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五日市剛さん、「魔法の言葉」のメッセージ

全焼の座敷わらしの宿、再開へ 周囲で相次ぐ不思議体験
朝日新聞デジタル 5月8日(日)

「座敷わらしの宿」として有名な岩手県二戸市・金田一温泉郷の旅館「緑風荘」。火災で全焼したが、5月14日に営業を再開する。3代目社長五日市洋(しょう)さんは再建の喜びをかみしめつつ、座敷わらしが戻ってくるのを心待ちにしている。
宿場町として栄えた金田一温泉郷には「平民宰相」原敬や松下電器産業の創業者松下幸之助も宿泊した。緑風荘の建物は、江戸時代の1689(元禄2)年ごろに建築されたと伝わる。五日市さんの祖父が1955年に営業を始めた。

 座敷わらしの言い伝えは、南北朝時代にさかのぼる。北軍に敗れて逃れる最中、五日市家の先祖である藤原朝臣藤房の長男で当時6歳だった亀麿(かめまろ)が病で亡くなった。そのとき亀麿は「末代まで家を守り続ける」と言い残し、座敷わらしになったという。宿の敷地には亀麿をまつる亀麿神社がある。

 2009年10月4日夜。近くに住む小林茂巳さん(63)がサイレンの音で外に飛び出すと、緑風荘から火の手が上がっていた。急いで自宅裏手の畑に登ると、宿から丘に向かって小さな光の玉がふわふわと風になびくように飛んでいくのを見た。すると程なくして小雨が降り出した。

 小林さんは、この日は満月がよく見える、雲一つない夜空だったと記憶している。「火の勢いを消すため、座敷わらしが雨を降らせたのでは」と信じている。宿は全焼したが、宿泊客と神社は無事だった。

 緑風荘の名物は「槐(えんじゅ)の間」。この部屋で写真を撮ると光の玉が写り込み、これが座敷わらしとうわさされた。「一緒に遊んだ」という客の体験談も多い。

2015年1月28日のフジテレビ ホンマでっかTV で


心理評論家:植木理恵さんが、「心理学に100人村実験という研究がある。100~200人規模の村をつくって、作用を与えたら集団がどう動くかを調べる。
ある実験で、「この頃、不景気だ」という言葉を聞かせると、本当に村の人達は暗い気持ちになり、物を買わなくなる。本当は不景気でなかったのに不景気になってしまう」

人間は耳から入る情報と矛盾しない行動をとる。

暗く愚痴が多い集団の中にいると自らも笑顔が少なくなる。


◎自分の発した言葉を一番最初に聞くのは自分の耳である。耳から入った情報が4自分の深層心理を形づくる。人は自分が発した言葉どおりの運命を生きるのである。いやなことがあったとき、「ありがとう」と自分に言うというのが「魔法の言葉」が効果がある理由の一つであろうか。




2015年1月31日
今年3月末で定年退職となる○○さんと先週、仕事の帰り待ち合わせて、会食しながら懇談した。

その際に、「ツキを呼ぶ魔法の言葉」をお貸ししたら、「二つの箱の話が面白かったです」というメールがあって、小冊子が返送されてきた。

中に500円の図書券が入っていたので驚いた。その前に「二宮尊徳と日本近代産業の先駆者鈴木藤三郎」を差し上げており、そのお礼であろうか。

小冊子まさに受領の旨メールすると、その返信に興味深いコメントが付されていた。



大事な本が無事に到着した連絡、安心しました。

アプリーシエイトという意味を改めて辞典で調べたら

高く評価する、
感謝する、
鑑賞する

という意味合いの英語だとわかりました。
何となく、わかったような気もしてきました。



○○さま

アプリシエイトの意味の解釈は実は大切なところで、

起ったすべてのことを 私は正しく理解し評価しました、

そういう気持ちで感謝するという意味合いを持っていて

心の底から、感謝の言葉を発する、

まだ起こっていないことでも、ありありと すでに起こったこととして 

はっきりとくっきりとした ビジョンを描いて感謝する。

すると深層心理は現実とイメージの区別はつかないので、

起ったものとして、 それにふさわしい 行動や出会いがもたらされる

そういうふうに私は解釈しています。

先日(2015年1月28日)、さんまの「ほんまでっか」で

「人は耳から入る情報と同じ行動をとりやすい」と心理学の先生が言っていました。

自分が発した言葉を一番先に聞くのは自分の耳です。

ですから感謝の心をもって感謝の言葉を発することがとても大切なのです。

人は自分の発した言葉のとおりの人生を送る というのはそういうことかもしれません。

魔法の言葉は、言葉に出して(不安も疑いもなく)言い切ることが大切だということ

五日市先生が「自分に対して『ありがとう』と言ってください」というのはそういうところにあるのだと思います。


全焼から5年「座敷わらしに会える宿」の今
東スポWeb 11月23日(日)

「座敷わらしに会える宿」として全国的に有名だった岩手県二戸市、金田一温泉の緑風荘が全焼して5年。いよいよ再建に向け動き出した。しかし気になるのは、再建された宿に座敷わらしが再び現れるのかどうか? そして、そもそも座敷わらしに守られていたはずの宿がなぜ火事になったのか? 経営者の五日市洋氏(47)に聞いた。

