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2012年05月31日 楽天プロフィール Add to Google XML

 天路歴程(Pilgrim’s Progress)  その19  われ今ここに入ること得べき?さればわれ永遠(とわ)の褒め歌をうたわん 
[ クロムウェル カーライル著 ]    

 

彼はそこで、一度ならず、二度ならず、たたいた。

   われは今ここに入ることを得べきか、

   値なき叛徒なりしも、哀しきわれに

   内人(うちびと)は開きたまふや。さらば必ず、

   その永遠(とわ)のほめうた高く歌いまつらむ

と言いながら。

 

(He knocked, therefore, more than once or twice, saying,

"May I now enter here? Will he within

Open to sorry me, though I have been

An undeserving rebel? Then shall I

Not fail to sing his lasting praise on high." )

 

 終にグッド・ウィルという名のおごそかな人が門へ来て尋ねた。

どなたですか。どこから来られたのですか。ご用は何ですか。

クリスチャン これは哀れな重荷を負うと罪人でございます。「滅亡(ほろび)の町」からまいりましたが、来るべき怒りから救われるためにシオンの山へ行くところでございます。そういうわけで、この門を通ってそこへ行くということを教えられているものですから、私を入れて下さいましょうか。それを伺いたいのでございます。

グッド・ウィル 心から、よろこんで入れてさしあげます、と、彼は言った。そこで、彼は門を開いた。

 

(At last there came a grave person to the gate, named Goodwill, who asked who was there, and whence he came, and what he would have.

Christian: Here is a poor burdened sinner. I come from the city of Destruction, but am going to Mount Zion, that I may be delivered from the wrath to come; I would therefore, sir, since I am informed that by this gate is the way thither, know if you are willing to let me in.

 Goodwill: I am willing with all my heart, said he; and with that he opened the gate.)



最終更新日  2012年05月31日 06時34分01秒


 クロムウェル伝 畔上賢造訳述(大正2年発行) その61  第3編(5)死刑執行令状その2 「猛犬よりも狂暴獰猛なる怪物よ」と全世界は批難叫号した。 
[ クロムウェル カーライル著 ]    

 

「猛犬よりも狂暴獰猛(どうもう)なる怪物よ」と全世界はこれに対して批難叫号の声を発した。(幸いにも今日はごく微かになった)、近世の人はこの処刑の狂猛惨酷の極なるを感じ得ないのだが、当時にあっては実にしかく思われたのである。キリストの処刑よりも悪虐な事のごとくに思われた。今日ヨーロッパ中の国王が一時に斬殺されてセント・マーガレットの墓地に一団(ひとかたまり)に重ねられたとても、この事ほどには感触を起きぬであろう。実にかかる事のまたとありようはずがない。これは史上かつて一団の人が、明らかな自覚を持ち充分の熟慮をもってなしたる、最も大胆な行為である。

著者はかつてある書でこういう記事を読んだ。昔、ある南海の島の女王がキリスト教信者となったが、彼女は直に人民を集めていうた。「あの燃ゆる山には神はおらぬ。あれはただの火山である。あの山には真の神はおらぬ。されば自分はあの山に登り、履物でも投げつけて、山を嘲って結果いかんを見よう」と。かくてこの女英雄は驚き恐るる民を率いて山に至り、この試験をなしたという話-この後、この島民の神観は更(あらた)まったということである。南海において偽の神を排せし勇者にも、北方にて偽の王朝を除きし勇者にも、それに大いなる名誉あれ!

まことにこのレジサイヅ〔王を処刑せし人々〕の行為は、全世界の屈従主義に一大痛撃を加えたものである。屈従主義、偽信、外衣崇拝はこのためにいやすべからず衰え、而して今や瀕死の状態にある。かかる大行為は数千年の間は再び要せぬであろう。しかし新しき純偉人崇拝が起こって完成され、而してその再び堕落して屈従主義、外衣崇拝になる時はまたこれを要するのである。しかしそれは数千年後のことであろうか。

 

*  *  *  *  *  *

かくして第二内乱は終った。王の処刑、共和政(英国自由の保持者)、違反者の刑罰、虐政の磨滅、でき得べくば義勇真実の政府、少なくとも反屈従主義、反偽信、而して義勇真実を得んとの努力-これが第二内乱の始末であった。(*)

 

上 巻 終

 

 

*「歴史哲学」ヘーゲル 下巻p172-173

イギリスにおいてもプロテスタント教会は戦争を通じて自身の確立を図らなければならなかった。その戦闘は国王に向けられた。というのは国王はカトリック教の中に絶対的恣意の原理が確証されているのを見てとって、ひそかにこれに心を寄せていたからである。国王はただ神に対してのみ頭を下げるのだという絶対王権説(王権神授説)に対して激昂した国民は立ち上がった(1641年)。

