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2014年08月24日
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カテゴリ:広井勇&八田與一
会員にも協力して校正してもらっているが、ようやく一通り見て、気が付いたところを訂正し、

プロローグなど、箇所によって全面的に改定した。

プロローグ 第五集作成開始の日にあたって
 ボーイズ・ビー・アンビシャス第四集「札幌農学校教授・技師広井勇と技師青山士」を刊行し、次に「報徳記を読む第二集」に着手する予定が、第五集の構想が脳裏から離れない。第五集は第四集の広井勇に引き続いて、札幌農学校教授・新渡戸稲造を取り上げる予定だった。ところが「内村鑑三 神と共なる闘い」という題名が内に響く。このテーマは内村鑑三の米国留学帰国後の北越学館事件、一高不敬事件を中心に資料集を編集しようという試みである。これは困難な作業である。第二集では、米国留学中の内村・新渡戸ら札幌農学校二期生の四人の若者の交流を、内村の日記と新島襄・広井勇あて手紙等の資料によって描き出すことができた。しかし、内村鑑三は弟子たちや専門家によって研究され、おびただしい資料が出版されている。先人の作業に、何のため、何を新たに付け加えようというのか。内村の一高不敬事件については、小沢三郎氏の『内村鑑三不敬事件』や鈴木範久氏の『内村鑑三日録』が詳しい。その他、多くの先人が優れた研究をされている。
ボーイズ・ビー・アンビシャス第五集として新たに世に問う意義を見出すことは期待できない。しかし、ボーイズ・ビー・アンビシャスを展開し、第四集で広井勇の「紳士の工学」を取り上げた以上、内村を取り上げないわけにいかない。まず『不敬事件』と『日録』を道標とし、カーライルの「クロムウェルの手紙と演説」にならって、内村鑑三の手紙を「順序正しく」整理してみよう。歩き出せば自ずと道筋が見えるかもしれない。出会いも助けもあろう。
内村は広井あての手紙で「聖徒の島が、現実に我が日本の国にあらわれた時を夢想している。しかし思う。真にこの夢想を実現しようと欲するには、まずこの我が身も財も、すべてのものを燔祭の燃える火に焼かなければならない」と告げた。まことに人は、自らの発した言葉どおりに生きるのである。




2 内村鑑三、自宅に帰る(日録1p.8)
 夜半。午後九時三〇分、家に到着する。神に感謝する。私は約二万マイルの旅をおえて遂にこの所に在ることを。全家族の歓喜、きわまりなし。恐らく私の貧しい両親のこれまで経験した最も幸福な時であろう。弟と妹は大きくなった。前者は元気な若者、後者は美しい娘となった。父と終夜語り合う。母は世界のことは知ろうと望まない。ただ我が子の無事に帰ってきたことを喜ぶのみ。私は神に感謝した。私が不在のこの歳月の間中、私の家族を守られたことを。私の祈りは、私の父が無事であるのを見、私が見て、経験したすべてのこと(what I have seen and experienced)を彼に告げることであった。
 アメリカ留学中、内村は父に手紙を書き綴った。それは父を心配させまいという配慮にみちたもので、内心の苦闘には触れることは少ない。しかし内村が出会った人物や出来事を知る上で貴重な資料である。
 ある意味、内村の苦闘は、長男に対する家族の期待に応えたいという思いと、神からの召命であると自ら受けとめた伝道との相反にあるといえよう。
父は息子の最大の苦しみの時もよき理解者であった。


