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カテゴリ:報徳記&二宮翁夜話
以下『二宮金次郎最初の政道論提議~「桜町仕法」にその原点がある~』より抜粋する。
「『報徳論』は『二宮尊徳全集』第三六巻別輯門人集と『報徳要典』以外に、私(○○)の接し得た報徳関係書に収録されていない。そして数多の報徳人の著作中にも、この書に拠る『報徳研究』も『二宮尊徳論』も見出せない。・・・『二宮尊徳全集』第三六巻収録の『報徳論』巻頭の解題の中に左記の文がある。 『本集一万巻中に、翁の子息翁の代理者としての責任ある門人の文書は少なくないけれども、報徳の趣旨を叙述したものは一冊もない。また門人の著述にして允許を受けたものもない。若しくは翁の説話にして当時御理解と称せられたものも筆録は一つもない。皆それぞれに私に蔵したものである。しかるに『報徳論』は公許である。内容は翁の著述として見ても差し支えないものである。このような重要なものが、なぜに報徳行者の座右に備えられなかったのであろうか。あるいは、文章が漢文直訳体たる為であるか、あるいは高弟諸子の間にのみ秘蔵せられた為か、その理由は今知る由もないが、報徳の要旨を略述して至れり尽くせりというべき名著である。』」 「『報徳記』解題の収録原本に「五、半紙判にて報徳記八冊と報徳論二冊とを一帙に輯めた謄写版であるが、相馬侯の上表文があって、一字の修訂もないから決定本であろう。報徳論の方は所々に修訂の朱が加えられてある」・・・『報徳記』による生き方と、経営の在り方、道徳心は、日本国民の範であると認められたが、もう一冊の『報徳論』による二宮尊徳の「政道・政策・施策」に関する提言は、お上から忌避された。その「遠慮」が・・・多数の国民はその存在すら知らずにいさせられたのである。そして、『手本は二宮金次郎』という日本国民の手本とされた。けれども桜町領仕法に始まり日光神領仕法に至る二宮仕法の実体は、施政者・政治家・政道論者である二宮尊徳の存在があっての成功なのである。」 「二宮金次郎の『政道論提議』は『報徳記』巻の一の三小田原侯、先生に櫻町領復興を命ずる、から述べられていた。しかし、明治十三年の『献上』の際に『報徳記』のみが受納され、『報徳論』が差し戻されたことから、道徳教育者・哲学者としての二宮金次郎のみが『勅許』の中に入れられてしまい、政治家・為政者・政道論者としての二宮金次郎の存在を見失ってしまった。」 「政道論を読む」読書会の輪読は、ここで終了した。 「〇〇さんの文章は命が籠り、熱情が溢れて魅力的です。二宮尊徳に『畳を上げるには畳の外に立たなくてはならない』という教えがあります。〇〇さんがズバズバ物言えるのは、一つには報徳社や学界の人間でない、一町工場主で、畳の外に立っているから遠慮がない。報徳内部の諸先人に気を遣う必要がない。また『文献に書かれた文字のみを読むべきで深読みしてはならない』とする学会の作法から自由であるからでしょう。また、不二孝研究という、もう一つの視座を持っているから、その対比で真理を探究できる。〇〇さんの仕事により、初期の二宮仕法を支えた不二孝仲間の存在が明らかになったのですが、又この『二宮尊徳の政道論による提議』を踏まえ『報徳論』を読んで尊徳の真姿に迫る必要がありましょう。」 「二宮尊徳 政道論の提議四~富田高慶著『報徳論』が述べる政道論」 「『報徳論』は二宮先生ご存生中の嘉永三年に著されて、『全集』第三十六巻『別輯門人集』の佐々井信太郎先生の巻頭解説文の中に左の文がある。 高慶記事論説等を稿―数巻をなしたが、弘化二年の火災に之を失った。後、嘉永三年報徳論二巻を著わし、翁亦之を披閲し、之を山内に貸したと見え、後嘉永四年七月二十四日書物返却の條に、『富田氏認報徳経三冊とある』(中略)翁の内閲済みである以上は、内容は翁の認めたものである。門人著作中に於て、翁の認許を得た報徳の書籍はこの二冊のみである。」(全集36-13) 「二宮尊徳の開いた「報徳」の道とは『報徳論』十二か条の第一「天道自然」の認識と、「人道作為」即ち「勤労」の実践であり、第二は「譲奪」の認識、つまり禽獣の道の怖さを知り、人道としての「推譲」の実践へと進展した。」 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2014年10月16日 01時54分30秒
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