外面的なカトリック教に対して内面性の原理は清教主義(ピューリタニズム)となって凝結し、そこでその絶頂に達したが、この内面性が客観世界に進出するとき、ある者は狂信的にまで高揚し、ある者は笑うべき愚劣な光景を現出した。この狂信者達は、僧院の狂信者と同様に、敬神の念一本で国家を統治しようとしたが、また兵士達にしてもその狂信ぶりは同様で、彼らも戦場で祈りながら人殺しをやって戦わなければならなかった。けれども、ここに一人の軍隊の指揮官が実権を握ることになり、統治をその手に収めてしまった。それというのも、国家には統治というものがなければならないからである。

クロムウェル(Coromwell)は統治の何であるかを心得ていた。彼はこうして自ら支配者となって、あの祈祷の議会を解散(1653年)してしまった。〔自由共和国Commonwealthの時代、1649-60年〕

だが、彼の死(1658年)とともに、その権力も失われ、再び旧の王朝〔スチュアート家のチャールズ2世〕が支配権を握った。・・・

しかし、もしも憲法と法律とが真に永遠の法〔権利〕の上に建設されるべきだということになれば、安泰はただプロテスタント教の中にのみあるのであり、プロテスタントの原理の中でこそ合理性をもつ主観的自由も発達を遂げ得るのである。



最終更新日  2012年05月31日 04時51分06秒

2012年05月30日

 天路歴程(Pilgrim’s Progress)  その18  セカンド・ステージ ノックせよ、すると門はあなたに開かれるであろう
[ クロムウェル カーライル著 ]    

 

THE SECOND STAGE

 

 そこで、クリスチャンは立ち返ることにとりかかった。エヴァンジェリストは彼に接吻した後、破顔一笑して道中の安全を祈った。

 

(Then did Christian address himself to go back; and Evangelist, after he had kissed him, gave him one smile, and bid him God speed;)

 

それから彼は急いで歩きつづけた。途中誰にも物を言わず、また誰に物を尋ねられても答えなかった。彼はこの間を通じて禁制の地を踏んでいる人のようであり、ミスター・ワールドリィ・ワイズマンの意見にしたがって、うち棄てた道に再び到達するまでは決して自ら、安全なものであるとは思わなかった。こうして、時が経つうちにクリスチャンは門にたどり着いた。すると門の上には

『たたけよ、さらばそは汝に開かれん』と書いてあった。

 

(So he went on with haste, neither spake he to any man by the way; nor if any asked him, would he vouchsafe them an answer. He went like one that was all the while treading on forbidden ground, and could by no means think himself safe, till again he was got into the way which he had left to follow Mr. Worldly Wiseman's counsel. So, in process of time, Christian got up to the gate. Now, over the gate there was written, "Knock, and it shall be opened unto you.")

 

 

☆ ブログを書こうとしたらログインの初期画面に返って、暫く入れなかった(汗 汗)

 

久しく初期画面をいじっていなかったので、すっかりアドレス・パスワードを忘れていた

 

メールアドレスは何回か変更していて、「忘れたとき」の手順も活用できない。

 

ブログ も ここで 「突然の中断」 かも と思ってしまった。

 

「ふむ そういう時なのかも」 とも ちらと 思った

 

わたしの 畏友 木谷文弘兄は ガンでなくなり 亡くなる前に姪御さんに

 

「おじさんが死んだら ブログを閉じてね」

 

と託して 逝ってしまった。

 

「いずれは私たちもですね・・・」

 

 この言葉は 

木谷兄を偲んで 観音霊場を廻り、その途中、畏友を失った悲しみを尊敬するK先生にメールで送ったときに

先生からの返信のメールの最後にそうあった。

 

まことに 物事には終りがあり 人の終りには 死がある

 

死にゆくとき 

 

ああ 私の使命は為し終えた 

 

はい わかりました と 自らの定め(運命)から逃げることなく 

やり尽す事ができた やることはやり終えた

 

そういうふうに 前向きに この生を終ることができるであろうか

 

 

木谷兄は その著にこう描いた

 

  バーデン・バイラーでは、湯布院に似た緑の豊かな温泉地だった。そこで出会ったホテルのオーナーのグラテウォルさんは、

「農村の緑と静けさが大事だ。」

「まちづくりには100年が必要だ。」

と説いた。


 健太郎さんは、その時受けた感動をこう綴った。
「あの日、グラテウォルさんは熱く語ってくれた。
『町にとって最も大切なものは、緑と、空間と、そして静けさだ。その大切なものをつくり、育て、守るために、君たちはどれほどの努力をしているのか?君は?君は?君は?
グラテウォルさんは、私たち三人をひとりずつ指さして詰問するように言った。私たち三人は顔が真っ赤になってしまった。」


 また、薫平さんは、グラテウォルさんがこうも語ったという。
「まちづくりは、ひとりでやっていては孤立する。最低でも三人は必要だ。まちづくりは、大勢の仲間で進めることが大切だ。」