 緑風荘は、築300年の母屋と築50年ほどの新館で構成されていた。座敷わらしの目撃情報が多かったのは、母屋の槐(えんじゅ)の間。ここで座敷わらしに会うと出世するという伝説があり、過去にはホンダの創業者本田宗一郎氏、パナソニック創業者松下幸之助氏が宿泊し、ともに会社は世界的企業に。「栄光の架橋」が大ヒットする前のフォークデュオ「ゆず」の岩沢厚治(38)も宿泊し、有名作家や政治家が座敷わらしに遭遇した経験を語っている。

 その緑風荘で火災が発生したのは2009年10月4日。午後8時半ごろに出火し、母屋と新館が全焼し、21人の宿泊客と従業員は全員無事だった。

 五日市さんによれば「警察と消防からは、特定できないけれど原因は配電盤では、と言われました。あの時はお客さんに逃げてもらわなきゃと必死でした」という。焼け跡は更地になり、現在は足湯が設置されている。

 座敷わらしに守られているはずの宿が焼失したのはなぜ?と素朴な疑問を抱く記者に、五日市さんは意外な事実をこう明かした。

「実は母屋も新館もだいぶ土台が傷んでいたんです。改修しなければいけなかったけど、3年先まで予約が切れずに入っていたので、できなかった。火事は東日本大震災の1年半前ですが、あの地震がきたら倒壊して犠牲者が出ていたと考えられます。また直前は満室がずっと続き、働いている家族は休みが取れずにいつ倒れるかという状態でした。火事で犠牲者は1人もいませんでしたし、旅館だけが燃えて、すぐ隣の家には延焼しませんでした。後から考えると火事になったことで助けられたというか、守られたとさえ思います」

 では座敷わらしは再建後に再び現れるのか? 

「うちの座敷わらしは亀麿というご先祖で、うちの守り神ですから、他所には行かないと思います。実は300年前に隣の集落からここに移ったきっかけも火事だったそうです。『新しくしろ』という意味があったのでしょう。早く再建して、遊び場を作ってあげなくてはと思っています」

 現在、五日市さんは緑風荘の敷地の近くで居酒屋「ゆのはな交流館」を経営。緑風荘の再建については「7月にようやく再建計画がまとまりました。総額で約3億円が必要で、自己資金と銀行からの融資などで大部分はまかなえるのですが、5200万円届かず、この分をファンドと寄付でご支援をお願いしています。7月からの4か月で3分の1集まりました」。

 ファンドは投資金額によって、再建後の「特別先行予約権」が与えられるという。

 火災後「先祖をちゃんと拝まないからだ」と叱られたとも言うが「私にとっては悪いことではなく、再生のきっかけだと思っています」と五日市さん。再び客を招く日が待ち遠しい。


2014年3月16日(日)静岡市内の商工会議所のホールで午後1時から、五日市剛さんの講演があり、聴きに行ってきた。

午前中、駿府城跡や静岡市内を散策する。

午後からの五日市さんの講演はパワフルなユーモアに満ちたものであったが、

話の中で 長野中央タクシー の話が面白かった。



長野市で予約率90%、すなわち街中ではほとんど見かけないという奇跡の会社として たけしのアンビリーバブル や カンブリア宮殿でも取り上げられた企業でもあるという。

特に長野オリンピックの時に、ほかのタクシー会社が県外の客の予約で躍進したのに対して、

中央タクシーは、常連のお客様が困るからと、県外のお客を断って、県内のお客様を優先したたため絶大な信頼を得て、「中央タクシーじゃなければ乗らない」という熱烈なファンに支えられているという。

五日市さんは、アンビリーバブルの映像から、三例の運転手のお客様の立場にたった対応を紹介された。

一つは 幼稚園で子供が熱を出して、中央タクシーの運転手が自宅に呼ばれてお母さんを乗せて、幼稚園まで子供を迎えに行き、病院までお母さんと子供を運んだときのことであった。

病院で降車のおりに、お母さんが財布がないことに気づいた。

「後で支払いますから」と、ひとまずお母さんは熱のある子供を連れて病院に急いだが

運転手は、その後、空き地に車をとめて、後部座席の隙間に財布が落ちていないかと

後部座席を分解してまで徹底的に捜した。しかし財布は出てこない。

そこで運転手はさきほど母と子を乗せた幼稚園まで行って、お母さんが子供を受け取ったあたりを捜したがない!

そのとき、運転手は思い出した、お母さんが子供を受け取る際、途中つまづきそうによろめいたのを見ていたことを。

そのあたりを捜索すると あった! 財布がタイヤの遊び道具の内側に落ちていたことを発見した。

運転手は、病院で会計のため待っていたお母さんに差し出した!

そこまでする タクシーの運転手がいるだろうか。

ある寒い日に結婚式の披露宴に子供を連れたお母さんが、中央タクシーに乗って、

車中で「子供にはかせる靴下ないかしら」とつぶやいた。

朝早く、どこの商店も空いていない。披露宴会場に母と子を送り届けた運転手は、帰り道、シャッターをあげる衣料品店を見つけた。さきほどのお母さんのつぶやきが耳に残っていた。

