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宮沢賢治の世界

一時期、宮沢賢治にこって、いろいろ調べていました。
賢治は願の人です。
その願いと祈りをすこしづつ整理したいと思っています。

賢治の世界 素朴な版画添え 佐藤国男さん新作3冊 函館で出版記念展も (2010/03/04 )
宮沢賢治の新作絵本3冊を出版した佐藤国男さん
【函館】函館の木版画家、佐藤国男さん(58)が、宮沢賢治の作品に版画を付けた新作絵本3冊を相次いで出版した。21日までギャラリー村岡(元町2)で出版記念展を開いている。
「どんぐりと山猫」を1月末に、「注文の多い料理店」と「オツベルと象」を2月末に、いずれも子どもの未来社(東京)から出した。3冊ともA4判、32ページ。イチイの木の美しい木目を生かした、素朴な風合いが特徴だ。
「どんぐりと山猫」の絵本出版は2度目。1989年に福武書店(現・ベネッセコーポレーション)から出版したが、同社が絵本の出版事業をやめ、絶版状態になっていた。
どんぐりと山猫
今回、本の判型に合わせて版画を作り直した。
「注文の多い料理店」は、2004年にオーストラリアの出版社から出した英語版に使用した版画を手直しした。「オツベルと象」の絵本化は初めて。
佐藤さんは宮沢賢治の作品の版画をライフワークにしており「賢治ほど作品が絵本化されている作家はいない。場面が目に見えるような映像的な文章で、イメージがわいてきます」と話している。
出版記念展では表紙に使った作品などの版画を展示し、絵本も販売している。絵本は各1680円。(内田晶子

賢治直送の「春と修羅」見つかる 約80年ぶり里帰り

 

 

 

 

 

 

 

  宮沢賢治(1896~1933年)が自ら購入希望者に発送した詩集「心象スケッチ 春と修羅」が見つかった。本を収める紙箱の表と裏に賢治直筆とみられる自分の住所と送り先が書かれている。賢治の作品は死後に脚光を浴び、生前はほとんど売れなかった。自身で著書を引き取り、販売していた当時の生活ぶりを裏付ける貴重な資料として注目を集めそうだ。
消印から1927(昭和2)年5月11日に発送されたもので、紙箱の表に「差出人 岩手縣 花巻川口」と書かれている。「宮沢賢治」の名前は元々、紙箱に印刷されていたように見える。裏には「大分市 大道小學校 相良吉郎様」と送り先が書かれている。
当時の賢治は、26年に花巻農学校(現花巻農高)の教師を辞め、羅須地人協会を設立。農民として質素な生活を送っていた。
「春と修羅」は、その2年前の24年に千部を自費出版。生前出版された唯一の詩集だが、大半が売れ残り、賢治が引き取って販売したり、無料で配っていたという。
宮沢賢治記念館(花巻市)の牛崎敏哉副館長は「文学作品の創作意欲もあるころで、遠い大分からの注文は励みになったのでは」と推測する。照井善耕館長は「同じ本を3冊保管しているが、賢治の直筆が書かれているものは初めて。とても興味深い」と語る。
本を取り寄せた故相良吉郎さんの娘、城谷登美さん(大分)によると、当時小学校教諭をしていた父親が賢治に購入を希望。「ひもで縦横十文字に縛(しば)り送られてきた」と父親がメモを残しているという。
この「春と修羅」は城谷さんが「岩手の宝として多くの人に見て触れてほしい」と昨年5月、夫の高校時代の同級生菅原信夫さん(78)、妻マキさん(75)=奥州市江刺区西大通り=に譲り、夫妻は花巻市の宮沢賢治記念会(宮沢啓祐理事長)に寄贈した。
マキさんは賢治の父政治郎の妹の孫。父の故岩田信三さんは、同記念会の初代理事長として宮沢賢治記念館の建設に尽力した。当時金策に苦労する姿を見てきたマキさんは「父親の賢治に対する思いが引き合わせてくれた」と奇跡を信じる。信夫さんは「賢治の本が80年余りの大旅行の末、古里花巻に帰ることができた」と喜んでいる。
【写真=宮沢賢治の直筆とみられる差出人の住所や送り先が書かれた「心象スケッチ 春と修羅」】
(2010/02/19)



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