2 ベル(アメリカの実業家)への手紙 第一信
一八八七年六月二十日(水)ベルに書簡(「内村鑑三の生涯」山本泰次郎訳編p.30 全集三六巻p.293)
「愛するベルさん ニューヨークを出帆してちょうど百日たちました。この間、一万里以上を航海し、三月十日にはハッテラス岬沖で大吹雪にあい、コロンブスが始めて上陸したサンサルバトル島傍らを通り、レセップスの大運河を見、中央アメリカとメキシコに住むスペイン人の衰退に接し、サンフランシスコやその付近の春色をめで、北上して英領コロンビアに至り、急激に発展しつつあるバンクーバー市に六日間滞在し、それから十四日半を費やして北太平洋を横断し、五月十六日午後六時ニューヨークをたって六十五日目に無事懐かしい故国の土をふみました。長く海気にさらされた事は健康上非常に良い結果をもたらし、近親者も病気だった事にほとんど気づかない程でした。この航海はすべて愉快でした。物も人も、あうほどのものは皆、この世界に係る神のみ旨について何かしら私に物語ってくれました。(略)
Ⓐ今秋から始める仕事はほぼ決まりました。某スクール(カレッジと自称しています!)の教頭となります。これは日本人だけで経営していますが、その大部分はクリスチャンではありません。しかも学校の管理は、あげてこれをクリスチャンの教頭にゆだねたいというのです。学校は新潟市にあります。人口約三万、本州の西岸の肥沃な越後地方に位置し、東京の西北約二百五十マイルにあたります。この種の学校、即ち政府にもミッションにも頼らず、ただ日本人だけに経営されるカレッジは、日本では初めての試みです。Ⓑご承知の通り、私の主義は国民的キリスト教ですから、日本における事業で、キリスト教的でもなく、同時に国民的でないものには、私は何の同情をも抱き得ません。シカゴのオルブレクト博士とニューヨークのスカッダー博士が創立当初我々を援助することになっています。Ⓒしかし完全に独立させる事が私の素志です。その理由は、外国のミッションの援助は、いかなる形にせよ、同胞の後援と支持を得る上に実に大きな障害となるからです。秋の学期を二百名以上の学生と一緒に始めます。Ⓓベルさん、言うまでもなく、私はあなたの祈りを今まで通り、否、今以上に必要とします。経済上の事などでは私を神の御手に委ねて頂きたいのですが、しかしあなたの祈祷から見放された一人ぽっちにしないで下さい。
 家の者は皆無事でした。家族は両親と私と三人の弟と一人の妹です。我々は皆キリストの貧しい僕で、粗末な家に住み、混りなきキリスト教精神の涵養に努めています。(略)主にありて常にかわらざる 内村鑑三」
 前日十九日に内村は同趣旨の手紙をアマスト大学シーリー総長に出している。その中にMay I dream, president, that the new college be another Amherst? と夢を語る。「外国のミッションからの独立」の志は、北越学館での軋轢を予感させる。
 ベルへの手紙で「自分のため祈ってくれ」と頼む。広井勇は母と妻に「自分のため祈ってくれ」と頼み「何にもまして祈祷は重要だ」と言う(第四集p.33)。内村はベルに以前にも増した祈祷を頼むのである。



2 読書余録(『聖書之研究』一九〇九年一〇月)
「カーライル著『コロムウエル伝』の余に及ぼせし感化については、余はこれを叙するに足るの言辞なきを歎ずる、余は英国版五冊物⑴を麻布飯倉の古本屋橋爪(はしづめ)において購い求めた。時は明治の二十三年、余が嘱託教員として雇はれた時であった。余はこれを得て何物をも忘れて読み続けた。余はこれによりて、自由と独立との愛すべく貴むべきを深く教へられた。而して読んで半ばに至りし時、余は高等学校の倫理講堂においてその頃発布せられし教育勅語に向いて礼拝的低頭を為せよ、と時の校長代理理学博士某に命ぜられた。然るにカーライルとコロムウエルとに心魂を奪われしその当時の余はいかにしても余の良心の許可を得て、この命令に服従することができなかった。余は彼らの勧奨によりて断然これを拒んだ。而してそれがために余の頭上に落ち来たりし雷鳴(いかづち)・・・国賊、不忠・・・脅嚇と怒喝・・・その結果として余の忠実なる妻は病んで死し、余は数年間、余の愛するこの日本国において枕する所なきに至った。余の肉体の健康はそれがために永久に毀損せられ、余の愛国心は甚大の打撃を被りて余は再たび旧時の熱心をもって余の故国を愛するあたはざるに至った。実に余の全生涯に渉るこの世の不幸はすべてこの一瞬間より来った。然し余は今に至りこの事のありしを悲しまない。余は確かに信ずる。余の神がその時、特に余に命じて『コロムウエル伝』を購はしめ給ひしを。もしこの伝記が余に起こししこの事件なかりしならば、余の生涯は平々凡々取るに足りない者であったらふ。余は真個の洗礼をこの時に受けたのである。水の洗礼にあらずして、火の洗礼を余はこの時に受けたのである。而してこれによりて余は始めて少しく信者らしき信者となったのである。ただ取り返すあたはざるは余の憐れなる妻である。然し彼女も、またこれによりてキリストの天国において救はれたのであると信ずる。われらは国にそむいてこの事をなしたのではない。良心の声を重んじ、良心にそむくのは国を欺くのであると信じたからこの事をなしたのである。
ああ、カーライルの『コロムウエル伝』よ、汝は余に取りては火の書である。汝は余を益せしこと深きだけ、それだけ余に殃(わざわ)ひしたる書である。余は永久に汝を保存せん。而して汝の五冊が列を正しうして立つを見て、余の胸は感慨の涙に溢れ、余の思は高きかの国に遊ぶ。キリスト教の聖書を除いて汝ほど深刻に余を感化した書物はない。」

内村は「自由と独立の愛すべく貴むべきを教えられた」という。
ストラザースへの手紙で政治的自由と信教の自由は試練なくして購われることがない。僕は神が重荷を担うため選ばれたことを感謝すると言う。

⑴  カーライルの『クロムウェル伝』五冊本は、一八七一、七二年にロンドンChapman & Hall から刊行の Oliver Cromwell’s Letters and Speeches 。北海道大学附属図書館内村文庫に所蔵されている。







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最終更新日  2014年08月24日 08時00分09秒
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