すぐに衣料品店に入って、子供用の靴下を買い求め、披露宴会場に届けた。

お母さんは驚いた、そこまでする親切心に。その靴下は宝物のようにとってあるという。

そういう感謝の手紙がたくさん会社に届くという。

長野中央タクシーの運転手の人たちは口を揃えて言う。

「私たちは当たり前のことをしたまでです」と。



そこの現社長が五日市さんのファンであるという。



そこで中央タクシーで毎朝やっている「ありがとう体操」を一緒にやってみましょうと五日市さんが言って、

会場のみんなとやった。



右手を左胸の上において 「ありがとう」

左手を右胸の上にさらにおいて「感謝します」

手の平を 上にひらひらあげて「ついてる ついてる」といって

隣の人とハイタッチする。



魔法の言葉の実験と検証をやっている仲間○○さんに やってみましょう と やってみた。

すぐに応じて 「ありがとう 感謝します ついてるついてる ハイタッチ」



「素晴しい なんのためらいもなく これができることが!」

「もうそういうのは とっくに 棄てていますから」

「我意識過剰の人は 人が見ている前で こういうことは出来がたい。

この『ありがとう体操』は、今やっている 感謝の実験と検証に通ずる 毎日一日の始まりを 感謝ではじめるということに通じているかもしれませんね」




「魔法の言葉」の実験と検証 2014年02月20日


3人で 3か月間と期限をきって 魔法の言葉=感謝 の実験を行っている。

3人で 朝、起きたとき、自分だけでなく、ほかの二人も同じように「いいことがありました」と感謝するだけである。

そして一か月ごとに、駅構内のスターバックスに集りお茶しながら 感謝の実験 の 検証を行う。

2月19日、2回目の検証を行った。非常に近似した体験がうちうち2人にあった。

財布や大切なものをなくしたのが、すぐに出てきた!!

またもう一人は、本来ありえないようなことが起こって、それも一、二度ではなくて驚いたいう報告もあった。

そうじて「とてもいいことが起こっている」という結論であった。

しかもこの検証の会合で、Sさん(他の2人は面識もない)も一緒に実験に参加することが了承された。すると、すぐにいいことが連鎖して起こり出した。
「すぐに連鎖するようにいいことが起こる」2回目の検証の当面の結論である。


この実験は、「はい、わかりました」という素直に受ける心を必要とする。この実験に参加できる人は ごく限られている。そういう意味で、現在、3人で実験できているということが、ある意味驚くべきことなのである。

次の検証が楽しみである。

「これはねえ、言葉が変われば行いが変わる、行いが変われば習慣が変わる、習慣が変われば性格が変わる、性格が変われば運命が変わる というその連鎖を実際に自分一人でなく三人で体験するということ-町づくりには三人以上が必要だというドイツのグラウテルさんの言葉による-の実験なんだ。そしていつでも、感謝神経(反射神経のもじりだけどね)が発動できるように、自分を変えていこうという実験でもあるんだ。」

疑惑や不安があると 波の下に沈没してしまうであろう。

なにやら、海の上を歩くイエスに弟子が「私も歩けますか」と尋ね、「来なさい」とうながされて、歩き出したものの 疑惑が根ざすや 波の下に沈んでしまった弟子の話を思い出す。

疑いもなく不安もなく 感謝するということが大切なのである。




2013年3月15日に伊勢原の国際ソロプチミストの記念講演で五日市さんの講演会があり聴きにいった。講演の中で、ソフトバンクの武田選手も「ツキを呼ぶ魔法の言葉」の愛読者でいつもカバンに入れて持ち歩いていると言われていたが、まさしくその記事があった。

開幕ローテへ超ポジティブ 遠征に啓発本持参 武田 2013年3月12日

 12日のオリックス戦に2番手で登板予定の武田が「超!ポジティブシンキング」で開幕ローテ入りを確実にする。高校時代の愛読書で、「ありがとう」の言葉に支えられた著者の体験がつづられている小冊子「ツキを呼ぶ魔法の言葉」(五日市剛、マキノ出版ムック)を今回の大阪遠征に持参。巨人の原辰徳監督も昨年読んで啓発され、自身や球団の騒動を乗り越えて日本一につなげたとされる本だ。

 武田は「安打を打たれてもゲッツーを取ればチームが盛り上がるというように、前向きになれば動じない」と感銘を受けた。2回2安打無失点だった3日の巨人戦に続き、今回もオリックス打線を抑えれば開幕ローテ入りは決定的。「摂津さん、大隣さんと3本柱を務めるつもりで投げる」と強気に意気込んだ。

=2013/03/12付 西日本スポーツ=

http://www.nishinippon.co.jp/nsp/hawks/item/352441


2013年1月18日 
昨年2012年12月15日浜松市で五日市さんの講演会があり、聴きにいった。

講演の最後に「君は木村政彦を知っているか」(ユーチューブで見れる)というDVDを上演された。木村雅彦は柔道で「木村の前に木村なく木村の後に木村なし」と言われた不世出の柔道家である。全日本柔道三連覇、十年以上不敗の記録などがある。その練習は人の三倍にも及ぶ凄まじいものだった。

五日市さんがおっしゃりたかったのは、感謝と努力を続けると、ツキ(幸運)が生れます。しかし、木村をみならって努力をレベル・アップする必要があるということだった。

うむ、木村ほどの努力は年をとると難しいかもしれないが、感謝のレベル・アップはいくつになってもできると思った。

また、五日市さんは、今でも毎月繰り返し東日本大震災の被災地に支援に行っておられる。気仙沼の「金のサンマ」を知人に贈られたという。
「被災地支援の一環として気仙沼のさんまを送りました」
お金と心の良い循環を作る、単なる寄付よりも、お金の喜ぶ使い方にほかならない。



