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カテゴリ:報徳記&二宮翁夜話
現代に生きる報徳2 「推譲の心が建てた報徳博物館」
2013年10月小田原の報徳博物館は30周年を迎えた。博物館建設のきっかけは1975年当時参院議長の河野謙三氏、当時神奈川県副知事佐々井典比古氏に『尊徳さんが没後120年という節目を迎えるから何かやってみては』と提案された。佐々井氏は北海道報徳社など4団体中心の「二宮尊徳没後120年祭記念大会」を企画し、翌年、市民会館で開催した。大会宣言第一条に『報徳の遺品・遺物が散逸する恐れがあるので、集積する施設の建設を』の内容が盛り込まれ、博物館構想が出てきた。現博物館の地所は富士フイルム初代社長の社宅で、富士フイルムに譲渡をお願いすると『博物館建設なら』と許可いただいた。建設資金も推譲金で賄った。報徳の仲間が率先し5千万円集めた。当時企業に寄付が根付いていない頃で、元経団連会長で臨調会長の土光敏夫氏が報徳にぴったりと、佐々井氏が土光氏に直接頼みに自宅へ出向くと即快諾され、建設賛助委員会会長まで務め、各業界団体から寄付が集まった。これがニュースになると、関西経済界に声を掛け寄付を集めたのが松下幸之助氏だった。こうして、約5億円が集まり、83年9月に完成し、開館式が行われた。 報徳博物館を運営する報徳福運社の草山昭理事長は語る。 「自身がその地域で成り立っているのは、周囲の人や環境のおかげであることに感謝することが『推譲』のもとになります。それは二宮家にあった教えなのだろうと思います。例えば、酒匂川の堤防が氾濫した際、病弱な父は堤防の普請には出られない、代わりに自分が出ていくけれど子どもなので大人並には働けない。どうしたら貢献できるか、子どもながらに考えて草鞋を作り、堤防普請のために働く大人たちに履いてもらった。これはまさに『推譲』の精神。また尊徳は、成人してから一家を再興しますが、再興できたのも大きくいえば世の中があるから。そういうところにも感謝します。」 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2014年08月31日 09時13分11秒
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