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「ツキを呼ぶ魔法の言葉」五日市剛

2012年9月24日
Gさんからメールをいただいた。

「よかったら読んでください」

9月22日付けのスポーツ報知の巨人優勝の記事だった。



9月22日の記事は巨人軍優勝のときの原監督のコメントに焦点があり、優勝ゼロパーセントから、「魔法の言葉」との出会いによって、心の向き、ベクトルが変わったことが指揮者の心組みに大きかったというものである。



原巨人優勝「おめでとうございます」!V率0%からブッちぎった

スポーツ報知 9月22日(土) 

 ◆巨人6-4ヤクルト(21日・東京ドーム) 巨人がヤクルトに勝ち、09年以来3年ぶりのセ・リーグ優勝を決めた。

(略)



 「ありがとうございます! ファンのみなさんのお陰です。選手を、チームを代表してファンの皆様にお礼を申し上げます! 優勝、おめでとうございます!」

 本拠地を埋めた超満員のG党の前で、指揮官は感謝した。

 V確率0%からの大逆襲だった。開幕から打線が低調で、4月に2度の5連敗。22日のヤクルト戦(神宮)で借金は7。過去には一度も優勝したことがない数字だった。

「あの頃はどうにもこうにもダメだった」と原は振り返ったが、この時、1冊の本に出会い、考え方が変わった。

五日市剛さんの「ツキを呼ぶ『魔法の言葉』」(とやの健康ヴィレッジ)を読んで「ありがとう」「感謝します」という言葉の本当の意味を知った。

 「自分のために何かしてくれて、それに対して感謝するから、ありがとう。これは違う。ありがとうって、漢字で書くと"有難う"-難がある、と書く。難があっても今、こうしていられる。小難で済んだことに対してありがとう、なんだ。5連敗を2度した時も、誰もけがなく、今年戦うメンバーが元気にグラウンドに立っていた。それこそ小難で済んでいた。まさに"有難う"だよ」

 どんな逆境も「ありがとう」と思えたから、強かった。過去の実績にとらわれることなく、小笠原、阿部、村田に送りバントのサインを出した。さらに重盗やスクイズなど、今までの巨人とは180度違う野球でチームを活性化させた。

 順位を1つずつ上げ6月6日には初めて首位に立ったが同20日、自身についてのスキャンダルが週刊誌に報道された。原の、そしてチームの勢いをそぐような事態に陥った。悩み、疲れ、目は真っ赤になり、体重は2~3キロ落ちた。だが、ここでも「ありがとう」の精神を忘れなかった。 

 「あれも試練。いろいろな人に迷惑をかけたし、助けてくださったけど、僕の気持ちも少し整理できたのもあったし、あの報道でもっと大きな難を免れたかもしれない。ありがとう、だね」

(略)


 「今まではただ、選手をいつ使おうかと我慢していた。でも、あの時は知らず知らずのうちに未来を予想して戦略を立てていた。6回に出してしまおうかと思ったけど、まだだ、と。絶対、最後にチャンスがくると。そしてピタリとはまった。試合後に思ったけど、まさにあの時の俺は虎視眈々(たんたん)とチャンスをうかがっていた。そういうのは今までになかった。勉強になった」

 宿舎に帰り、日記に「虎視眈眈」と記し、思わずニンマリした。

 チームは「カバーし合う」ことの重要性も学んだ。9月9日のヤクルト戦(新潟)。0-3の6回2死満塁で村田に代打・高橋由を送り、同点の走者一掃二塁打を放った。「村田にとってもチームにとっても必要な決断だった。たとえ由伸が打てなかったとしても構わない。でも打った。それでチーム全体の流れがまた変わった」。チームが勝つためには必要なタクトだった。

 全員が成長しながら圧倒的な強さを手に入れた。CS突破、悲願の日本一へ戦いはまだ続くが、ひとまず原は、かかわった全ての人にこう言うだろう。「ありがとう」と。=敬称略=

 ◆原監督を支えた五日市剛さん(工学博士)の「ツキを呼ぶ『魔法の言葉』」 今年4月に知人に紹介され手にした。五日市さんがイスラエルに旅をした際、1人のお年寄り女性に出会い、たとえ事故を起こしたときでも「ありがとう」と言いなさい、と学んだ。「イヤなことが起こるとイヤなことを考えるでしょ。そうするとね、またイヤなことが起こるの」と気持ちの負の連鎖を説いた。そこで「ありがとう」と言うことで「不幸の鎖が断ち切れる」と言われたという。


2012年8月30日

8月30日(木)四谷で五日市剛さんの講演会があった。

講演の一番最初に日本ヨガ学会の福島ヨーガ連盟大会での「空中浮揚」の体験を話されたので、聴く者ぶっとぶ思いで、気持ちがすっかり話に入っていった。

五日市さんが講演で手品を見せたら、雪山童子ことT会長が

「いいものを見せていただいたから、私も面白いものをお見せしなくては」と

主催者のOさんという女性と五日市さんの掌をあわさせ、3人で呼吸を合わさせた。

「もちろん僕が空中浮揚したんじゃないですよ。このOさんが数センチ浮き上がったのです。
 するとT会長がOさんの両足の下にそれぞれ中指一本を差し入れて上へ持ち上げると軽々と飛翔したという。五日市さんはあんまり上にいってはと抱きとめたという。