2012年6月24日
 

五日市剛は工学博士で会社社長です。

その講演をまとめた「ツキを呼ぶ魔法の言葉」という小冊子は100万部以上の大ヒットし、関連書籍を含めると300万部以上発行されています。

五日市さんがイスラエルに行った時、一人のおばあさんに教わった話が中心で

五日市さんはイスラエルに着くなり、財布を亡くすわ、換金サギにあうわ、お天気まで70年に一度の大寒波でイスラエルは温かいと聞いて軽装で来た五日市さんにとって、まさにツイてない旅でした。

ところが、そのおばあさんに出会ってうちにいらっしゃいと誘いを受けて夕食をいただいてから、「ツキを呼ぶ魔法の言葉」を教わります。

「ついているとかついていないとか運ってあるわね。運って簡単に手に入るのよ」とおばあさんは言いました。

「ええっ、おばあさん、教えてくださいよ」イスラエルに着いてからツイていなかった五日市さんは真剣におばあさんに向き合って聞き耳を立てます。勿論、英語での対話です。

おばあさんは「The Mazic Words bringing Hapiness」と言ったそうです。

「幸福をもたらす魔法の言葉」ですね、それを五日市さんに伝授しました。

○「The Mazic Word」の一つは「ありがとう」です。Thank you ですね。

「なあんだ、おばあさん、そんなの誰でも使っているじゃないですか?」

「そうかしら。使っているようでホントは使っていないんじゃないかしら。『ありがとう』は使い方があるのよ。嫌なことがある時、『ありがとう』とすぐに言いなさい。」

「ええっ、嫌なことがあった時ですか?でも、誰に対して言うんですか」

「ただ言えばいいのよ」そうおばあさんは言ったとあります。先日、千葉市で開催された五日市さんの講演会に行きましたが、最近五日市さんは「自分に対して『ありがとう』と言いなさい」というように変わってきているようです。

「悪いことがあるとまた悪いことが続くでしょう。『ありがとう』と言うと悪い流れが断ち切れるの。それだけじゃなくて、悪いことがいいことに変っていくの」とその魔法の言葉の効用についておばあさんは語ったそうです。すぐに「ありがとう」と声に出して言うことがポイントです。

五日市さんがその後、すぐ言えるために水性マジックで手やハンカチやパンツまで『ありがとう』と書いて習慣にしたそうです。その後、イスラエルを旅行するなかで、ひったくりに会った時『ありがとう』、車にぶつけられた時『ありがとう』といってそのつど災難を免れた『魔法の言葉』を信じるようになったことが小冊子に説かれています。

「もうひとつ魔法の言葉があるのよ。いい事があったら『感謝します』と言いなさい。」

「五日市先生『感謝します』は英語では、何と言うんですか?」

今日、神奈川から一緒に来てくれた杉山君と桜木町駅で初めて五日市さんに会って一緒に飲んだ時に聞きました。

「英語では I'm appreciated といいます。『有難うございます、感謝します』という意味ですね」と答えられていました。

「五日市さんね、感謝しますにはもう一つの使い方があるのよ」とおばあさんは言ったそうです。「まだ起こっていないことも、そうなったと確信をもって『感謝します』と言えばそうなるのよ」と。実はこれは私も愛用しています。

 そうならなかったらどうするか。大丈夫です。ちゃんと用意されてます。

五日市さんは言われます。

「どっちに転んでも大丈夫」と。




2012年4月14日

「ツキを呼ぶ魔法の言葉」五日市剛著(「小冊子」と呼ぶ)に「お金の使い方」の話がでてくる。五日市さんがイスラエルのおばあさん宅に泊った翌朝、五日市さんはおばあさんから2つの箱を貰う。

「お世話になったうえに贈り物まで貰うわけにいきませんよ」というと、それまでニコニコしていたおばあさんが急に真剣な顔をして「そうですか。それなら買ってください」と言い出した。意外な言葉にギョッとして「おいくらですか?」と聞く。「いくらでもいいわよ」と言う。お世話になって泊めてもらったりもしたので現地の人にとって大金だと思われる一万円相当のお金を五日市さんは渡した。するとおばあさんは「やっぱりね」と、ポツリと言ったという。

小冊子では「やっぱりね」で終わっている。本当はこれに続く言葉があったと五日市さんは言う。おばあさんの言った言葉は「やっぱりね。あなたはお金の使い方を知ってるわね」だった。

 「お金の使い方」とは何か。五日市さんはそれは「お金の喜ぶような使い方」だという。つまり、お金を使うことで相手が喜び、その相手とかかわる人たちも喜び、お金を使った自分自身も喜ぶ。すると喜びの連鎖が生じる。


 小冊子では斉藤一人さんが、「人生の岐路に立って迷う時、どっちが正しいかではなく、どっちが楽しいかで選ぶとうまくいきますよ」という話も出て来る。
 これはお金の「正しい」使い方ではなく、お金の「喜ぶ」「楽しい」使い方にほかならない。
 五日市さんは、お金にも意志と意識があり、お金がを喜ぶ使い方をすると、お金は喜んで友達を連れて返ってくるというのである。





