど一人だけ、どうしても見当のつかんやつがいた。
 背が低くて、色が黒くて、でっぷり太っている。そして立ち居振る舞いといい、私のところへ酒を注ぎに来て話をするときに、堂々として、なにかこっちが精神的に押されるような感じがする。こんなやつがおったかなあと考えても思い出せん。
 隣のに、「あれはだれだったかなあ」と聞いても、「あんな有名なやつ、忘れたのか」と言う。全然思い出せない。そのうち宴会が終わりになりかけて、みんな立ち始める。そこで隣のやつに、もう一ぺん、「あれはだれだったかなあ?おれは、今度帰ったらいつ帰るかわからんぞ。その間中、あれ、だれだったかなあ、と考えておるのは、苦しくてたまらん。意地の悪いこと言わずに教えんか」こう言ったら、
「何だ、あの有名なやつを思い出せないのか。そらそら、あれは『しらくも』よ」
しらくもーそこで、ハッと思い出した。しらくもという頭に出来る病気がある。小さい、乾燥したおできで、小指の先ほどぐらいのおできが頭にいっぱいできる。そして白い粉がそれにみんなふくんです。だから頭が白く見える。それで、しらくもと言う。
 そのしらくもというできものを、1年に上がったときから6年を卒業するまでつけっぱなしだったから、『しらくも』というあだ名がついたんです。
 ところが私の郷里は蚕をうんと飼うところだから、畑の真中に学校があって、畑に蚕のクソをうんとやるから、ハエがブンブンわいて、いつも教室の中に20匹ぐらいハエが舞っておる。そのハエの半分はしらくもの頭にとまるんです。(笑)
 ところがハエが最後までとまってくれればいいけど、プーとそれがしらくもの粉をつけたまま舞ってくる。昼食時間になると大変です。ごはんの上にとまられたら、大変だからね。そういうふうだから、みんなに嫌われた。男の子は、そばへ来ると、移るからあっちへ行けとけとばす。女の子は「しらくもが来たあ、移るう」って逃げちゃう。それで一ヶ月もたたないうちに、しらくもは男の子のそばに行けばいじめられたり、ひどい目にあったり、悪口を言われる。女の子のそばに行けば嫌われる。
 そういうことが心にしみこんで、われわれのそばへ寄り付かなくなった。校庭の脇の方に、アオギリの木が3本ありましたが、休みの鐘が鳴ると同時に、テクテクテクテク歩いて行って、アオギリの木にもたれかかるんです。そうしてね、やっぱり遊びたいんですなあ、みんなの遊びを上目遣いで見ている。いつも青洟(あおばな)が出る。いつも唇のこのへんまで来ておる。勉強も卒業するまで尻から一番。
 その話が出た時、その時83歳で、小学校5年、6年と受け持ってくれた恩師が、私のそばに座ってましたがな。
 しらくもの話が出たらね。私の手をいきなりぎゅうとつかむんです。両手で。
「おれは38年間教員生活をした。その教員生活の中でしらくもほど始末に困った劣等生に会ったことはなかった。こんな者を相手にしていたら、ほかの者が迷惑するというので、教室の一番すみに一人だけ並ばせといた。そして、教科書を忘れてこようが、居眠りをしようが、漫画の本を読もうがほったらかしていた。
 しらくもははなあ、おれの教室にいたというだけで、おれの生徒ではなかった。
ところがしらくもは、今、大したやつになっているぞ。おれはしらくものことを考えると、地獄の底の底まで罪を背負っていかなければならない。」
 こう言ったと思うと、私の手を握ったまま、ポロポロ私の手の上に涙を落とすんです。
 その恩師が言ったとおり、しらくもは、そのころ上伊那、下伊那を通じて、一、二と言われる、非常に勝れた農業の指導者になっていたのです。どうしてあんな知恵が出てくるんだろうというような、非常に斬新なやり方をして人を率いていく農業の指導者になっていたのです。
 私は、ああいう劣等感を持った人間が、なぜ伸びたんだろうか不思議だった。
 そこで二次会に行ってね、彼とお酒を飲みながら、二人でしんみり話をした。
「しらくも、おれは君がこうした人物になるとは思わなかった.なあ」こう言った。
「うん、みんなそう言うぞ。」と笑った。大したもんだ。驚いた。
「君、何か原因があったのか」と聞いたら
「あった」と明らかに言う。
「おれはなあ、頭にできものができていたということと、学校で勉強ができなかったということだけで、みんなからばかにされ、のけものにされた。そして先生からも見捨てられた。悲しかったなあ」
こっちはいじめた方だから、そう言われた途端に、穴にでも入りたいような感じがした。
「悲しかったなあ。おれはなあ、朝が特に悲しかった。」