そういうことでみな集中して聞いた。枕の話の大切さである。講演すべてが素晴らしかった。


なかでも東日本大震災で気仙沼の津波に流された居酒屋の新開店にいった際の同席の被災にあった方々の話は、心痛み感銘を受けた。

何枚か写真を見せられた。

陸前高田のあるアパートは、4階までは津波にあった無残な姿をさらしていたのに、5階は無傷の様子だった。

大きな漁船が陸地に打ちあがっている風景を地元の人は戦艦大和と呼んでいますとのことだった。

五日市さんが来るというので、お店に30人くらいの人が集って、そしてそれぞれの3.11を語った。

あるお婆さんは必至で高台にのがれ、後数センチというところで、なんとか津波を免れた。

ふりかえると近所の親しくしていた奥さんが逃げ遅れて、自宅の2階、屋根の上へと逃れ、津波に家ごと流されていて「助けて」と叫んでいた。助けられない、その奥さんは3日後に遺体で発見された。「生き地獄でした」とおばあさんは語った。

「うちは一人だけです」と語る方がいたという、ああ「一人」のなんという重たいこと・・・

「地震が来て、人から預っている通帳や印鑑を安全なところに」ととっさに思って、ハンドバックに入れて小型の車で逃げようとしたという女性がいた。

「道路に出ようとすると道のずーっと先まで長だの車の列。どうしよう、どうしよう、もう『ありがとう』を言うしかありませんでした。」

 魔法の言葉を唱えていたら、心が落ち着いてきて、列の間に小型車が通れるすきまがあることがわかり、そこを何とか通りぬけて右側のほうへ走っていったという。

 車を走らせると行き止まり、また引返すと道路の車の列の間に透間をみつけそこを通って左の道を走った。そこも行き止まりで一軒の民家があった。

 車を降りるとそこへ津波が襲ってきた。「ありがとう」と言う続けていると、その家の中に流し込まれ、深い水の中。上を見上げると白い光が見えた。息ができるかもと上へ浮き上がった。そこには3名ほどの人がいた。家の人なのか・・・『足場を見つけなきゃ』とタンスにしがみついていて、見ると一人の人は水の底に沈んでいった。」

そんな話をされたという。

「五日市さん何か一言・・・」とそうした話の最期に言われた。みな言葉を待っている。

「何も僕は言えないですよ」

「そんなことおっしゃらないで・・・何か一言」

五日市さんは「怒ってはいけない」ということを話されたという。


2012年5月19日

なぜ、感謝するとうまくいくのか アントニオ猪木VS五日市剛

という記事が5月16日発売の「壮快」84-87ページに載っている。



Hさんから、「壮快読みました。五日市さんは相変わらずのご活躍で何よりです」とメールをいただいた。5月18日のことで、この日、千葉市生涯学習センターのホールでで五日市剛さんの講演会があり、ひさびさに行って来た。

そしてこの「壮快」の記事に載っているアントニオ猪木さんとの出会いについてもお話があって楽しかった。

この出会いは五日市さんが親しく付き合っていた元日本ライト級チャンピオン嶋田雄大(たけひろ)さんから「アントニオ猪木さんが私に『魔法の言葉』の話を始めたんですよ・・・」から始まったという。

猪木さんは、その時、「感謝する気持ちを持つと大きな力が発揮できる」ということを伝えたくて「魔法の言葉」の話をしたのだという。

「ツキを呼ぶ魔法の言葉」の小冊子は130万部以上売れているが、猪木さんはそれが冊子として発行される前から五日市さんの講演のコピーをもらっていて知っていて、面白くて何回も読んだのだという。もう10年くらい前のことだ。

猪木さんはすぐ実行した。するとこれがなかなか心地よい。心にも体にも全然悪くない。



☆五日市剛さんのブログに「ツキを呼ぶ魔法の言葉」をテープ起しされた 安田善次郎 さんが亡くなられたことが載っている。
 私は 先に 花の天使 さんから、お聞きしていたが、五日市さんが断食中とあって、また悲しまれるだろうと思っていた。
 五日市さんが身内以外で最も大切に思われていた方でもあった。

 初めて安田さんのことをお聞きしたとき、その謹言さとまるで、師のように若い五日市さんに接するお話を聴いて、背筋が正しくなる思いだった。


☆5月14日(金)、逗子文化プラザで五日市先生の講演会があり、聴きに行ってきた。
始めて五日市先生の講演を聴いたときのことを思い出し、そのときのまっさらな気持ちで聴いた。だから聴き馴染んだ話も新たに聴いたかのように感動した。

2時間弱の五日市さんの講演会にしては短いもので、主催者から「基本」について詳しくと頼まれたということで、

イスラエルでおばあさんに「マジック ワード」を教わってから、身につけるまでのことを詳しく語られて面白かった。

松坂の一夜(本居宣長と賀茂真淵の一夜の出会い)に比すべき(とひそかに思っているのだが)一夜の教えの後、五日市さんは、車にひかれた時、ひったくりにあった時、『ありがとう』と言ってその効果を実体験した。

道路を横断したとき、車に衝突したとき、『ありがとう』と言ったら、軽い打撲傷ですみ、しかも向うからきた別の自動車にあやうく引かれるところを免れたという。

それでもまた「イヤなことがあったら『ありがとう』」というマジック・ワードの確信にはいたっていなかった。

そして、今度はショルダーバックをひったくれた時、逃げていく犯人に『ありがとう』と大きな声で叫んだら、犯人がスッテンコロリンと転んで、バックを放り投げたまま、逃げていった出来事で、魔法の言葉を確信する。