 こうしてヨーロッパを見て回った三人が帰国し、新しい湯布院のまちづくりがスタートした。全国の温泉地が鉄筋の高層ホテルにネオンを灯し、団体客を奪い合っていた時代、湯布院の人々はかたくなに静かな田舎の佇(たたづ)まいを守り続けた。
 7年後、健太郎さん、薫平さんは、約20人の仲間と一緒にドイツのバーデン・バイラーを訪れた。グラテウォルさんは病床の身ながら待っていてくれた。そして震える両手でしっかり、健太郎さんと薫平さんの手をそれぞれ握りしめてこう語った。
「君たちは約束を守った。君たちは長い道を歩き始めた。世界中どこの町でも、何人かの人が、あるいは何十人、何百人かの決して多くはない人たちが同じ道を歩いている。
 ひとりでも多くの人が、よその町を見ることが大切だ。そして、その町をつくり、営んでいる『まじめな魂』に出会うことが必要だ。

 

ドイツに旅立った 由布院の3人衆 は ホテルの主人グラウテルさんに 問い詰められた

 

あなたがたは 自然を守るため 町のために 何をしているか 

 

一人一人 指差され、問い詰められて 答えることができず 顔を真っ赤にして押し黙った

 

この恥辱の体験から 由布院の町興しは始まったのだと 

 

 

そして このホテルの主人の問いは また 私たち一人一人に 向けられている

 

私たち一人一人は指差され 問い詰められている。

 

「あなた は (未来を受け継ぐ後の世の人達のために)何をしているか 

 

 あなたはあなた自らの人生に真摯に前向きに立ち向かって何を実践していますか」と。



最終更新日  2012年05月30日 06時29分16秒

 大学図書館への寄贈を加速させる
[ 鈴木藤三郎 ]    

現在、第1集の公共図書館、大学図書館は66図書館に登っている。

これまでどちらかというと公共図書館を中心に寄贈していた。

大学図書館は現在、 

東京大学 東北大学 岩手大学 神戸大学 宇都宮大学  鹿児島大学

東海大学清水館 拓殖大学 北海道教育大学釧路館 聖隷クリストフアー大学

の10館である。

その他にも北海道大、筑波大、福島大、京都大、大阪大、広島大、九州大、沖縄大など送付しているが、蔵書としていただいたのは半数ほどであろうか。

最初の鈴木藤三郎伝といえる鈴木五郎氏の「黎明日本の一開拓者」を所蔵している図書館が全国で46図書館ある。

そこでこのところ、そのうちの未寄贈の図書館に送付を始めた。

先日、明治大学、法政大学附属図書館に寄贈したが、今日また一橋大学と茨城大学の図書館に寄贈した。

あと30館ほど寄贈する予定で、8月には100館計画が達成されれば、Tozaburo Projects の一つも ひとまずの成果といえようか。

そしてこれは現在編纂中の 第2集 にもかかわっている。

第2集は 森町報徳社を中心とする遠州地方における報徳運動ーそれこそが鈴木藤三郎の「報徳の精神」がなぜこの静岡県森町に生まれたのかを歴史的、地域的に考究するものなのがーについて、これまで静岡の地方的トピックとしてあつかわれていたものを、全国各地及び知的センターに配置できるということにほかならない。

このシリーズ(鈴木藤三郎氏顕彰事業)はそうした「報徳の精神」を未来に世界に広める一貫にほかならない。

 

 

平成24年5月30日

 

 一橋大学附属図書館 さま

 

   「報徳産業革命の人 報徳社徒鈴木藤三郎の一生」の寄贈について

 

 このことについて別添の鈴木藤三郎氏第1集を寄贈いたします。

 本書は、昨年9月に発行し、全国の都道府県立図書館等に寄贈しました。一昨年発行した「日本近代製糖業の父・台湾製糖株式会社初代社長鈴木藤三郎」(絶版)同様にその史料的価値をお認めいただき、東京大学総合図書館、東北大学図書館ほか多くの公共図書館・大学図書館等において、図書館資料としていただいているところです。

 

鈴木藤三郎氏は、明治時代後半に活躍した企業家で「砂糖王」、「発明王」と呼ばれるような活躍をしました。日本精製糖株式会社の創業者であり、日本近代製糖業の父といえます。台湾製糖株式会社の初代社長も勤めました。現在台湾においてもその偉大な業績は注目されつつあります。

また、藤三郎氏は明治31年から大正2年(死去)までの16年間に、159件の特許を取得し、豊田佐吉とともに「発明王」と呼ばれました。

 

鈴木藤三郎氏の最初の伝記は子息の鈴木五郎氏が著された「黎明日本の一開拓者」(一橋大学図書館所蔵)であり、本集は同書をベースとしてその一生を概説するとともに、藤三郎氏の報徳に関する講演録などの史料を「斯民」など当時の雑誌等から載録した「史料集」として作成しました。現在では入手困難な貴重な史料を含みます。