五日市剛さんの 五日市剛の今考えること ブログに「いつでも変われる」(2011年10月27日)という話が載っている。

一部引用してみよう。

「最近、79歳の女性から相談を受けました。

何年も前からご主人が嫌いで嫌いでたまらないとのこと。

同じ空気も吸いたくないなんて言っていました。

結婚して良かったなんて思ったことがほとんどないそうです。

ご主人は会社経営をして潤っていましたが、社長を息子さんに譲り、第一線から退いています。

現役時代は売上を上げるために、ちょっと悪いことや人に憎まれることをやって会社を繁栄させてきました。

奥さんはそのことが心底気に入らないというのです。

「人間的に最低」
「いつも汚い言葉を吐く下級人間」
「感謝のかけらもない愚か者」

など、口を開くとご主人に対する不平、不満、愚痴しか出てきません。

ちなみにご夫婦そろって体調がずっと悪く、毎日大量の薬を飲んでいるそうです。

僕は中国占星術でお二人の鑑定をしてみました。すると、次から次へと意外なことが分かりました。

「今、あなたが豊かな生活ができるのは、ご主人の愛情のおかげですよ。ご主人は家族に裕福な生活をさせたいがために、がむしゃらに働き、会社を大きくすることだけを考えてきた。今ぜいたくな生活ができるのは、ご主人が人に憎まれ、泥をかぶってきたおかげです。ただ、そうしたことの積み重ねが今の病気に拍車をかけています。さらに奥様であるあなたからも罵倒され続けている。どうやら、このままだと来年あたりからご主人の健康状態に赤信号が灯るようです。つまり健康状態がますます悪くなり、2年以内には最悪のことになるかもしれません。だからご主人には優しくしてほしいです。そうすると、ご主人も必ず優しくしてくれます。マザーテレサは、「たとえあなたの人生の99%が不幸であっても、最後の1%が幸せなものであるならば、あなたの人生は幸せなものになる」と言いました。いま、あなたがすべきことは、こうしたことをよく理解した上で、ご主人に深く感謝することだと思います」

と伝えました。するとその女性は目を輝かせ、「分かりました」と言いました。

間もなくご主人に対しての姿勢がガラッと変わったそうです。

この数十年、ご主人に料理を作ってあげたこともないのに、一生懸命心を込めて作り始めました。

するとご主人も彼女に優しくなりました。

お子さんやお孫さんたちが皆びっくりし、「おばあちゃん、とっても変わったね。ものすごく明るくなったよ」と言われたそうです。

いま、毎日が本当に楽しい。私、生まれ変わったみたい、とおっしゃっていました。

そうですね、人間は何歳になっても変われるものなんですね。決して遅すぎる、なんてことはありません。」



五日市剛の今考えること 喜ばれること  2011年5月5日

にこんなことが書いてあった。

PHPから献本が届きました。
2006年9月に刊行された『賢者たちのメッセージ』が加筆・修正され、文庫本になったようです。

よく見ると、僕以外は有名人の方ばかりで圧倒されます。
この単行本が世に出てから、作詞家の吉元由美さんはますますご活躍され、指揮者の小松長生さんは金城学院大学の教授に就任されました。思わず、この本に手を合わせたくなります。

五日市さんは、5年くらい前からよく依頼講演を引受けて大勢のお客様の前で講演するのだが時々ふとこう思うことがあるという。

「このお客さんたちは、どうして来るんだろう?」

すると 『賢者たちのメッセージ』の中の一人が、こう教えてくれたという。

「そりゃ、あなたが講演で伝えていることはシンプルかもしれないけど普遍的な真理だ。何度も聴く価値がある。それに、講演会に来て下さった方々を一生懸命喜ばせようとしているでしょ。間違いなくあなたは喜ばせ上手だね」

もったいないお言葉です。これが、お客さんが何度も足を運んでくださる理由なのでしょうか。


なるほど。実は私も数十回五日市さんの講演を聞いているが、最初の頃、「いつも同じ話をしているのに申訳ありませんね」と五日市先生からよく言われたものだ。

わたくしはその都度同じく答えた。

「いえ、ラジオのチューナーを合わせるように、五日市先生の高い意識のレベルに合わせるために時々こうして講演会を聞きにくるんです。全く同じ話でもいつも面白く聞いています」

これは「パワーかフォースか」という人間の意識のレベルについての本に影響された考えである。

この本によると、人間の意識はキネシオロジーという筋肉の反射テストで測定することができる。それは0から1000に分類されうるが、これは乗数で働き、少しの違いが大きな違いとなる。人間の意識は磁石のような場があり、今いる場を快適に感じるため、より高いレベルの意識に出逢って感動し移行しようとしてもややもすれば元の意識のレベルに戻ってしまうというのである。


より高い意識のレベルに移行するメソッドの一つは、たえず高い意識のレベルの人に親近して接しまねることであると思われる。随聞録などはその類いである。


「あなたが講演で伝えていることはシンプルかもしれないけど普遍的な真理だ。

何度も聴く価値がある。

それに、講演会に来て下さった方々を一生懸命喜ばせようとしているでしょ。

間違いなくあなたは喜ばせ上手だね」 

というのもなかなか素敵な回答で、どなたのことか分らないが、さすがに 賢者 として紹介されているだけのことはある。

わたくしが今出逢った人を大切に思い、一生懸命喜こんでいただけるようにする。

そういう心遣いを 五日市さんの講演を聞くと学ばされる。



☆5月12日の夜、イタリアン・レストランで6人で会食した。話は五日市剛さんの講演会の話で盛り上がり、ひとしきり、話の花が咲いた。印象深い夜となった。

そのとき、6人ほどで フローナ さんとそのお友達の素敵な女性2人とテレビ局のディレクターの方などがいた。

「五日市さんが、イスラエルのおばあさんから 魔法の言葉 を聞いたのは ちょうど20年前なんだ。しかもそれは たった2日間の出来事で、実際に魔法の言葉の話を聞いたのは最初の一夜で、翌朝おばあさんは子どものところに用があるのでとゆっくりしてねと、初めて五日市さんにあったのに、まるで旧知のようにまかせて出かけて、それ以来、手紙のやりとりはあったけれども、会っていない。