さらにダメ押しかのように、空港でなくした財布が戻ってきたとき「ありがとう」「感謝します」の魔法の言葉に涙を流して感動・感謝する。

魔法の言葉は、イヤなことがあった時、すぐに言う言葉である。

それは「悪いことが続いて起こる」という宇宙の法則の連鎖を断ち切り、逆によいことに変えてくれる。

「すぐに言う」ために五日市さんは水性のマジックを買って、手やはてはパンツにまで『ありがとう』といたるときに書き込んで、手に書いた『ありがとう』が消えるたびに、書いて身につけたのだという。

そのほかにも車のハンドルとかとにかく目にするところに「ありがとう」を書いて、イヤなことがあったら すぐ「ありがとう」 といえるようにしたという。


岐阜の郵便局で働いている方のお便りは初めて聴いたがこれもとても感銘を受けた。
五日市先生の「ツキを呼ぶ魔法の言葉」に感動したその方が、局長さんほか全員に小冊子を配った。するとみんな喜んで読んでくれた。新しい年の目標を立てようということになってその人が提案した2つが郵便局の一年の目標として採用された。それは、
1 きれいな言葉を使いましょう。
2 イヤなことも、感謝の気持ちで受け入れましょう。
というようなものだった。郵便局では定期預金の目標などがノルマになっており、局員一同、その達成にいつも苦労しているという。
だから定期預金の解約ということは、イヤなことで、「なんとか解約しないですみませんか」とか「半額だけでも」とお願いするのが常であった。
ところがイヤなことでも「ありがとう」だから、これまで積み立ててくださったことに感謝の気持ちで気持ちよく解約してさしあげるということになる。
すると不思議なことがおこった。Aさんが解約すると、Bさん、Cさん、Dさんが予約してくださる。解約したAさんもまたお金ができたからと再び預けてくださる。
そしてなんと東海4県で第一位になったというのである。
「東海地方で第一位ってすごいことなんですよ。岐阜、三重、愛知、そして静岡の郵便局全部の中で岐阜の小さな郵便局がトップになったということですから」と五日市先生はおっしゃった。

「ありがとう は 人に言うと 感謝の言葉 となり
         自分に言うと 魔法の言葉と なります」

そう講演の最後に言われたのであった。




1月4日の岩手日報に焼失した緑風荘再建についての続報が出ていた。

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「座敷わらしの宿」に再建エール 二戸市の緑風荘

昨年10月、火災に見舞われた「座敷わらしの宿」二戸市の金田一温泉緑風荘(五日市和彦社長)に、全国から再建を望む手紙や支援金が届いている。築300年以上の母屋など4棟は全焼したが、座敷わらしをまつる神社は火の手を逃れ、新たな伝説も生まれた。例年の繁忙期から一変し、仮住まいに移って家族だけで年を越した五日市さん一家。「3年ぐらいで再開したい」と、新年に思いを新たにする。

 緑風荘は戦後開業した。南北朝期、6歳で病死した亀麿(かめまろ)が守り神となり、母屋奥座敷の槐(えんじゅ)の間に現れると言われている。

 緑風荘をモデルにした芥川賞作家三浦哲郎さんの児童小説「ユタとふしぎな仲間たち」には、くしくも、座敷わらしが住む旅館の離れが燃える結末が描かれている。

 地元では、ストーリーと重ね合わせながらも「座敷わらしが神社に逃げ込むのを見た人がいるらしい」「火事現場で光の球が飛んでいた」など新たな伝説がささやかれる。

 槐の間近くに建つ亀麿神社は無傷で残り、ファンが参拝に訪れている。灰を持ち帰る人、テントを張って泊まりたいと希望する人までいるという。

 漫画家水木しげるさん(87)は「神社の中にいると思う。再建に向け頑張ってほしい」と声援を送る。

 地元からのお見舞いは400件、全国から届いた手紙は500通を超す。目撃体験や御利益などが記され、支援金も入っていた。

 「亀麿くんはほこらの中で新しい家ができるのを待っていると思います」「火事ニュースの画像にオーブ(座敷わらしの光の球)が映っていた」「新しい緑風荘で亀麿くんと再会したい」など温かい言葉が寄せられた。

 常連客で組織する亀麿会は300人以上から募金を集めた。100泊以上しているという内山正朗会長(58)=北海道岩見沢市=は「緑風荘は非日常の空間。一日も早く再開してほしい」と支援の輪を広げる。

 再建の課題は、趣の再現と資金。宿泊客への補償や焼け跡の撤去も大きな負担で、自宅も建て直さなければならず、保険だけで賄えない。母屋については、東北工業大が調査した図面があり、参考になりそうだ。

 五日市社長(73)の次男で金田一温泉旅館組合長の洋(しょう)さん(42)は「全国から反響があることに驚いている。期待が大きい分、再建するならば、雰囲気を残してつくりたい。時間をかけても一つ一つ取り組みたい」と感謝し、先を見据える。



【写真=焼け残った亀麿神社と五日市洋さん。旅館焼失後もファンが参拝に訪れる=二戸市金田一】

10月25日(日)松本の才教学園講堂で五日市剛さんの講演会があった。

最初に小林昭子さんが、今回の講演会を企画するにいたった出来事を話された。
名古屋の友人の家に行ったとき、五日市さんの話に及んだら「あら、今日夕食をご一緒することになっているの。あなたもいらっしゃい。」と五日市さんに引き合わされ、あれよあれよと松本で講演会をすることになったのだという。