「朝日が障子にパアーと当たってくると、妹や弟は『朝が来たあ』と言って、喜んで飛び起きるが、おれは、神様はなぜ朝なんていうようなものをこしらえたんだろうか。きょうもまたみんなからいじめられ、のけものにされる。そう思うと、おれはなかなか起きて出ることはできなかった。いつもおやじから怒られては起きて出た」とこう言う。
「この前もなあ、夕方、学校の前を通ったら、校庭にはだれもおらなかった。三本あったアオギリの木は二本枯れて、一本だけ残っていた。それを見たとたんに何か磁石にでも引き付けられるように、おれはアオギリの木のほうへスッと引っ張っていかれた。そしてアオギリの木をなでてみた。ザラザラしたアオギリの肌を。そうしたら、おれの6年間の悲しみが、恨みが、つらさがいっぱいこもっていると思ったら、思わず涙がボロボロ出たわ。
 こういうふうだから、おれは、おれの子どもだけには、おれみたいなつらい目をさせたくないと思った。おれは貧しい百姓だが、子どもがほんとに決心して行くといったら、牛を売り、田を売り、家を売ってでも、どこまでも出してやろうと思ったんだが、子どもはおれの脳みそに似てな、高校の二年生になっても、まあだ真ん中から上に行ったことがなかった。何とか勉強するようになってくれればと思って、おれはそのことばかりが気になっていた。
 ところが二年生の夏休みの前の日に、こんな厚い本を三冊借りてきた。どんな本かと思ってみたら、カタカナで書いてある。舌がもつれそうな難しい名前の本だった。こんな本を読むようになってくれたかあ、いよいよ勉強するつもりになってくれたかあと思って、おれはうれしくてうれしくて、毎朝5時に起きて、山仕事に行った。朝、子どもの机を見ては、毎日ほんとに久しぶりで明るい気持になって山へ行った。
ところが、三週間たっても、子どもは本を全然読んでいない。」
「なぜわかったのか」
「本の上にほこりがつもっていたでなあ。
 それでおれは、これは怒ってもだめだ。この学問のないおれが一冊でもいい、半分でも読んどいて、おれより、5年も6年も学校に行ってるくせに、読めないのか、これを。
お父ちゃん、これ一冊読んだぞと励ましてやろうと思って、それを読み出した。命がけで読んだ。そうしたら、最初は、もうやめようか、やめようかと思って読んでいるうちに、おれは感激してなあ、この厚い本をたちまちのうちに三回読みきった。」
「何ていう本よ」と聞いたら、ロマン・ロランの書いた『ジャン・クリストフ』とい
う本だった。
「何に感激したのか」
「おれの運命が書いてあるんじゃないかと思うほど、人間の苦しみが描かれていた。」
「三回読んだ。おれの運命を書いたんじゃないかと思うほど苦しみが似てた。ところが、ただ一つ違う点があった。ジャン・クリストフはどのような苦しみの中に落ち込もうが、必ず這い上がってくる。また絶望の底に落ちても這い上がっている。彼は絶望という言葉を知らずに火のごとく生きている。ああ、おれもああいう生き方をしたいと思った。」
「おれは、小学校のころの『しらくも』という重石の下にきょうまで小さくなって生きていた。この人生を燃えていきたい。この人生を、生きたというほんとの生き方をしてみたい、そう思った。心の底からそう思った。そして、おれはさんざん考えた末に、何か燃える元を持たなけりゃいけない。ところが、おれは貧しい百姓の小せがれだから、農業そのものの中に燃えようと思って決心した。」とこう言うんですな。
 それから彼は農業の専門書を読み始めたんです。ところが、農業の専門書は非常に
難しく、化学も出てくれば、数学も出てくる、言葉遣いも難しい。 
1ページ読めばわからんところがたくさん出てくる。
それで村の農業委員のところへ聞きに行くんです。
始めは「よく来たなあ」と教えてくれていたが、毎日2度3度も行くので、役場の職員
はうるさくなって、彼が来ると、トイレにこもっちゃうくらいになった。
それでも待ってるもんだから、指導員はあきらめて、教えてやることにしたんです。
 大きい感動を持って、感動の方向に心が燃えて変わっていったやつは、ちっとやそっとじゃ変わらない。やっているうちに、15冊暗記するくらい読んじゃったんです。
そうしたらあとはもうスイスイ読めて、実験したりしていくうちに、人々は彼を農業の指導員と呼ぶようになったとこう言うんです。
 だから感動というやつは、人間を変えてしまう、奥底に沈んでいる力をぎゅうと持ち上げてくれる、そういう性質を持っているんです。


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