 すごいことですよね、20年前の一夜の話が、こうして今、日本中に広まっているということは、そしてこうして ハングルの本 となって 世界に広まっていくということは。

 これって 本居宣長の『松坂の一夜』に匹敵する歴史的なことかもしれませんね。」

そういうと「ホー」と感歎のため息が出た。

逆に 松坂の一夜 の話を知る その夜の皆さんのレベルの高さに内心驚いたものだ。

○2011年5月12日 東京四谷のエイトスター・ダイヤモンドで午後6時半から五日市剛さんの講演会があった。

当日は朝から雨が降っていた。五日市先生は「昨日韓国から帰ったばかりで寝てないですから」と言われた。「ツキを呼ぶ魔法の言葉」のハングル版を作成されていたのだ。

会場は6時から整理番号順ということで、5時半過ぎにエイトスターダイヤモンドの1階で座って待っていたら、肩をポンとたたく人がいた。五日市先生で、一言三言言葉を交わしたがそれだけで来たかいがあるというものだ。とても嬉しかった。

ここのホールは3階で、せいぜい50名か60名くらいしか入らない。それだけに話す者と聴く者の間が近く、アットホームな雰囲気で話を聞くことができる。番号順に会場に入ると、最前列の左から3番目の席が開いていたのでそこに座る。まるで用意されたかのような心もちとなって愉快でもある。

エイトスターでは3年前も五日市先生の講演会があり、そのときは後で知ったのだが、なんと長蛇の列で、3階に入れない人は4階のモニター画面で講演を見たのだという。

6時半に講演が始まった。印象深かった話をいくつか。

・冒頭、言われたのが、怒るのはよくないということだった。

「『怒ってはダメ』とおばあさんは言いました。『でも子供が言うことを聞かないとか、部下が繰り返し同じ間違いをすると怒りたくなるでしょう』『でも怒ってはダメ。この世に正しい怒りなんてないの』」

「ダライラマの講演を聞いたとき、心を穏やかにすることが大切だといわれて印象に残りました。」

<うむ、耳に痛い。何度も講演会に参加して、同じ話ですよと五日市先生からも言われるのだが、私にとって、たとえばチューナーで意識のレベルを合わせるように、日常生活でずれてしまった自分を合わせる、そんなふうにも感じられる。だから同じ話でも喜んで聴くことができる>

・プロゴルファーの石川遼さんのスポーツ紙で担任の森本先生が、小冊子で「ありがとう」「感謝します」の実践を担任のクラス全員で行ったことは講演のたびに触れられているが、今回石川遼さんの小学校5年の将来の夢の作文と中学校を卒業するにあたっての作文を「誰のだかわかりますか?」と読んでいかれた。石川さんが小学校5年ときの作文で、きちんとタイムスケジュールのように期限を決めて夢をかたっている。そしてこう記す。

「マスターズ優勝はぼくの夢です。それも二回勝ちたいです。みんな(ライバル)の夢もぼくと同じだと思います。でも、ぼくは二回勝ちたいので、みんなの倍の練習が必要です。

 みんなが一生懸命練習をしているなら、ぼくはその二倍、一生懸命練習をやらないとだめです。ぼくはプロゴルファーになって全くの無名だったら、『もっとあのときにこうしていれば…』とか後悔しないようにゴルフをやっていこうと思います。」

 小学校5年で、これほどまでに明確に自分のプランを持っていたことに驚きである。ああ、自分は何をしていたのだろう。
 石川さんは最後に「ぼくの将来の夢はプロゴルファーの世界一だけど、世界一強くて、世界一好かれる選手になりたいです。」と結んでいる。

 まさに人は自分が考えたとおりの人間になるのである。

 中学校を卒業するにあたって、最高の3年間だったと支えてくれた父母や兄弟、そしてクラスメイトに心から感謝していた文章もまた感銘を受けた。

・手品で世界ジュニアチャンピオンになった原大樹さんがチャンピオンになるまでを追ったドキュメンタリー映画「Make Believe」が、ロサンゼルス国際映画祭に出品されるとき、原さんは中心になる人が「感謝します」を唱えなければいけないと考えた。
 この映画の中心人物は監督だと原さんは思って、監督に「感謝します」を言ってくれるように頼んだ。

 すると他のスタッフは馬鹿にしていたが、監督だけは一生懸命「グランプリがとれました。感謝します」と言ってくれた。そして、グランプリがとれた。アカデミーのドキュメンタリー部門にだって、ノミネイトされるかもしれない。

・事故で 右手が動かない、耳が聞えない、失語症になって、しかも アーティストとして 言葉と絵で 感謝のメッセージを伝え続ける タケ さんの話には感動した。隣りの女性の方はすすり泣いていたほどであった。
「河村武明さん、知っていますか?」と五日市さんが尋ねる?
会場の誰も手を挙げる人がいない。テレビ番組のビデオでその人生が紹介されると、隣の女性は鼻をすすって泣いていた。そのくらい衝撃的な人生だったのだ。