松本での五日市剛さんの講演会は緑風荘の焼失の話から始った。
「座敷わらしが出るということで有名な緑風荘が焼けた日、僕の携帯はなりっぱなしでした。メールもたくさん頂きました。五日市さんの実家が燃えていると。」
五日市さんは緑風荘は実家ではないこと。緑風荘の主人とは幼なじみであることを話された。
「ご主人に電話したら、結構元気で『なんかさっぱりしました。』と言っていました。全部燃え尽きたといっても、緑風荘の看板と座敷わらしを祭る神社だけは全く無傷で残ったんですよね。これが他所へ燃え移ったとか、死傷者が出たというのなら大変でしたが、
『また建て直します』と元気に言っていました。」

3年前に鳩山首相の鳩山幸さんと池田明子さん(俳優・梅沢富美男氏夫人)と対談した時のエピソードなども話された。「私が出あった世にも不思議な出来事」は、学研の月刊誌『ムー』に連載された対談記事に加筆修正ある。
「鳩山由紀夫さんは、3年前は民主党でも3番手か4番手でしたよね。それが今、首相ですからすごいですねえ」

また、五日市さんは「この人は誰か分かりますか?」と恵比寿様の前で一緒に写真に写っている人を指し示された。
和平さんと五日市さん 縮小.JPG
知っている人が結構いて「竹田和平さんです」という声が上がった。
「そうです竹田和平さんです。タマゴボーロの竹田製菓の創業者で日本一の個人投資家ですね。この金融危機の中でもさほど損害をこおむっていない。
和平さんも『ありがとう』を言い続けているというんですね。
和平さんに『ありがとう』というと何が違うんですか?と聞きました。
私が聞くというのも変なんですけど。すると和平さんから返ってきた答えがこうでした。
「ありがとう と言うと 我欲 が減るのです。」


☆五日市さんが冒頭、座敷童(わらし)が出ることで有名な緑風荘が焼失された話をされた。緑風荘の看板と、座敷童をまつった社(やしろ)だけ燃え残ったという話のところで「アエラ」に、着物を着た子どもが社の中に逃げ込んだのを見た人がいるという話が載っていますといわれていた。

どういう記事だろうと気になって、日曜日近くの図書館を3つばかり回ってようやく「2009年10月19日号」を借りてきた。

目次を見ると
「座敷わらし旅館火災」現場から逃げる「着物姿の子」目撃情報・・・・・26
とある。

「それはやっぱり座敷わらしだったのかもしれない」の記事で始まり、
柳田国男の「遠野物語」の一節
「この神の宿りたまふ家は富貴自在なりと云ふことなり」
という言葉を紹介し、
「槐(えんじゅ)の間」で座敷わらしの霊体といわれるオーブ(小さな光の玉)がテレビカメラに収められ、その反響で」2011年末まで予約で埋っていたことを伝える。

地元の人が声をうわずらせながら言う。
「火事で大焼けしてるっていうのに、着物の小僧がこの神社に逃げ込んだのを見たっていうのよ」
緑風荘のある二戸(にのへ)はまだ行ったことがない。
瀬戸内寂聴さんが住職され、青空説法をされていた天台寺もここ二戸にある。五日市さんもここで寂聴さんと2時間ほど対談された。

「出版社の言いなりになっては駄目よ」
「講演ばっかりしていると、ろくな人間にならないわよ」
など寂聴さんらしい直言のアドバイスがポンポン出て面白かったです。

とあるブログにその折のことが紹介されている。

アエラの記事によると、ご主人の五日市洋さんがある来館者が当時の当主に語ったというこんな話も紹介されている。

「子どものころ、父と親交があった松下幸之助さんにお会いしました。
その際、一生に一度でいいから、座敷わらしが出る緑風荘に行ってみなさいと言われました。
松下さんは着物を着た子どもに出会ったそうです」

 また、ホンダ創業者の本田宗一郎も宿泊したという。

☆五日市剛さんのアメリカ講演が2009年 9日9日(水)はロサンゼルス講演であった。12日はサンフランシスコで、14日はシリコンバレーで盛和塾inU.S.Aの主催で開催された。

「五日市剛の今考えること」のブログに、ご自身でアメリカでの講演の模様に触れられている。サンフランシスコでは雨が降ったという。

2009年9月9日の9が3つ並んだサンキューの日に、ロサンゼルスで講演させていただきました。ロス在住の日本人経営者の勉強会South Bay Management Seminarに光栄にも講師として招待されました。
僕の話を聴きに来てくれる人なんてアメリカにいるのだろうか...と思っていましたが、いざ当日を迎えてみると、定員をはるかにオーバーする観客が来られ、主催者も「この会が始まって以来の大人数だ」とびっくりしていました。
また、12日の小雨のサンフランシスコ講演には、300名近い観客が来られました。多くの方々が立ち見となり、本当にびっくりしましたが、Gowerさんはじめ、ボランティア・スタッフの方々のおかげだと思っています。とても思い出深い講演会となりました。
そして、今日(14日)はシリコンバレー(サンノゼ)で講演です。こちらも、予想をはるかに超える参加者が事前に申し込んでくださっているらしく、心からありがたく思っています。