「鈴木藤三郎の生涯が簡潔にまとめられている上に基本史料も収められていますので、今後の研究の基本文献となる貴重なお仕事だと存じます。報徳精神が企業家にも受容されていたことは一般的には知られていませんが、今日の弱肉強食の企業世界を見るにつけ、企業家にとっても報徳精神は顧みる価値を増していると感じています。その意味でも鈴木藤三郎の足跡の掘り起こしは大きな意義をもちます。」(○○大学○○教授)という言葉を頂戴したところでもあります。

 

貴大学図書館の資料として受け入れていただければ幸いです。

 

貴大学の今後のますますの発展を祈念いたします。

 

       「二宮尊徳の会」(鈴木藤三郎氏顕彰会)

 



最終更新日  2012年05月30日 06時00分03秒

 クロムウェル伝 畔上賢造訳述(大正2年発行) その60  第3編(5)死刑執行令状 英国王チャールズ・スチュアートは反逆その他の重罪により有罪、斬罪に処す

 

 (5)死刑執行令状

チャールズ・スチュアートの審問はここに詳述しない。その中に横たわる深き意味はここで窺うことすらできぬ。オリバー・クロムウェルは一回を除くの外、高等法院に出席し、フェアファクスは初めの一回出たのみである。ラドロー、ホォレー、オルトン等読者既知の人々も、1649年の1月という記憶すべき月中、高等法院に出席したのである。王は3度引き出されしも弁疏(べんそ)を拒み、その「神権」を確信してあくまで王の威厳と傲慢をもって振舞った。軽蔑的微笑をもらし、あるいは峻厳の顔付をした。-終りまで。まさかに彼らが刑の宣告を下そうとは信じなかった。されど王よ、誤まれり。彼らに敢行の決意そなわる。彼らは天の審判を行なわんとして、大能者の前に立つ者なり。いかで地の人、地の物を恐れんや。裁判長ブラッド・ジョーは厳として王にいうた。「貴下よ、貴下は抗論をなすを許されず、この法廷は充分の権能をそなう。何れの法廷とてもさように権能を問わるるを許されず」と。そしていうた。「書記よ、判決文を読め!」と。ああ終に判決は下されたのであった。

而して1649年1月29日(月曜日)この峻厳なる執行令状は発せられた。オリバーの草したものではないが、オリバーの確信を能く表わすものである。

 

英国王チャールズ・スチュアートは叛逆その他の重罪をもって罪ありと定められ、去る土曜日、斬罪に処する旨の判決ありたり。而してその執行はなお残れり。

故に明30日、午前10時より午後5時までの間において、ホワイトホール前の街路にて、その執行の充分に行われんことを貴下等に求む。この書はそれがための執行令状なり。

かつ、すべての士官兵卒及び英国良民のこの事において貴下等を助けんことを求む。

1649年1月29日

 英国王チャールズ・スチュアート審判のための高等法院において

                  トーマス・ブラッドショー

                  トーマス・グレー(グロビー卿)

オリバー・クロムウェル

    (その他56人)

大佐フランシス・ハッカー殿

大佐ハンクス殿

中佐フェーヤー殿

       その他



最終更新日  2012年05月30日 02時59分08秒

2012年05月29日

 註解「安居院義道」 その46  報徳勤行歌

 

○報徳勤行歌

日月の御恩を深く思ひなば 我為にする今日の勤めは

天地の御恩は世々にかはらねど 実法(みのり)は民の勤にぞある

朝夕の余業は日々に怠らず、勤むるが報徳のもとなり

年礼はわらんじかけて元日に 村と親類廻るとぜ(ぞの誤りか)知れ

五節句の取りやり等は兼てより 断り置てお互にせよ

其外の諸祝儀とてもおなじこと 是もお互あれもおたがひ





 


