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2009年09月04日 楽天プロフィール Add to Google XML

 「古着の町」の歴史紡ぐ 日本経済新聞
[ 報徳記&二宮翁夜話 ]    

「報徳記を読む会」で、鈴木藤三郎氏の故郷、静岡県森町の見学会の準備をしている。
その連絡をしている、森町の元気屋からこんなメールがあった。

「森町は古着の町として栄えたのですが、山中屋はそのうちの1軒で町を代表するお宅です。実はこの家から「伊藤七郎平」「新村里助」が生まれ、報徳の思想を中心になって広めています。
 それから、あすかあさってくらいの日本経済新聞に「森町」「古着商」といった内容で記事が載るようです。全国紙ですのでそちらでもご覧いただけるかも知れません。」

「今朝の新聞に掲載されました。一番最後の文化面です。」

そこで、早速、3日の日経の文化欄を探してみた。結構大きい記事であった。
「報徳記を読む会」の見学会参加メンバーに配布すれば、事前知識という意味でいい資料だということで、全文引用してみる。

「古着の町」の歴史紡ぐ 日本経済新聞 2009年9月3日(木)朝刊

◇静岡県森町の自宅に残る古文書を解読し資料に◇
                山中眞喜夫

「遠州の小京都」ともいわれる静岡県森町の中心部には今も古い町並みが残る。
江戸時代には、火よけの神様としてあつい信仰を集めた秋葉山へと至る秋葉街道が通る中核的な宿場町として栄えた土地だ。
 江戸中期から明治時代にかけては「古着の町」として活況を呈し、全国の古着価格を左右するほどだったといわれている。私が14代目となる山中家は江戸時代には代々、森町の庄屋を務め、9代目の勘左右衛門が天保13年(1842)に古着商を興している。

 目録は5,500点に
 小中学校で教員をしていた私は、20数年前、我が家に残る古文書類の整理に取りかかった。目録を作ってみると、その数は5,500点に上った。これらの古文書類は、古着の町として栄えた森町の歴史を今に伝える貴重な資料ともいえる。
 古着商が栄えるということは、古着の需要が多かったことにほかならない。当時の人たちは、現代人のように使い捨てに走るのではなく、衣食住にわたって今でいう「リサイクル」を心掛けるのが生活の常であった。
 一口で古着といっても山中屋で取り扱っていたのは多種多様だ。小袖、袷(あわせ)、長襦袢、単物(ひとえもの)、冬物、夏物、羽織、袴(はかま)、紺股引、足袋、夜着、布団、木綿蚊帳、真綿、古綿などのほか、各種の縞(しま)、さらしなどの反物、半纏地、前掛け地などもあった。森町随一の大店であった大石屋では、帷子(からびら)や諸宗派の袈裟といった特殊な品も扱っていたという。
 文久4年(1864)に、山中文兵衛門(後の10代目当主・勘左衛門)がしたためた「諸国御客次場荷物附払帳」を見ると、商品の継送方法が分かる。陸路を使った「岡荷(おかに)」と水路・海路を使った「舟荷(ふなに)」の次場(継ぎ場)が書き留められている。
 陸路の場合、主に近隣の掛川から馬持ち人夫を頼み、森から掛川の飛脚問屋「茶金」を経て、岡荷・舟荷いずれかのルートで飛脚によって継送した。茶金の名はほかの資料にもたびたび登場することから長期の契約を結んでいたと思われる。

 古着商の原点は行商
 我が家の資料には見当たらないが、森町の中心を流れる太田川の増水期には、舟で河口の福田湊(磐田市)へと出荷していたともいわれている。
古着商の原点は、行商にあった。山中屋も創業当初は商品をてんびんに担ぎ、目的地との間を往復していた。その証拠に、軽くて丈夫な天秤棒が3本、杖などとともに残されている。
 山中屋に掲示されていたと思われる「覚(おぼえ)」には、7か条から成る古着商人仲間の心得が書かれている。「理由なき高値の品がないよう仕入れを吟味し、安売り専一の事」「押売・押買をしないこと」などだ。
 こうした取り決めからは、客の立場も考えた「道徳・経済一元化」を目指す商人道がうかがえる。こうした姿勢は、江戸末期から明治にかけて森町周辺で、二宮尊徳が提唱した「報徳思想」が盛んだったことなどにも関係しているようだ。
 我が家でも古着商を始めた9代目勘左衛門の弟、新村里助(豊作)が、森町報徳社の設立を先導。売って喜び、買って喜ぶ「報徳商い」を目指し、古着商人の参加も少なくなかったようだ。家蔵の古文書に関する目録は、1993年に完成し、私も委員を務めた森町編さん委員会が編集発行した「森町所在古文書目録」(第9集)にそのまま収められた。

 商売道具など展示公開
 私が目録作りを始めたのは、都市計画に伴い、我が家の古い土蔵を壊さなくてはならなくなったからだ。目録を作成するためには、内容が分からないといけない。学校では数学や理科を中心に教えていたが、50歳をこえた三十数年前から古文書の解読を少しずつ勉強していたのが役立った。
 三百数十年続いた我が家の歴史もまとめたいと考えていたが、執筆に取りかかったのは85歳になった昨年で、1年がかりでまとめ、今春、「山中家盛衰記」として自費出版した。
 古文書や古着商時代の商売道具などの展示公開も2002年に始めた。最初は地元商店街の夏まつりの一環だった。2005年からは、4月と11月に開かれる「町並みと蔵展」に参加し、「街かどミュージアム」として自宅の一部を開放して紹介している。展示期間中には町外からも多くの参観者が訪れる。文化財は個人所有であってもみんなのものとの思いがあり、この展示はやめられない。



最終更新日  2009年09月04日 21時17分34秒





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