09 - 16 - 2009   北米コムに「言葉の素晴らしさ知って」五日市剛さんが講演が載っている。抜粋してみよう。


 「ツキを呼ぶ魔法の言葉」の著者、五日市剛さんの講演会が2009年9月12日、サンフランシスコのヨシズで催された。予定を大きく上回る約280人が集まり、立ち見だけでなく、2階席や階段に座る人も出て、関心の高さをうかがわせた。       
 会社経営と数社の技術顧問が本業の五日市さんは「有名人でも、芸能人でもなく、ただの太ったおじさんです」と冒頭であいさつ、終始和やかな雰囲気で講演を行った。
 五日市さんは自身が育った環境から、26歳の時に旅行したイスラエルでの体験、そこで出会った女性に教えられた「魔法の言葉」、それを実践してきた自身の体験や、寄せられる感謝の手紙などを紹介した。
 苦しい時や心が乱れた時に、自身に向かって「ありがとう」「感謝します」と言うだけのことだと、「ツキを呼ぶ魔法の言葉」の本質を解説し、様々な例を取りながら、「言葉の大事さ、言葉の素晴らしさと同時に、言葉の恐ろしさを知ってほしい」と呼び掛けた。
 また、120万部を超えるベストセラーになっている「ツキを呼ぶ魔法の言葉」は、イスラエルでの体験を友人宅で話したところ、テープに取っていた人が活字に起こして周囲に配り、感銘を受けた人がそれを五日市さんの名義で出版していたことを後で知ったという裏話、ゴルフの石川遼はじめ、スポーツ界でも同書を愛読している人が多いといったエピソードなども披露した。
 今回は、ロサンゼルスでの経営者向けセミナーのゲストとして渡米。知り合いがサンフランシスコに住んでいることから、当地での講演依頼も引き受けた。14日にはシリコンバレーで講演した。

○五日市剛さんの「今、思うこと」のブログ(2009.9.1)に瀬戸内寂朝さんと会ったときのことの話が出ている。その書き出しはこうである。

昨年、瀬戸内寂聴さんとお会いした際、とても有意義なお話が伺えました。
クチコミで本がどんどん売れ、講演を依頼されるようになったと寂聴さんに言いましたら、
「講演だけで食べている人っているでしょ。私、何人か知っているけど、ロクな人間がいないわ。あなた、講演家なんかになっちゃダメよ。」
僕には本業がありますので、講演を依頼されても月に数回しかできませんが、今まで一度も自分を講演家と思ったことはありません。
なぜ、講演家にロクな人がいないのか、寂聴さんは熱く語ってくれました。

寂聴さんに、何気なく「幸せになる秘訣ってありますか?」と聞いたところ、こんな回答が返ってきました。
「どうしたら幸せになれるかといえば、まず自分の幸せよりも他人の幸せを考えること。そうしたら、自分の幸せが自然に達せられます。」

なるほど。なんだか分かる気がします。


2008年10月5日、五日市さんは岩手県二戸市の二戸市PTA研究大会が二戸市シビックセンターで開催され。そこで午前中講演された後、ちょうど法話のため天台山にこられていた瀬戸内さんと会談されたのである。
「出版社の言いなりになっては駄目よ」
「講演ばっかりしていると、ろくな人間にならないわよ」
など寂聴さんらしい直言のアドバイスがポンポン出て面白かったです。


☆五日市剛さんの「ツキを呼ぶ魔法の言葉」の「ありがとう」「感謝します」は毎日実践しているが、もう一つの大事な教えが「怒ってはいけない」という教えである。

「それに、人を怒ってもツキは逃げて行っちゃうわ。
 怒れば怒るほど、あなたがせっかく積み重ねたツキがどんどんなくなっていくのよ。」


ここのところは微妙に変わってきている。

「魔法使いのプレゼント」(2007年5月30日発行)ではさらにこう言っている。

「でもね、どうしてもおこらなくてはならないときは、ちょっと深呼吸をして、別な言葉でやさしく伝えてはどうかしら。
一呼吸おくと、いい言葉が見つかると思うわよ」


さらにマスオさんCD版では、こう言っている。

「でもねえ、どうしても怒らなくては、ならないときは、
自分に ありがとう と言って ちょっと深呼吸して、別な言葉でやさしく伝えたらどうかしら。
一呼吸置くと心が落ち着いて、いい言葉が見つかると思うわ。」
おばあさんはツヨシの目をじっとみつめながら、静かに話してくれたのです。


五日市さんがおばあさんに会ったのは「湾岸戦争が起こった年の冬」(小冊子6ページ)であるから、1991年である。18年前のことになる。そして小冊子となる話を金沢の知人宅で10数人の前でしたのが平成12年12月であるから9年ほど前である。ちょうど10年五日市さん自身の中で熟成されていたのだ。現在の小冊子の初版が発行されたのが、2004年8月22日、ちょうど5年前になる。その小冊子は2008年2月100万部を越えた。
そして今年9月アメリカのサンフランシスコほか3箇所で講演される予定である。

「魔法使いのプレゼント」にはこうある。

おばあさんが教えてくれた「魔法の言葉」は、
「ありがとう」
「感謝します」
の2つだけだったのです。

ここでは、小冊子で言及されていた「ツイてる」はもう使われない。
さらに、マスオさんCDでは、「ツキという言葉」も「運がよくなる言葉」となっている。

つまり、五日市さんの意識が深まるについて、おばあさんが言ったという表現も変容しているのである。
20年前に一人の青年が異国で聞いた「魔法の言葉」が現在でも大きな命を持って多くの人々に影響している。言葉の使い方の大事さ、感謝の大切さを教えてくれる。