「画家の「たけ」さんは、失語症、言語障害、聴覚障害、右手障害…という重い後遺症をかかえていらっしゃいます。2001年に突然、脳梗塞で倒れたそうです。絶望感の中、左手で絵と詩を表現し始めた「たけ」さん。ご自身が立ち直るきっかけとなったありがとうの言葉の大切さを伝え続けたい!と、作品を作り続けていらっしゃいます。
さらに、「無口な講演」と題して全国で講演会をしています。
感謝の大切さなど、「たけ」さんの思いを文章にまとめたものを、スクリーンに写し代読で紹介。「たけ」さんは身振り手振りで、思いを伝えます。」

画家の河村武明さんは、感謝する大切さを全国に伝えたいと左手だけで思いを伝える。もともとアマチュア・ミュージシャンだったが、事故で4つの後遺症で将来に絶望し自殺まで考えたが、「ありがとう」だけ口に出して言えたのだという。そして「ありがとう」をいい続けてきたら、入院中絵描きになりたいとか、自分のやりたいことが次々と実現していった。
「ありがとう にはすごいパワーがある」とタケさんを支える女性は言う。
「タケの場合は 苦しいときも ピンチのときも やっぱり ありがとう と言い続けてきました」と言う。

<それにしても、失語症になったが、「ありがとう」だけはいえるということ。どんなときにも「ありがとう」と言い続けていたら、望みが叶うということ。そして、事故にあって4つの後遺症で不自由な自分を、前の自分より、今のほうがいいと言うのに心打たれた

最後のスクリーンに映し出された タケさんの『ありがとうの階級』


【ありがとう階級】

誰かになにかやってもらう時    ありがとうと 言うのが初級

いやなことくるしいとき病気さえも ありがとうと 言えるのが中級

何もないふだんの生活にも     ありがとうと 言い続けられるのが上級

2011.4.30 五日市さんのブログに 「魔法の杖 2011年4月27日」が載っている。    

☆5月12日四谷のエイトスターで五日市剛さんの講演会を聞いた話になる。

「五日市さんが、ある有名な経営コンサルタントの話を聞いたとき、そのコンサルタントが

『ちまたの本屋さんには、こうすれば成功するというノウハウ本があふれています。

でも、そういう本をいくら読んでも決して成功しません。なぜならば成功の方法はさまざまであり、人それぞれだからです。しかし、失敗する方法はあります。そうであるとすれば失敗する方法を避ければ、成功する近道だと思いませんか?』

五日市さんは、そう言って間をとってね、水差しからコップに水をくんで飲んだら、むせちゃったんだ。みんな、笑った。

『バチがあたってしまいました。気をもたせようとしたら。』そう言ってね。

「フフッ バチが当ったって言われたんだ。」

「そう、本当は、水を飲んだ後、お尻をかいてと、もう少し間をとるつもりだったらしんだけど・・・

 そこでね、『失敗する方法はあります。それは起こったことを人のせいにすることです。

起こったことを人が悪い、社会が悪い、政府が悪い そういう人は必ず失敗します。

ですから、以前、鹿児島に行ったとき、桜島がちょうど噴火したときも、わたしのせいだ、とそう思いました。変に受け止められるかもしれないので、周りの人には言いませんでしたけど・・・』

そうおっしゃった。5年ほど前に鹿児島の鹿屋(かのや)で『ありがとう実行委員会』が五日市剛さんの講演会を開催したとき、ボランティアスタッフの一人が五日市さんを空港に迎えにいったら、桜島を見たいということで、わざわざ錦江湾ぞいに遠回りに車を走らせたとき、桜島が噴火したとスタッフから聞いたことがあってね、あの時だったんだ。」

「なるほど、起こった出来事を人にしないから、『ありがとう』とすぐに自分に言えるということか」

 知人が用事を済ます間、待っていようと思ったら、ご一緒にどうぞと招かれて、素敵な体験ができた。

 用事を済まして、一緒に昼食を食べることにして、さらに話を続ける。

「五日市剛さんがコンサルタント、さっきのと同じ人なんだろうか、この人は誰なんだろうね。

 コンサルタントが話のなかで、『神、神』という言葉をよく使う。経営についての話でなぜ神が出て来るんだろうと疑問に思って、五日市さんは『あなたの言う神とは何ですか?』って質問したんだって。
 するとね、そのコンサルタントは『神とはタイミングです』そう言ったんだって。

いい答えだね。私とあなたが、こうして会えたのもまさしくタイミングでね、一昨日は会議の予定で、会えないと思っていたところが、昨日中止に決定してね、来れることになった。

まさしく神のはからい、タイミングそのものだものね。」

2011.4.30 五日市さんのブログに 「魔法の杖 2011年4月27日」が載っている。    

「ハリーポッターは魔法の杖を持つことで、自分の魔力をコントロールできるように
なりました。ハリーポッターの杖のように、自分の人生を自在にコントロールするも
の、それが口から発する『言葉』。そして、それを加速するツールの一つが『魔法の
言葉』なんですね。」

