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2012年10月03日
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「報徳産業革命の人 報徳社徒鈴木藤三郎の一生」より

 

3 遠州七人衆、日光で尊徳先生に面会する

嘉永6年(1853)9月13日 -。

栃木県日光の桜秀坊-。

「ウリの種を蒔けばウリが生じ、またナスの種を蒔く時はナスが生じ、ナスが実る世の中である」(二宮尊徳が面会時、語った言葉「三才報徳現量鏡」)

日光仕法中、尊徳先生は、遠州からきた7人衆を呼び寄せ、遠州での報徳の教えの広がりを喜ばれるとともに、世の中のありさまを、ウリやナスのたとえで教えられた。それまで9日間毎日桜秀坊へ出向いたが面会できず、終日仕法書などの筆写ばかりしていた。面会をあきらめかけて故郷に帰ろうかという話をしていた。遠く遠州から先生に面会を求め、また毎日熱心に仕法書を写す姿勢に感嘆していた高慶が尊徳先生に取り次いで実現した面会だった。一同は大変喜んだ。

 

二宮尊徳の嘉永六癸丑年日記帳は4冊ある。江戸逗留中1冊、日光出役中1冊、東郷陣屋2冊で、二宮尊徳全集第5巻にある。その724ページの嘉永6年(1853)9月4日の項に、遠州七人衆の記事が初出する。興味深いのは同じ時期、相馬藩家老の池田図書が尊徳先生を尋ねてきている。相馬仕法は、日光仕法と並ぶ重大な仕法であって、その成否はいわば報徳仕法の普遍性を問われる仕法だった。尊徳先生が直接指導しなくても成功するかどうかの試金石であって、尊徳先生自体の関心の深さもまたただならぬものがあった。

しかし遠州からの訪問も歴史的な訪問であった。明治日本における報徳運動の中心地として、一世を風靡した遠州地方における報徳運動の中心人物者たちと二宮尊徳との面会であった。これによって、遠州の報徳が二宮尊徳に公認された活動となり、後の一大普及運動へとなった。

嘉永6年(1853)9月4日には、編集者が注を入れている。

「この一行の往訪こそ静岡県下に報徳の栄ゆる大なる原動力を培ったものである。本文順序に氏名を羅列すれば、内村啓助、岡田佐平治、武田兵衛門、松井藤太夫、中村常蔵、山中利助、神谷久太郎である。」(日記本文・註とも「里助」ではなく「利助」と表記している)

(略)

二宮尊徳全集の第4巻「日光の日記」を見てみよう。

 

9月4日曇

一 遠州影森村慶助、倉見村佐平治、氣賀町兵左衛門、同藤太夫、森町常吉、同利助、下石田村久太郎、外に安居院庄七罷出候に付、片岡村仕法帳拝見為致候事

9月5日雨

一 遠州之面々、今日も御仕法帳拝見終日罷出中候事

9月6日曇昨夜中禅寺山へ雪降り申候事

一 遠州之面々今日も罷出候に付、日光御神領雛形帳御拝見為致申候処、終日拝見之事

9月7日雨

一 遠州之面々、今日も御仕法帳拝借罷出候事

9月8日朝晴夕方曇

一 遠州之面々、一同罷出終日御仕法帳拝見之事

9月9日晴

一 遠州之面々、一同罷出終日御仕法帳拝終日罷出候事

9月10日曇

一 遠州之面々、今日も御仕法帳拝見罷出候事

9月11日晴

一 遠州之面々、今日も御仕法帳拝見之事

9月12日晴

一 遠州之面々御仕法帳拝見、終日罷在事

9月13日晴

一 遠州之面々明日出立に付、一寸面会及理解候事

 