おそらくは日本から世界へとそれは発信される新たなる第2ステージにあるのかもしれない。

「来月、光栄にもロサンゼルスやサンフランシスコなど、アメリカ3か所で『ツキを呼ぶ魔法の言葉』の講演をさせていただくことになっています。それに先立って、先日、サンフランシスコの「週刊ベイスポ」からメールによるインタビューを受けました。」(「五日市剛の今思うこと2009.8.25)

おばあさんは五日市さんに送って手紙でこう書いた。

「生きていくうえで、いちばん
 大事なことはね、
 言葉のつかいかたなの。
 どんな言葉を口に出すかで、
 あんたの人生が決まってくるの。
 いい言葉をつかっていると、
 必ずいい人生になるわ、本当よ。
 そのことをいつまでも忘れないでね。」


☆「五日市剛の今考えること」を毎回楽しみに見ている。
「魔法の言葉」は子どものほうが、スポンジに水が吸い込まれるように染み込まれるようである。五日市先生のブログに載っている子供のそうした情景を見るのは楽しい。

「娘が保育園で魔法の言葉を広めていますよ」というメールを京都の女性から頂きました。
彼女には保育園児の娘さんがいますが、魔法の言葉を知ってもらいたくて、僕の絵本を何度か読み聞かせしたそうです。すると年長の娘さんは、保育園でケンカしたり悪い言葉を使ったお友達に「ありがとう」と言うようになったそうです。相手の子供はきょとんとして、「何で???」と言うそうですが、そのときは、「あのな、こういうときに『ありがとう』っていうたら、いいことがおこるねんて」とこっそり教えてあげるそうです。彼女はそれを聞いて感心しながら、娘さんに「あなた、すごいねえ」と褒めたそうです。だから、それから毎日のように、多くのお友達に『ありがとう』の効果を伝えたのでしょう。
ある日、娘さんの お友達が他の子とケンカしたとき、「ありがとう」と言ったら、相手の子はきょとんとした。そこでその子は、相手にその言葉の秘密をそっと教えたそうです。そして、その子もまた別な子へ・・・。
なんか、とても微笑ましい情景が目に浮かびますね。


☆五日市剛さんのブログに「お留守番、ありがとう」という感動的な話が載っていた。

それは以前、学校の先生をされていた70代の女性が五日市さんに話されたことだという。

◆2009年4月28日文京区シビックホールで五日市剛さんの講演会があって聴きに行った。去年、名古屋まで聴きに行って以来である。

4月28日に文京区シビックホールで五日市剛さんの講演会があり、久々に行ってきた。聞くたびに新しい感動をいただく。
子育て支援の活動をしている主催者の挨拶によると、当初は子供むけの集会で、言葉の大切さを教えてほしいと依頼したのだが、五日市さんから「大人も最近暗くなっているようですから、ぜひ大人向けの講演会もやりましょう」と言われ、急に一般向けの講演会を開催することになったのだという。そういうことで開催者の苦労も並大抵ではなく混乱もあったらしい。
私も事前にメールでチケットをお願いしていたのだが、全く返信がなく、仕事が忙しかったこともあって、当日行く事にしたのだが、当日券を購入する列に並んでいたら、中年の女性が10番目くらいに並んでいたわたくしのほうに来て、「チケット買われるんですか?余っているんですが、1枚買っていただけますか?」と聞かれ、喜んで買わせてもらった。
そこで講演会のイスも前のいいところが取れ、懐にもやさしいというものだった。『ツイてる!運がいい』
翌日は、本来の目的の児童向けの講演をされるということだったが、五日市さんは最近学校での講演活動に力を入れられているようだ。五日市さんの公式ブログにそんなことが書いてあった。
少し抜粋してみよう。

「『ツキを呼ぶ魔法の言葉』のお話をしてくれませんか」と講演の依頼を受けることがあります。公共のホールにて、不特定多数の方々を対象とする場合が多いですが、企業内での研修やさまざまなイベント、さらには学校からもよく依頼されます。

学校関係では小学校が一番多く、次いで中学校です。高校でもこれまで15校ほどで講演させていただきました。
魔法の言葉のお話は、子供たちの心にスーっと入りやすいようで、講演後の反響が意外と大きく、親や先生方からお便りをたくさんいただいています。
「子供たちが乱暴な言葉を使わなくなり、クラスの雰囲気が良くなりました。」
「学級の日誌に感謝の言葉が増えました。」
「夫婦喧嘩していたら、『お母さん、そんな時は、 ありがとう でしょう』と子供に注意されました。」
などなど。微笑ましいお手紙やメールを連日いただいています。 

(略)

そういえば、先日、嬉しいお便りが来ました。ある学校の教頭先生(K先生)からです。
中1の生徒たち全員に「ツキを呼ぶ魔法の言葉」のミュージカルDVDを観せて、授業を行ったそうです。なんと5時間に及ぶ特別授業。
K先生のお手紙の中には、こう書かれていました。

「私は教師という立場から、子供たちに『言葉を大切にすることが、自分の人生を幸せにする大きな力となる』ことを伝えたいと考えてきました。
これからも、『いい言葉をつかって、幸せになろう』というスタンスでいきたいと思います。教育は、幸せになるためにあるのだと思います。それで、言葉にもっと目を向けた教育を推し進めるならば、明るい言葉が飛び交う学校がたくさん現れるでしょうし、生きていくこと自体にも、いつも前向きになれると思うのです。そうなれば、『いじめ』『不登校』などは減っていくと思うのです。
とにかく、自分にできること:『言葉を大切にして、心豊かに幸せに生きていくための教育』をテーマに、これからもコツコツやっていきたいと思います。」