そして、ジョンレノンの言葉を引用される。

『僕たちは、今すぐにでも奇跡を起こすことができる。
大切なのは、奇跡が訪れたときに、それに気づき、そして感謝すること。
最初、それは日々の暮らしの中で 少しずつやってくる。
やがて川となって、そして海となってやってくる。』

『僕たちは、今すぐにでも “ 魔法の言葉で ” 奇跡を起こすことができる。・・
・』
自分が発した言葉が 奇跡とも思えるような現象を引き起こしても、人はなかなかそ
の因果に気づかないものです。 たとえ気づかなくても、起きた出来事に心から感謝
したいですね。」 


☆3月26日 O A さんからメールが入った。

「お久しぶりです。

お礼を言いたくて。

東北大地震に仙台空港に大型トラックで仕事中、大津波の被害にあった長男が一晩流され翌朝救助、名取市の避難所で5泊して会社の上司の迎えで帰宅。今は仕事に復帰しました。魔法の言葉と般若心経を唱え、生還を祈りました。本当にありがとう!感謝します。これからも謙虚に魔法の言葉を唱えます・・・」

それまで遠い話に聞いていた仙台空港の津波襲来が、急に身近に思えた瞬間であった。

☆Nさんから暑中見舞のハガキをいただいた。
二子が生まれたとある。写真には赤ん坊とともにお父さんに抱かれたやんちゃそうな男の子が写っている。

Nさんは職場で一緒で、結婚で退職した。
ご主人が独立して事業を起こすということであったが、お元気そうでなによりである。
長男の赤ちゃんが産まれたとき、連れてこられたことがある。

まあ、時のたつのは早いものだと、よその子を見ると思う。

Nさんはご主人がフィアンセのとき、M市で開催された五日市剛さんの講演会に一緒に来られたことがあった。

ハガキが来る2日前に、五日市さんの新著「しあわせの気づき」をプレゼントされたばかりで、ご縁があるのかなと、手紙にそえてその冊子を入れて贈ってさしあげた。


「毎日暑い日が続きますね。
 それでも昨日の夕方、O公園に行ってベンチに座って、『運命を開く小さな習慣』という本を声を出して読んでいたら、競うように虫の音が鳴いていました。自然界は夏の終わりを確実に知らせているようです。

 五日市剛さんの『しあわせの気づき』をプレゼントされましたので、一冊同封します。
 5ページの おばあさんの肖像画が素敵ですね。
 『ツキを呼ぶ魔法の言葉』の裏表紙のリリアと呼ばれる少女の絵も不思議ですが、この新しい冊子も何か仕掛けがあるような・・・(^。^) 
 もともと、おばあさんは bringing happiness(しあわせをもたらす)magic word(魔法の言葉)として、thank you (ありがとう) と appreciate(感謝します) を教えてくれたということですから、今度の小冊子の題名はピタリかもしれませんね。」


「壮快」2010年1月号65頁 より 抜粋

僕の本の読者から、こんなお便りをいただきました。

 「先日、私は犯罪の被害にあいました。こんなとき、犯人に対して、あるいはその事柄に対して『ありがとう』というのでしょうか?」

この質問に対して、僕は次のように返事を書きました。

「犯人に対していうのではありません。

『ありがとう』は自分に対していいます。

そんな状況になったことに『ありがとう』ではありません。

落ち込んだ自分を励ます『ありがとう』であり、不幸の連鎖を断ち切る言葉なんです。

 この言葉を自分に対して発すると、それ以上嫌な気分になりませんし、続けてマイナスの言葉が出てきにくくなります。

そして、物事の流れをベストな方向に切り替えてくれ、後の自分の成長のきっかけとなると思っています。

どうか、魔法の言葉の真意をご理解ください」

五日市さんは言う。

精神的なダメージが大きいトラブルがあったとき、自然と「ありがとう」が出てきにくいと思います。それでも常日ごろから自分に対して魔法の言葉を唱えていると、いざというとき、タイムリーに口にできます。そして、どんな不幸と思われるような出来事も、やがて自分にとって大きな意味があったんだと、とらえられるようになりますと。

ブログには実際にそんな自分に対して「ありがとう」を実践している五日市さんの姿が描かれている。

 「五日市剛今思うこと  2010.4.14
先日、九州のある地方都市で講演する機会がありました。ありがたいことに満員御礼。
感謝いっぱいの気持ちでお話しさせていただきました。
講演中に、最前列に座っているご年配の男性客の携帯電話が鳴りました。あらら、でもこれは珍しいことではありません。たまたまマナーモードにするのを忘れたんだろう、と思いました。
ところが驚いたことに、そのお客さん、なんとその場で話を始めました。「もしもし、・・・」。
あ、ありえない。僕もその方に「もしもし」と言いたかったです。そのとき、ちょうど素敵な文章を朗読していた最中だったので、会場の静けさの中、その男性がしゃべる声はよけい目立ちました。・・・ちょっとムカつきましたね。正直言って。会場の澄んだ空気が台無しですからね。
さらにそれからしばらく経って、とても感動的なお話を紹介している最中に、またその方の携帯が鳴りました。「ゲッ、切ってなかったのか・・・」と僕は真っ青。そのお客さん、ナントまた話を始めました。おいおい、どこまで失礼な人なんだろう...とかなりショックでした。でも、・・・ムッとした気持ちではありましたが、自分に「ありがとう」とつぶやきました。

 すると、その男性はすぐに話をやめ、それ以降 携帯は鳴りませんでした。」

 

 



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