遠州の七人衆がはるばる日光を訪ねたのは、以下の経緯がある。

嘉永5年(1852)の暮、佐野郡成滝村の平岩佐兵衛は、旧主の病気見舞いのために江戸に向かったが、その際二宮尊徳が相馬藩の中屋敷に滞在していることを聞きつけた。佐兵衛はさっそく訪問したが会うことができず、やっと明けて正月7日、3度目で尊徳先生に面会することができた。その時尊徳先生は遠州の報徳の重立った世話人たちを当方に呼ぶよう取り次ぐことを、佐兵衛に指示した。喜び勇んで遠州に帰郷した佐兵衛は、それを遠州の報徳人に知らせた。
 1853年春の報徳大参会は山名郡高部村(現袋井市)の高山藤左衛門方で開かれた。ここで遠州報徳連中419人の総代として日光にいる尊徳のところにだれがいくかが議せられ、7人が選ばれた。佐野郡影森村(現掛川市)内田啓助、倉真村岡田佐平治、気賀郡竹田兵左衛門、同町松井藤太夫、森町村中村常蔵、同村山中里助、下石田村神谷久太郎の7人である。同年8月10日一行は安居院庄七に連れられ出発した。一行は二手に分かれ、佐平治、里助、常蔵、久太郎の4人は、途中十日市場にある安居院家を訪れたり、曽比村(現小田原市)の剣持広吉のところで報徳の資料を写したりして、尊徳のいる桜秀坊を訪ねたのは9月に入ってからだった。9月4日一行は揃って桜秀坊を訪ねたが、尊徳は多忙のため会えない。やむなく一行は仕法書を写しつつ逗留を続けた。待つこと1週間以上に及び13日にやっと面会することができた。庄七にとっても尊徳に直接会うのは初めてであり、一行の感慨はひとしおであったろう。一行は「報徳安楽談」などの報徳書を頂戴して、面会の2日後帰途についた。桜秀坊では里助も多くの仕法書を写した。

(略)

 

嘉永六丑年九月 遠州報徳村々書上

「〆三拾弐ヶ村 右人別〆四百拾九人

                         右村惣代 下石田村

                                久太郎

                              倉真村

                                佐平治

                              気賀村

                                兵左衛門

                              同

                                藤太夫

                              影森村

                                啓介

                              森町

                                利助

                              同

                                常蔵

                               〆七人

右惣代之者奉申上候、私共村々、報徳善種之道勤行仕候訳は、相州大住郡大山麓、密正院にて出生庄七、勇次郎兄弟両人、河内国田口村、杉沢作兵衛と申人発起有之候万人講之儀に付、東海道筋度々通行有之、弘化三午年十一月帰国之砌、三州藤川宿菱屋喜兵衛方にて承知被致候には、遠州長上郡下石田村与平治と申者、日本国中神社、仏閣へ拝礼いたし、極信者之由聞伝へ、右両人与平治方へ立寄、前書万人講之物語有之、其翌未年春三月、又々伊勢太々御神楽執行に被相登候節、与平治同道にて参宮仕、御神楽執行之席より、旅中共始終御報之道、田畑作り方迄も教諭有之、誠に難有大善道と感服仕、庄七、勇次郎両人を、下石田村与平治方へ請待いたし、連中を組立、報徳勤行仕候儀、是実に遠州にて前書村々報徳之道、尊敬仕候発端に御座候、夫より追々聞伝へ、右両人へ随身いたし、書面之人々当時報徳勤行連中に御座候、然処何卒

大先生様之御姿一度拝覧仕度、連中一同之心願に御座候得共、夥敷御用にて、昼夜御寸暇無之段恐察仕、段々延引仕居候処、当春成瀧村佐平と申者、江戸麻布御屋敷御台所迄罷出、印内村龍法院も罷出、尚又気賀町藤太夫罷出候処、天運に相叶

大先生様に奉得拝顔候砌、庄七同道にて罷出候様 仰聞、冥加至極難有次第に相心得、連中一統へ披露仕候処、一統挙て、恐悦仕、今般庄七同道にて、私共七人惣代として罷出、村々議定書、並家政調等奉入 御覧候間、乍恐 御教諭被成下置候は 、莫太之 御仁恵と難有仕合奉存候以上

                          太田摂津守領分

                            遠州佐野郡 

                              倉真村

                                佐平治

                          近藤縫殿領分

                            同国引佐郡

  嘉永六丑年九月                 気賀村

                                兵左衛門

                              右同所

                                藤太夫

                          室賀美作守知行所

                            同国佐野郡 

                              影森村

                                啓介

                                                        土屋佐渡守知行所

                            同国周智郡 

森町

                                利助

                              右同所

                                常蔵

服部中知行所

                            同国長上郡 

                              下石田村

                                久太郎

 二宮金治郎様






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最終更新日  2012年10月03日 03時29分56秒



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