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テーマ:マハトマ・ガンジー(100)
カテゴリ:マザー・テレサとマハトマ・ガンジーの世界
「ガンディーを継いで」塩田純著より
ガンジーの長男ハリラールは偉大な父に反抗し、酒に溺れ、イスラム教に改宗し、父の教えを破ることを生きがいとするような生活だった。 対照的に次男のマニラールはそんな兄を補うかのようにガンジーに生涯従順に従った。 1933年マニラールに長男の不行跡について手紙を書いた。 一人の悩める父親だった。 「ハリラールは相変わらず酒に溺れています。 いや、むしろ酒で満腹だとでも言った方がよいでしょうか。 酒が重過ぎるので彼はこれ以上の重荷を背負うことができません。 彼のことを愚痴っているのではありません。 彼の行動は、私自身の罪の苦々しい結果であって、私はそれに黙って耐えています。」 偉大な魂、ガンジーですら一番身近な者を感化することができないこともあったのである。 「縁なき衆生は度しがたし」 次男のマニラールはガンジーがインドに帰った後、父の命でマニラールは南アフリカに戻り、「インディアン・オピニオン紙」を発行する。マニラール23歳の時であった。 「あなたは南アフリカに行くのが辛かったでしょうが、あなたを行かせなければならない私は、もっと辛かったのです。 しかし、あなたのためになるのならば、ときには鉄よりも心を固くしなければなりません。 そちらであなたがあるべき姿になるのならば、すべてはあなたの利益になるでしょう。」 マニラールは、イスラム教の女性との結婚を望んだが、父に反対されてあきらめた。 そして1927年3月にインドに一時帰ったとき、父ガンジーが選んだスーシラーと結婚した。マニラール35歳、スーシーラーは19歳であった。スーシーラーはインド独立運動に献身した家柄の娘で、耳が不自由だったが、夫と共に南アフリカに渡り、夫の仕事を助け、やがて記事を書くまでになった。 アルンはその二人の息子だった。 父マニラールについて長女のシーターはこう語っている。 「ある日、父がチョコレートとお菓子を持ち帰ったのですが、翌日にはなくなっていました。 父は私にお菓子はどこにあるか聞きました。 『わからない、多分、農場の子どもが入ってきて食べたのではないかしら』 私は自分が食べたのではありませんが、誰が食べたかいえませんでした。 本当のことを言うように父はいい、罰として一日中、部屋に閉じ込められました。 後で他の子供達が自分たちが食べたと白状し、やっと許してもらいました。 父は子供達が過ちを犯すと、自分にも罰を与えました。 小さな嘘でも、その日は断食し、翌日まで及んだことがありました。 7日間断食したことがあります。 父はよく言ったものです。 『子供達を正直にできなければ、私に悪いところがあるのだから、自分を罰する。』 父も母も断食したことがありました。 私たち子どもにとっては辛い体験です。 しかし、この体験から同じ間違いはしなくなりました。」 長男アルンも父アリラールが子どもの過ちのため自らを罰する姿を回想している。 ある土曜日、マニラールは会議に出席するためダーバン市街にでかけた。 フェニックス農場とダーバン市街まで約30キロ離れていた。 アルンは16歳で自動車免許を取ったばかりだったので、運転手を申し出た。 母スーシラーはアルンに買い物のリストを渡した。 アリラールは自動屋の点検、オイルの交換などするよう言いつけて、夕方この交差点で待っているから自動車で一緒に帰ろうと約束して別れた。 アルンは母に頼まれた買い物をすませ、車を整備工場に預けてすぐに映画館に入った。 ジョン・ウェイン主演の二本立てだった。 そしてアルンは夢中になって見入り、映画館を出たときには5時30分になっていた。 あわてて整備工場に行って約束の交差点に自動車を走らせた。 すでに6時を回っていた。 マニラールはわが子に事故でも起きたのではと心配しながら道路を行きつ戻りつしていた。 「どうして遅れたんだね」 「自動車の整備が遅れたんで、待っていたんだ。」 すると父は厳しい表情で言った。 「おまえに真実を言う勇気がなかったのは、私の育て方に問題がある。 おまえは私に嘘をついている。 私がおまえに対してどんな点で間違っていたか考えるために、私は家まで歩いて帰ることにする。」 夕方6時過ぎからマニラールは家のあるフェニックス農場まで、30キロの道を歩き出した。 アルンは自動車でのろのろと父の後ろをついて行った。 5時間半の道のりはアルンにとっても辛く長かった。 「私がついた愚かな嘘のために、父が悲嘆と苦痛にさいなまれながら歩く姿を見ました。 そのとき、私は今後一切嘘はつかないと心に決めました。 愚かな嘘のために両親にこのような苦しみを与えてはいけないと。 子どもが間違ったことをした場合、ほとんどの親は大声で怒鳴ったり、外出を禁じたり、罵声をあびせたりします。 しかし、結果として残るのは苦痛だけです。 子どもたちは『自分たちが見つかったのが悪かった。今度は絶対に見つからないようにしよう』と思うのです。そして何度も同じ過ちを繰り返すのです。 しかし、私の父は自分自身に試練を与えていました。 私は5時間半も父が苦しみぬく姿を目のたたりにして、それが私の戒めとなったのです。」 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2007年09月22日 19時03分11秒
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