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2009年11月24日 楽天プロフィール Add to Google XML

 鈴木藤三郎と食品工業技術
[ 報徳記&二宮翁夜話 ]    

鈴木藤三郎と食品工業技術  「静岡の歴史と文化の創造」山本義彦著

産業革命の騎手
鈴木藤三郎(1855―1913)が産業革命の先導的な技術者であるという位置づけは楫西光速(かじにしみつはた)「日本産業資本成立史」(お茶の水書房、1965年)で、筆者が学生時代に読んだことがあるが、しかしそこでも特段鈴木について触れられていず、たんに名前が挙げられていたにとどまる。次いで彼について私が関心を寄せることになったのは、「森町史」編纂事業に関わった1980年代のことであった。その折りに後でも触れる彼の欧米渡航日記を読み、改めて彼の技術研究の大きさを知ったのである。
周智郡森町は、古くから信州街道の中継地であり、北遠の茶・古着商売などの商業の中心地であった。鈴木藤三郎は、森町の古着商に生まれ、養家の菓子商で苦心惨憺の末、氷砂糖の製法を発明した。当時、氷砂糖は中国のイギリス企業から輸入されていて糖結晶を製造する技術は日本にはなかったのである。いったんは茶商になろうとしたが、ある時、報徳の教えに目覚めた彼は菓子商に戻り、経済合理主義的な報徳の教えを実践し、見事に利益を上げて、精製糖の生産会社を台湾に進出させるなど、製糖業界の発展に寄与した。彼は、そのほか、塩・醤油などの新しい製法を発明し事業を盛り上げた。

驚嘆すべき海外旅行記録
日清戦争直後の1896(明治29)年7月から97年5月まで、砂糖製法技術の習得のためにアメリカ、ヨーロッパ視察旅行に出かけて「米欧旅行日記」に記している通り、現地で関連する機械製作技術を獲得し、日本産業革命のリーダーの一人となった。彼が取得した特許件数は159件にのぼいり、機械の豊田佐吉とともに「発明王」(特許王)と呼ばれた。このときの渡航日記は、まず横浜港から船に乗り込み英語の自習に大変勉め、几帳面にも航行中の転航までも細かに記載した。彼はまず砂糖製造の状況を視察し学ぶことが目的であったが、視野を広げてアメリカでは農務省の統計などを取材し、企業を訪ね、実地に製造上の技術を学び、さらに大西洋を越えてヨーロッパに渡り、ここで企業経営の実態や製糖工場の実態に触れ、そこでは機械を設計し、三井物産ロンドン支店を通じて現地に発注するなどの努力を行った。そして労使関係も学んで、幼児の養育施設を配置したイギリスの工場の実態にもにも驚嘆した。同国ではすでに女子労働力が活用できるような工場側の姿勢を学んだ。そればかりか製糖事業のためには軍事工場として著名であったアームストロング社をはじめ機械工業、電力工業など細かな観察を行った。同様なことはフランス、ドイツ、オランダ、スエーデンなどでも繰り返し調査を続け、日記にも図解入りで記録していた。そしてヨーロッパを後に、インドを経由して太平洋に戻り台湾における蔗糖の労働実態を学んで、本国に戻った。つまり彼の調査態度は、単に製糖業そのもに限定せず、原料の生産実態、製糖工場そのもの、そしてこの工場を支える機械製造工場、労働現場と労使関係、さらには動力源としてとしての水力発電事業など、極めて緻密なものであった。言うなれば、これは資本主義工業化の上流から下流まで一貫して捉えるということであった。今、この記録を読み返して見ても、決して古記録のイメージではなく、驚嘆すべき技術開発者の探求を見ることができる。
東京に居を移してから郷土森町などの商工業発展のために、周智郡実業会と駿東郡実業会を組織してそれぞれの会長となった。この事業者団体の結成は全県に先駆けてのものであった。東海道線佐野(裾野)駅近くに報徳思想による農場を経営、農業技術改良に取り組み、衆議院議員として2期、国政に活躍した。周知農林学校を地元の福川泉吾とともに開設して、地域教育にも尽くした功績は大きい。

特許王
鈴木藤三郎の特許技術は1896(明治31)年―1913(大正2)年の期間中に159件に及ぶ多数に上ったが、氷砂糖製法・装置・醤油エキス製造のための液汁煮詰製造装置、醤油醸造法、製塩機、蒸気発生機、燃焼装置、乾燥装置、自動精穀機、蒸気缶、魚介煮詰等の汁液乾燥装置、養蚕室用暖炉、生糸乾燥装置、鰊(にしん)枠揚装置など多岐にわたった点で豊田と異なる。豊田は織機技術に特化していたが、鈴木は食料品製造分野であったために多面的な技術揮発が必要であったという特徴があるだろう。



最終更新日  2009年11月24日 21時57分54秒





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