☆2008年11月30日鹿児島県鹿屋(かのや)市で五日市剛氏アンコール講演があった。
不況の影響もあるのか、ありがとう実行委員会大隈のボランティアスタッフもチケットの販売に苦労していたと聞いていたが、当日は盛況だったと聞いて嬉しかった。五日市さんも翌日まで鹿屋市にいて、 「ツキを呼ぶ魔法の言葉ミュージカルDVD」を呼ぶ魔法の言葉ミュージカルDVD」鑑賞会に解説もされたとスタッフの友人からのメールにあった。
私は残念ながらスタッフとして参加できず、遠くから応援していただけだったが、最初チケットの売れ行きが伸びず、スタッフ一同がベクトルをあわせ、心を一つにして努力し、そして成果があがったこと自体が、素敵なことのようにも思われた。

☆「ツキを呼ぶ魔法の言葉ゴールドラッシュ」のマスオさん朗読CDを繰り返し繰返し聞いている。もう300回以上になる。

ツキを呼ぶ魔法の言葉ゴールドラッシュ

イスラエルでツヨシ青年が出合ったおばあさんから 幸福をもたらす魔法の言葉 を教えてもらうストーリーである。

サザエさんでマスオさん役をやっている増岡弘さんが地の文とツヨシ役を、花岡亜矢さんがイスラエルの不思議なおばあさん役をやっている。

☆平成20年3月14日、マキノ書店から五日市剛さんの新著不良少女の家庭教師が発売された。
2月11日の尾西市の講演会で、まだ色の塗っていない線だけの原画で五日市さんが話され、とても感動した。
早速書店に注文しなくちゃ。
『わらびーちゃんの伝言』を母の親しくしていた友人に差し上げてとっても感謝された。また贈って差し上げよう。
小学校の先生をされていた人だったから、同じく感動してくださるであろう。
母が大事にしていた人が喜ぶと母もまた喜んでいるような気がする。

☆平成20年2月11日、愛知県尾西市の尾西市民会館で五日市剛氏講演会が開催された。

五日市さんはこう言われた。

「朝起きたら『今日とってもいいことがたくさんありました!』と言いましょう。
夜寝る時、今日起こったいい出来事に『感謝します 』と言いましょう。」

☆平成20年2月3日、五日市剛さんの講演会が鹿児島県鹿屋市(かのやし)の鹿屋市文化会館であった。
鹿児島での講演は、平成19年5月20日志布志市文化センター、同年10月14日に鹿児島市民文化ホールで開催されている。
志布志で1,000人、鹿児島で2.200人、鹿屋で1,050人いずれもそれぞれの会場が満員となる盛況ぶりだったという。
注目するべきは、その運営形態で、鹿児島は阪東機工という会社の60周年記念として開催されたが、志布志と鹿屋は「ありがとう実行委員会」というボランティアの組織が運営主体で、志布志での実行委員がそのまま鹿屋の実行委員会に参画してあたかも引き続き運営したかのようなかたちとなった。
実行委員に聞くと講演会後も「ありがとう実行委員会に入れてください」という希望が多いということである。
これで終わりなのにねとその友人は笑っていた。

そして鹿屋講演会の「ありがとう実行委員会」の2次会において、五日市剛さんが「感謝!」と乾杯の音頭をとられたと友人が語ってくれた。
すると別の委員が「先日結婚式に出席したら『ありがとう!』と乾杯しましてね、あれもよかった」という話を披露して、二次会の全員で「ありがとう!」「ついてる!」と乾杯したという。
いいね、これから是非「感謝!」「ありがとう!」と乾杯することを提案しよう。


五日市剛(いつかいちつよし 工学博士)さんのエッセーより

 今から十三年ほど前、僕がまだ大学院の学生だった頃のことですが、一ヶ月間イスラエルを貧乏旅行しました。
「中東の取材」が名目でしたが、実はそれまでやっていた研究に行き詰まり、人間関係にもひどく悩み、さらに気性の荒い自分の性格も好きになれず、現実から逃避したい気持ちがあっての一人旅でした。

 ある寒い日の夕方、ハイファという港町にバスで着き、さっそく宿探しを始めました。
が、なぜかどこのホテルも休業中。
「そんなバカな」と焦って探しても、開いている宿は一向に見つかりません。
どんどん夜が深まり、寒さも一段と厳しくなってきました。
その日は数十年に一度の大寒波がイスラエルを襲った、とんでもなく寒い日
でした。もし、野宿したら死んでしまいます。

 「オレの人生ってここまでかな」 ・・・そうつぶやきながら、肩をガクッと落とし、トボトボと通りを歩いていると、一人のユダヤ人のおばあさんが話しかけてきました。

 「どうしたんですか?顔色が悪いですよ」

 「日本から来たんですけど・・・泊るところがないんです。」

 それから5分くらい話したでしょうか、そのおばあさんは微笑んで

 「よかったら、私の家へどうぞ」

 僕もさすがに、すぐに「うん」と言わずに。
 「もうちょっとホテルとかを探してみます。
  それで、もし見つからなかったらおじゃまするかもしれません。
  その時はよろしくお願いします。」


でも結局、どのホテルもみんな閉まっていて、そのおばあさんの家へ泊めてもらうことになりました。
おばあさんの家に着くと、まず、おいしい夕食をごちそうになりました。
その後、おばあさんは電気を消してロウソクを灯し、いろんな興味深い話をしてくれました。