「大村工業のバレーボール部特集」



1月の全日本高校選手権(春高バレー)で優勝を飾った大村工業の強さの秘密を探るものだ。

長崎県の小さな市の県立高校が、県外の選手に頼ることなく、全国で勝ち続けている。



「春高」決勝後の伊藤孝浩監督の言葉は周囲を脅かせた。

「私は何も言っていません。生徒が決めたみたいです。」



大村工業では、練習メニュー、エントリーメンバー、対戦チーム分析と作戦、時間調整などすべて部員自らが話し合って決める。



「指示を待たず、自ら考え、行動する人」

練習場の体育館には「大村工高バレーボール部が望む選手10カ条」が掲げられてい
る。



1 指示を待たず、自ら考え、行動する人

2 責任感が強く、最後までやり抜く力を持つ人

3 高い向上心を持ち、常に一段高いレベルを目指して努力する人

4 幅広く他の人とコミュニケーションがとれる人

5 リーダーシップのとれる人

6 状況把握ができ、的確に判断できる人

7 ものごとを論理的に考え実行できる人

8 一生懸命打ち込める人

9 思いやりを持って人に接し、包容力のある人

10 感謝の心を持ち、人に対して表現できる人


伊藤監督は

「強くなるために、弱いときがあってもいい。失敗してもいい。悔しさ、情けなさ。

なぜ負けたのかを自分たちで真剣に考え挑戦していくことで、全国で勝て
る力が培われる」

と生徒を信じ成長を待つ。

さらに「チームで勝つための基礎は人間関係作り

「個人の人間力、コミュニケーション能力で結果が左右される」と言う。



記事には「何のためのレシーブか、カットか。何を考えていた。説明しろ?」

と問題を指摘し、考えさせる監督の声などが記録されている。



また、「頭を使え、正しい努力をせよ」

できるか、できないかではない。

やろうとしたかだ。それがおまえの限界だ


などと書かれたパネルが紹介される。



しかし、記事の中で感動したのは次のところだ。



合宿や遠征地では、朝の散歩の時に全員でゴミを拾い歩くのも伝統となっている。

『春高』決勝の朝、新宿・歌舞伎町をきれいにした。

気づく力、犠牲心、奉仕、思いやり、面倒くさがらずに自然に体を動かせる姿勢がプレーにつながる。

明るく元気に一生懸命プレーして、スタンドも味方にするチーム』にと監督。



最後の「取材を終えて」に記者の驚きのコメントが載っている。

「学校に向かう路上でも校内でも、詰め襟の制服の生徒たちが、すれ違う私に『こんにちは』とあいさつ。

帰りがけ、暗い夜道で『案内します』と先導してくれたも、生徒だった。バレー部が発する『人間力』が全校に息づいていた。」

 

 



最終更新日  2012年05月31日 04時32分24秒

 註解「安居院義道」 その45  世に子を持つ親々へ子どもをよく育てる事を、日ごろ思っていることを、ある夜の霊夢によんだ歌3首

 

 ○世に子を持たる親々へ子をよく育てさせん事を日頃おもひ侍りしがある夜の霊夢によめる

生れ出て貴きものはなかりけり 親のおしへに人となるらん(*1)

人として数多の人の其中に 人たる人は神となりぬる(*2)

この神と尊まるるは何故か 心ひとつで仮のからだを

 

*1 「報徳の精神」第1集p181-183

私は元来不幸に致しまして、若年より全く学問の素養がございませぬ。

それで私がお話するのは自分のはなはだ拙い恥ずべきことをお話するのでございますが、私は18歳までは世の中のことは一向念頭にありませぬでした。

世の中のことのみならず、自分ということについても何の頓着もない、はなはだ無事なことでございました。

然るところ19歳の頃になりまして、どうも一体こうやってボンヤリただ動いておったところで仕方がない。何とか人と生まれたからには、どうか立身出世がしたい

マアこういう無法な考えが起こりました。

その時、私は何も立身出世と申しましても、学問もなし知恵もなし。

別にエライ者になるということは望みませなんだが、「仕方がない金持にでもなろう。金をこしらえた人は、自由に欲しい物を買い、立派な衣服を着たりいばったりする、どうか富者となりたい。」こういう単純な考えを始めて起こしました。

それから富者になるには、何でも自分を土台にして己れの益になることならば何でもするがよい。

マアこういう単純ないわゆる我利我利亡者の考えで、4、5年の間はそういう滅茶苦茶の考えであちらこちらと飛び回りました。

ところが明治8、9年の頃でございました。フトした機会でこの二宮翁の遺教たる報徳教ということを耳にしました。

それから段々先輩についてこの報徳の教えを聴いてみました。

そうすると私の従来是なりと考えていた主義は、はなはだ人道に背いている。

で、まずこの報徳の精神を当時の先輩から聴きますと、「何人でも人たる者は己れというものは虚にして、そうしてすべて世のため人のために勤むべきである。」

まずちょっと申しますとそういうことでありました。

そうすると私がこれまで「何でもすべて自分のために勤めるものである。

自分のために働くものである。

自分のためにするものである。

すべて自己さえよければよい」と思っていたことはちょうど裏になる。

けれども一概に私はそれをご尤もであると考えてそうするまでの勇気もありませなんだ。

れから段々先輩諸氏につきまして、教えてもらいました。

何が為に人は己れを虚にして、世のため人のためにしなければならぬのか、その所以が分らない。

で段々研究して見ました。

要するに人が今日社会にいるのは天地の恵みは申すに及ばず、皇恩、父母の恩、その他先人の遺徳によって、今日かくのごとくにしておられるのである

例えば大学者がここにできましても、先人から学問を遺されてなければ、学ぶことができない。

その他すべて政治でも、実業でも、このごとくである。

そういう訳で、どうしても人は生まれながらにして、既に大変な恩を受けているのである。故にその恩に奉じなければならぬ。

それが人の道である。

ただ己れがためにするということはいけない。

既に受けている恩沢に報いるということをもって、生涯勤めなければならぬ。これがすなわち報徳である

この報徳というものは、一切の人すべてどのような身分の高い人でも、それだけの恩徳を受けているから、それに向かって恩を返す、それが報徳である。

で、この身分の上下を問わず、この報徳は人間の道であるということに帰着いたしたのでございます。」

 

