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鈴木藤三郎「米欧旅行日記」日めくり 29日
「梢風名勝負物語」砂糖と醤油 村松梢風著 世界旅行 その5 9月24日から、今井を通訳として、英国内地旅行に出発した。ダービー、バーミンガムを経てリバプール市に着いた。同地のジェームス・プナカン会社を訪ねて、社長プナカンに会った。プナカンは父子三代に亘(わた)って製糖機械の製造をしていて、ことに砂糖の色素を除くための骨灰製造機械については、数種の発明をしている権威者であった。藤三郎はこれらについて図面によって詳しい説明を聞いたのであるが、精製糖機械の設計のことでは意見が相違して、プナカンと数時間も議論を戦わせたが、なかなか結末がつかなかった。 そこで午後3時にプナカンも一緒にホテルへ来て、なおその議論を続け、午後7時になって、ようやくプナカンは藤三郎の説に服従した。 10月1日にマンチェスターへ行き、それから17日までの間に、グラスゴー、グリーノック、エジンバラの各都市を回って、製糖会社、精製糖機械製作所、鉄工所等、35工場を視察した。 工場視察以外には全く見物ということに興味を持たない藤三郎も、スコットランドのエジンバラでは、 「午後三時より馬車を駆って、当地有名なるホース橋見物に行く。同所はエジンバラ市街を去ること九哩(マイル)にして、此間山水の風景最もよし。午後四時二十分ホース橋に達す。此(この)橋は高さ水面より八百呎(フィート)、長さ一哩強にして、構造の堅固、美麗壮大なること世界第一の鉄橋なりと云ふ。両岸及び湾内の景色絶佳なること、殆ど仙境(せんきょう)の思ひあり。居ること一時間にて去る」 18日は日曜なので汽車まで休業であった。見学したくても就業している工場がない。視察に夢中になっている藤三郎には、日曜をキチンキチンと休む欧米の習慣が、なまけ者の寄り合いのように見えて仕方がなかった。いつも日曜日の日記には「此日は例の休業にて」と書いている。18日もやむなく 「エジンバラ市中を散歩して、旧城に行き、兵士の奏楽を見る」 と書いている。 午後7時にようやく汽車が出て、エジンバラを立ち、ニューカッスルへ行き、翌日有名なアームストロング会社を参観した。同工場で建造中の日本の八島艦を、日本海軍省の種田技師の好意で見学することができた。軍艦八島は噸(トン)数一万二千余で、既に大略の装置も出来ていたが落成は明年3月頃だといった。 明治29年9月24日 晴 内地旅行出発 午前9時今井氏と2人でハムステッド・パーラネントヒル16番のチャップマン方を出発し、内地旅行の途に就く。ロンドンセントパンクラス駅より午前10時5分発の汽車で午後1時ダービー府に着き、同地のシッドランドホテルに宿をとる。これより昼食をして同所精糖器械製造所ジョージュ・フレッチャー工場へ行く。製作所を回覧して午後6時宿に帰った。この夜、同工場技師ダブリー・スコット・ヘリオット氏が来て、同氏の案内で市内を見物した。 9月28日 晴 午前9時より当府プレスノース・ロードジエームス・プカナン会社に行き、事務長に面会して、同所工場を見物した(骨灰再焼器製造器)、本日は社長ブカナン氏不在につき、後日面会を約束して帰る。午後1時よりデエルストリート11番地の日本名誉領事ジエー・エル・ボース氏に面会する。ここに外務省藤井君の添書を渡す。ボース氏は最も懇切であって直ちに製糖所へ電話をかけて見物を許可してくれるよう照会する。これより書記官エイチ・ウエブスター氏を案内として、電気鉄道に乗り、当地で有名なドック数ヶ所とハトバの倉庫などを見物する。そして午後5時ホテルに帰る。この時ジェムス・バカナン会社の事務長が来訪し、ブカナン氏と明後日の朝、会う約束をする。 9月29日 小雨降 午前10時日本名誉領事のボース氏の館に行き、同氏に面会してこれよりボース氏の厚意で書記ウエブスター氏を案内に頼んで地下鉄に乗って、ポートサンライスワークス工場に行き、石鹸製造を見る、この工場は8年前の創設で、規模の広大であることは世界一の石鹸工場であるという。職工はすべて2、000人ばかり、器械も皆新式を選んで、また工場構内に小学校を設立し、職工の児童200余名就学している。この外に職工の住家として数百戸の家屋を築造している。一日の製造高は400トンなりという。 ○3時リバプールに帰り、昼食してまたリバプールのグロスヒルド・ヴァロ会社(精糖所)に行き、これまたボース氏の紹介で工場を見学することができた。この会社で一日の製糖高250トンという。これよりボース氏、館に帰り主人にお礼を言って、宿に帰った。午後6時である。(ちなみに曰く、名誉領事ボース氏は私は初めての面会だったが、大変親切で、さらに製糖工場の視察に至っては、どこの製糖事業者も日本人に見学を拒むのだが、同氏は特に取りはからってくれてようやく見ることができた。実にこの名誉領事は任務を全うしようという誠意を感じた。) 9月30日 晴 午後9時よりプリンス・ロード5番地のジェイムス・エル・ボース氏の自宅に行き、同氏が丹精して先年よりここに日本古来の美術品陳列所を見物する。この所には日本千余年前の絵画そのほか珍器・陶器・刀剣など我ら日本人にも珍しい美術品のみたくさん陳列されている。この海外異域にあって、このような名品を見る事に意外の感慨があった。ボース氏の日本美術を愛する深い気持ちを推察できる。これより11時ジェムス・ベカナン工場へ行って、主人ベカナンに面会して精製糖器械の図面及び説明を聞く。午後3時同氏と共にホテルに帰り、これより精糖器械の設計上について私とベカナン氏と7時まで議論する。このとき今井氏がよく通訳してくれた。ここに互いに要領を得て、そしてベカナン氏はそれから2週間以内に製品及び見積書をロンドンの私たちの下宿に送ることを約束した。これより当ホテルでベカナン氏と3人で夕食した。これより同氏は帰宅した。 10月1日 晴 リバプール発 午前9時ボース氏館に行く。同氏と面会して先日来の厚意に感謝する。これより11時10分発車の汽車で正午12時マンチェスターに着き、クインス・ホテルに宿をとる。これより当所セーモアロード24番地のシュテガテン雑誌社社長エドワード・サットン氏の自宅に行く。主人不在のため、これよりガローエー会社に行く。主人に面会して気缶の見積書を受け取る。そして同社の気缶製造工場を見る。実に大規模な工場で、毎日大気缶数個を製造するという。これよりすぐに宿に帰る。午後6時だった。 10月18日 日曜 雨降 この日は例の休業にして汽車も休業している。だから市内を散歩して旧城に行く。兵士の奏楽を見る。午後7時になってようやくベヴァリ駅より汽車が出発するのがあって、これよりエジンバラを出発して、夜11時にニューカッスル府に着く。ノース・イースタン鉄道会社のホテルに泊る。 10月19日 晴 午前9時よりアームストロング会社に行き、工場を見る。また同所にて日本海軍省技師稲田氏に面会する。同氏の厚意によって八島艦の案内及び説明を聞いて見物した。さてこの会社の工場の規模が大きいことはもちろん、かねて得意の大砲は口径19インチ、砲身50フィートの大砲数十個、その他の大中砲数千個をことごとく工場を分業として次第に製造する様子は、壮大であること実に驚くべきである。また八島艦はすでにおおよその装置もできたが、すべて完成するのは来年3月頃であるという。同艦はトン数1万2千トン余で、甲鋼の厚さは18インチ、最大の砲4門を艦の前後に備え、回転自在の機械を備えている。馬力は1万5千という。その他一切の装置は完全でまずは東洋第一の軍艦であろう。 ![]() ※八島艦 排水量12,600トンの一等戦艦。速力18ノット、12インチ砲4門、6インチ砲10門、乗員730人。 1893年(明治26年)度艦、英アームストロング社で建造、1897年(明治30年)9月竣工。 明治37年5月15日、旅順直接封鎖の戦艦隊三番艦として行動中、続けて2発の機雷に触雷、右舷側の破孔から浸水した。必死の排水作業が続けられ旅順要塞の視界外の遇岩付近まで自力航行したが力尽き、総員退却した後ち沈没した。「初瀬」の沈没は直ちに公表されたが、「八島」の損失は長く秘密にされた。 帝国軍艦唱歌 一番 威名輝やく日東の 我が軍艦の名を問べば 雲井に高き富士艦に 二見に出づる朝日艦 二番 昔床しき敷島の 歌に残りし三笠艦 捷ちて捕へし鎮遠に 源平駆逐の八島艦 「ツキを呼ぶ魔法の言葉ゴールドラッシュ」マスオさん朗読CDほかを聞くこと608回 今野華都子先生の講演会のCDを聴くこと928回
最終更新日
2010年01月29日 05時45分00秒
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