 その中で、

 「運命というのはね、本当にあるのよ。
それに、ツキというものもあるのよ。
そのツキというのはね、実は簡単に手に入るものなのよ」

 と言ったものですから、
「えっ、本当ですか?
 どうしたら得られるんですか?」
と尋ねました。

 「あのね、ツキを呼び込む魔法の言葉が二つあってね。
これさえ唱えていれば誰でもツキっ放しになるわよ。」

「何、なに?教えて下さいよ」

「いいわよ。
一つは『ありがとう』、もう一つは『感謝します』。
普段何気なく使っている言葉だけど、使い分けるといいわ。
・・・そうね、
どんな些細なことでもいいから、いやなことがあったら「ありがとう」。
逆に、良いことがあったら「感謝します」何度も繰り返し繰り返し言うの
よ。
そしたら、絶対にツイてくるわ。
本当よ!」

「五日市さん、あなたの親が亡くなっても、歯をくいしばって「ありがとう」と言うのよ。
どうしてかというとね。
イヤな事が起こるとイヤな事を考えるでしょう。
そうするとね、またイヤな事が起こるの。
不幸は重なるというけれど、それは間違いなくこの世の法則なのよ。
だけど、そこでね「ありがとう」と言うとね、その不幸の鎖が断ち切れちゃうのよ。
それだけでなく、逆に良いことが起こっちゃうの。
だから、「ありがとう」という言葉はね、魔法の言葉なのよ・・・」

 また、おばあさんは次のようなことも言いました。

 「絶対に人の悪口を言ってはダメ。
 言えば言うほど、あなたからツキはなくなっていくわ。

 怒れば怒るほど、あなたがせっかく積み重ねたツキがどんどんなくなっていくのよ。
 だからネガティブな言葉を言ってはダメ。

「てめえ!」「クソったれ!」「死んじまえ!」などと汚い言葉を平気で使っている人はね、そういう人生を歩むのよ。
人の口から発せられる言葉はね、魂を持っているものなの。
本当よ。
だから、きれいな言葉を使いましょ」
 

 おばあさんのお話に、僕はとても感激しました。
僕の唯一の取り柄は素直なこと。
だから、この日以来、おばあさんから言われたことをひたすら日々実践しています。
結果は言うまでもありません。
思いっきりツキまくりです。

「オレってどうしてこんなに運が良いのだろう」の毎日となりました。

五日市さんは「おわりに」こう言われています。

「プラスの言葉は魔法となってステキな出来事を体験させてくれます。
ステキな出来事に「感謝」。
そして、素晴らしい運命に「感謝」しましょう。
 もし、最愛の人を亡くしたら「ありがとう」。
交通事故にあっても「ありがとう」です。
これですべてオーケーです。
何も心配することはありません。
まだ起こっていない未来に対して「不安」がったり、
「心配」したりするのはもうやめましょうね。」

さらに後書きにこうあります。

「イスラエルから帰国した後、おばあさんにお礼の手紙を送りましたら、
すぐに返事が来ました。
「心の持ち方って大事よ。
だけど、もっと大事なのはね、言葉の使い方なの。
どんなことを口に出すかであなたの目の前の状況が変わってくるし、
あなたの心も変わってくるの。
本当よ。」



☆PHPから「賢者たちのメッセージ」が発刊された。

五日市剛さんへのインタビューも載っている。

五日市:あのイスラエルのおばあさんは、当り前のこと、つまり道徳的・倫理的なことを僕に教えてくれたんだと思います。

ただ、ユニークなのは、嫌なことがあったら「ありがとう」、嬉しいこと、楽しいことがあったら「感謝します」といいなさい、といったことです。

要はどんなことでも感謝する、ってことですね。

でも実際に目の前で嫌なことがあったら、なかなかそのことに感謝できないじゃないですか。

だから、スッといいやすいように、嫌なことがあったら『ありがとう』を自分にインプットしかもすぐにいう。

これがコツです。

 イスラエルのおばあさんに「ツキを呼ぶ魔法の言葉」として「ありがとう」「感謝します」を教えられた頃、僕の人生は本当にどん底でしたから、
「よ~し、そんな言葉で本当に人生が好転するなら、日本に帰るまでの間に、その言葉を自分のものにしてやる!」と堅く決意しました。

 ですからお店でマジックを買って、自分の手の甲に「ありがとう」「感謝します」「俺って運がいい」「ツイてる!」と書き、服に、シャツに、パンツまで書きましたね。

部屋のいたるところにも、そう書いた紙を貼りました。

僕は本気でしたから、「笑いたい奴は笑えばいい、でも僕は日本に帰るまでに絶対にこの言葉をものにしてやる。絶対に口癖にするぞ!」と気合が入っていました。

習慣化するまで繰り返しました。

イスラエルで死ぬ気でやってましたから日本ではスッとできましたね。

☆「運命を変える言葉」108ページで五日市さんはこうおっしゃっている。

「ご存じのように僕は学生時代、イスラエルを旅行中に

『ありがとう』『感謝します』というツキを呼ぶ魔法の言葉を、あるおばあさんから教えてもらいました。

こうしたプラスの言葉を常に口から発しなさい。

嫌なことがあっても、すぐに ありがとう と言いなさい。

すると運命を好転させることができる
』と教えられ、それを素直に実践して確かに人生が大きく変わりました。

いま思うと、その教えの本質は、『何に対してでも感謝しなさい』ということなのでは思っています。」



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