*2 

二宮翁夜話巻之4(【 】は夜話の通しで表記する)

【152】  翁曰く、

世界、人は勿論、禽獣(きんじう)虫魚(ちゆうぎよ)草木に至るまで、凡そ天地の間に、生々する物は、皆天の分身と云ふべし。

何となれば孑ふり(ぼうふり)にても蜉蝣(かげろふ)にても草木(さうもく)にても、天地造化の力をからずして、人力を以て生育せしむる事は、出来ざればなり、

而(しか)して人は其の長たり、

故に万物の霊と云ふ、其の長たるの証(しょう)は、禽獣(きんじう)虫魚草木を、我が勝手に支配し、生殺(せいさつ)して何方(いづれ)よりも咎(とが)めなし、

人の威力は広太なり、されど本来は、人と禽獣と草木と何ぞ分たん、

皆天の分身なるが故に、仏道にては、悉皆成仏と説けり、

我国は神国なり、悉皆成神と云ふべし、

然るを世の人、生きて居る時は人にして、死して仏と成ると思ふは違へり、

生きて仏なるが故に、死して仏なるべし、生きて人にして、死して仏となる理あるべからず、

生きて鯖(さば)の魚が死して鰹節となるの理なし、

林にある時は松にして伐つて杉となる木なし、

されば生前仏にて、死して仏と成り、

生前神にして、死して神なり、

世に人の死せしを祭つて、神とするあり、

是れ又生前神なるが故に神となるなり、

此の理明白にあらずや、

神と云ひ、仏と云ひ名は異なりといへども、実は同じ、

国異なるが故に名異なるのみ、

予此の心をよめる歌に

「世の中は草木もともに神にこそ死して命のありかをぞしれ」

「世の中は草木もともに生如来死して命の有かをぞしれ」、

呵々(かか)。 
 
  
 
【152】尊徳先生はおっしゃった。
「世界は、人はもとより動物や虫や魚や草や木に至るまで、およそ天地の間に、生きているものは、皆天の分身というべきである。なぜかといえば、ボウフラでもカゲロウでも草や木でも、天地造化の力を借りないで、人の力で生育させることはできないからである。そして人間はその長である。だから万物の霊長というのだ。その長である証拠は、動物や虫や魚や草や木を、自分の勝手に支配し、生殺してもどこからも咎められることがない。人間の威力は広大である。
しかし、本来は、人間と動物と草や木と何の違いがあろう。皆、天の分身であるために、仏道では、悉皆成仏と説くのだ。我が国は神国であるから、悉皆成神というべきであろう。それを世の人は、生きている時は人で、死んで仏となると思うのは誤っている。生きているとき仏であるから、死んで仏となるのだ。生きているとき人であって、死んで仏となる道理はあるはずがない。生きているとき鯖である魚が死んで鰹節となる道理はない。林にある時は松であって、切られて杉となる木はない。だから生前仏であって、死んで仏と成り、生前神であって、死んで神となるのだ。世間で人の死んだのを祭って、神とすることがある。これはまた生前に神であるために神となるのだ。この理は明白ではないか。神といい、仏という。名前は異っているといっても、実は同じなのだ。国が異っているために名前が異っているだけだ。私がこの心をよんだ歌に『世の中は草木もともに神にこそ 死して命のありかをぞしれ』
『世の中は草木もともに生如来 死して命のありかをぞしれ』 ハハハ



最終更新日  2012年05月29日 21時01分21秒

 天路歴程(Pilgrim’s Progress)  その17  
[ クロムウェル カーライル著 ]    

 

今や、クリスチャンは死のほかには何物も待ち受けないで、悲しげに泣き出した。ミスター・ワールドリィ・ワイズマンと出逢った時をさえ呪いながら。その意見に耳をかしたのは、われながらバカもバカ、大バカものであると、いつまでも言い続けながら。彼はまた、ただ現世的なものから流れ出た、あの紳士の議論が彼を説得して正しい道を棄てるようにさせたことを考えて大いに恥じ入った。こうした上で、次のような言葉と意味で、彼は再びエヴァンジェリストにたずねた。

 

(Now Christian looked for nothing but death, and began to cry out lamentably; even cursing the time in which he met with Mr. Worldly Wiseman; still calling himself a thousand fools for hearkening to his counsel. He also was greatly ashamed to think that this gentleman's arguments, flowing only from the flesh, should have the prevalency with him so far as to cause him to forsake the right way. This done, he applied himself again to Evangelist in words and sense as follows.)

 

  

クリスチャン どう思われます。望みがありましょうか。これでも立ち返って潜り門へ登って行くことが出来ましょうか。このことのために見棄てられ、はずかしめられて、そこからおいかえされないでしょうか。私はあの人の意見に耳をかしたことを悔やんでいます。でも、私の罪はゆるされるものでしょうか。

 

(Christian: Sir, what think you? Is there any hope? May I now go back, and go up to the wicket-gate? Shall I not be abandoned for this, and sent back from thence ashamed? I am sorry I have hearkened to this man's counsel; but may my sin be forgiven?)

 

エヴァンジェリスト するとエバンジェリストは彼に言った。

 「あなたの罪は極めて大きなものである。なぜなら、あなたはそれによって二つの罪を犯した。あなたは禁ぜられた道に踏み込むために善い道を棄てた。しかし、門を守る人はあなたを受け入れるでしょう。彼は人々に対して好意を持っているのですから」

 「ただ」、と彼は言った。

 「再び道をはずさないように気を付けるのですよ。

『かれの怒りのわずかに燃ゆる時、汝、道より滅びざるために』

 

 Evangelist: Then said Evangelist to him, Thy sin is very great, for by it thou hast committed two evils: thou hast forsaken the way that is good, to tread in forbidden paths. Yet will the man at the gate receive thee, for he has good-will for men; only, said he, take heed that thou turn not aside again, lest thou "perish from the way, when his wrath is kindled but a little.")

 



最終更新日  2012年05月29日 18時19分36秒

 クロムウェル伝 畔上賢造訳述(大正2年発行) その59  第3編(3) 手紙86
[ クロムウェル カーライル著 ]    

 

書翰第86

オランダ人ドリスラスという学者があって、この頃まで判士(軍法会議の検事)であったが、何かクロムウェルに位置の周旋を願った。それ故クロムウェルはこの大混乱の中なるにも係らず、ケームブリッジのトリニテー・ホテルの有力者に依頼状を送って、故ダック博士の後任として、そこの博士会の一イスを与えられることを頼んだ。〔訳者曰く、この書翰を略す。〕

ドリスラスがダック博士の後任に選ばれたかいかんは尋ぬるに及ばぬ。彼は3週間後には「チャールズ王審問」の判士として用いられ、後間もなくそれがためにオランダのヘーグにて暗殺されてしまった。-それはともかく、旋風的大混乱はなお進む。

 

 

 

☆先日、「報徳記を読む会」の懇親会を開催した。

会は現在中止中だが、先日静岡県森町で読書会を開催した。会のメンバーで3人の協力(推譲)があったので、その報告も兼ねて、「森町デモンストレーション号」なる会報も配布した。

読書会を立ち上げますと、K先生に報告したら

「ぜひ世に広めてください」

という意外なお言葉に驚き、かつ戸惑ったが、すぐに

「はい、わかりました」と受け止めた。

なんとか静岡県の森町で「読書会」を開くこともできて、少しではあるが「世に広める」という私に与えられたコーリングに答えられた気持ちもあった。はるばると自費自弁主義に基き協力してくれた真の仲間に感謝である。

「はい、わかりました」と信受できない人間は、その人生を空しく過し、その終わりになってああしておけばよかった悔やむことになろうか。

尊徳先生が岸右衛門に 報徳の道 を諭された(家・財産を全て処分し村人に寄贈するようアドバイスしたとき、岸右衛門は最初『はい、分かりました』と受け止めたものの、

家に帰って家族に泣いて止められ、心動揺し、『私にはできません』と申し出たとき、

尊徳先生は『君子の道を岸右衛門に諭したのは間違いであった。どうして家族の問題であろうか、岸右衛門の一心にある』と嘆かれた。それを聞いて岸右衛門は男である。

『これは確かに私の一心にある』と断然決意し、全財産を処分し、尊徳先生に寄託する。

尊徳先生は喜ばれて岸右衛門の寄託した財産で村の復興にあてて、岸右衛門には未開拓の土地を与え、後には勤労と分度と推譲により、岸右衛門は名主となり、細川藩の武士相当の身分に取り立てられるまでになる。

その頃、涙ながらに過去の自分のあさましさと報徳の教えを実践すること、自分の利益ではなく社会公共のために生涯実践することを説いた感動的な手紙を残している。

「はい、わかりました」と信受し、実行することの大切さを、メンバーにも話した。

「誰か次代のために後継を作らなくては?」と言う。

「あなただよ、そう思った あなたがそうするんだよ ほかの人にふってはいけない」

 

そうマザー・テレサも説いたのである。

 

「マザー・テレサが生涯愛した言葉は、
「暗いと不平を言うよりも、自ら進んで明かりを灯しなさい」
のそのすぐ後に続く言葉である。
「誰かがやるだろうということは、誰もやらないということを知りなさい」

 

「ほかの人にふるんじゃなくて、そう思ったあなたがやりなさい。

それはあなたへのコーリングなんだよ」

 

 

 

 

「今、ユーロ危機と言われている、ギリシャ、スペイン、イタリアという地域は

プロテスタンティズムが広まらなかった地域です。

 一方、ドイツ、フランス、オランダ、イギリスという地方はプロテスタントの影響が強かったところです。」

と言うと ふむ そうだとばかり みなが肯いた。

 

マックス・ウェーバーは「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」のなかで、プロテスタントは職業を神からの召命、コーリングとして受け止めた。だからそこから得られた利潤も享楽のためではなく、再投資にあてた、これが資本主義を成立させた資本家の原始蓄積を作った。さらにその勤労を自己目的とする倫理は資本主義を支える労働者を輩出した。

したがって、プロテスタンティズムの倫理がかつて普及していた地域は労働倫理がいまだに確固としており、ユーロ危機の外にあるのではないか。

ウェーバーはこの現象は、西ヨーロッパとアメリカでだけ起きた歴史的事象としている。

第1集補論で展開したのは、そうではない、日本でも「報徳の精神」はそれに似た資本主義に適合的な倫理として働いた。それが日本で資本主義が自生的に定着した理由である。報徳の至誠、勤労、分度、推譲の精神は、勤労至上主義となり、資本主義に適合的な資本家、労働者を生み出した。さらに分度によって得られた利潤は推譲によって、自分の家だけではなく、地域を潤おすこととなった。遠州、三河地方でそうした事象が集団的に起きたということが重要であり、

しかもこの地方においては鈴木藤三郎に代表されるような発明・工夫によって常に技術革新を伴った。これがトヨタ、ホンダ、スズキといった日本を代表する企業群をこの地方に産み出し、各地に伝播していった。

こうした報徳の精神が生きている限り、ユーロ危機にもかつてのプロテスタント国が揺るがないように日本国も大丈夫であろう」

そういう論述を懇親会の席で展開した。

「現在、クロムウェル伝や天路歴程をブログで延々と載せている理由も、原典に即してピューリタニズムを理解しようということにあります。

 そしてこのピューリタニズムは、アメリカのニューイングランドを通じて、我が日本の内村鑑三に代表される明治期の札幌農学校出身者を中心とするキリスト者を産み出し、第二次大戦後最後日本国憲法等を通じて日本に注入されたのではないか。

 内村鑑三、留岡幸助等が、二宮尊徳に注目したのはほかでもない、ピューリタニズムに相似した高度に倫理的な精神をそこに見たからである。

 しかも報徳はキリスト教思想とか特定の宗教とは切り離された生活体系であり、藤三郎がすべての産業に適用できると自ら実証したように、この21世紀においても、アフリカはじめ、発展途上国において有用な考え方で、それこそが

『二宮尊徳の考えを世界に広める』と大言壮語に聞えるかもしれないスローガンを掲げている理由でもある」と。

 



最終更新日  2012年05月29日 04時18分21秒

2012年05月28日

 註解「安居院義道」 その44  親々のその親々を尋ぬれば みな諾冊の御すゑなりけり

 

13、翁の遺された著作物等々

報徳勤行歌

 ○歳徳の御神

国土の広き荒野を田となして くわのみほこや露の玉かね

出雲なる佐陀の広田に穂かけして 露もろともに見ゆる五くさ

親々のその親々を尋ぬれば みな諾冊(*)の御すゑなりけり

*「諾」は伊奘諾尊(いざなぎのみこと)。「冊」は伊奘冊尊(いざなみのみこと)。

 

◎「親々のその親々を尋ぬれば みな諾冊の御すゑなりけり」を尊徳先生の歌と比較すると興趣深い。

「父母もその父母も我が身なり 我を愛せよ我を敬せよ」

我が身は父母からいただいたもの、その父母もまたその父母からその身をいただいてこの世に生れた。その父母もまたさらにその父母へとさかのぼっていくと、その果ては天地にいきつく。私の身体は天地から代々受け継いだ大切なものなのだ。このことをよく理解して私の身体を天地や父母のたまものとして敬い愛しなさい という趣旨の道歌である。

これを 安居院庄七は、私の身体を親から親へとたどると イザナギのみことと イザナミのみことにたどりつく。すなわち私たちはこの ふた柱の末なのだと理解する。

安居院庄七が遠州に広めた報徳思想にはこの伊勢神宮信仰が内在しており、遠江・駿河地方に広まったのには、後に「ええじゃないか」の熱狂的な伊勢神宮参拝につながるようなこの東海地方の信仰の素地が影響して、他の報徳が実践された地域にない特色を生み出さしたのではあるまいか。それが一種の民衆運動として一時代多くの人々(マックス・ウェーバー的にいえば、この量的に多数の報徳者を生み出したことが大切なポイントである)の実践を生み出した一大特色でもある。



最終更新日  2012年05月28日 19時28分03秒


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