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2014年10月27日
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嘉永5年4月の尊徳の手紙―青木堰付近の桜は、吉野の実生桜―

二宮尊徳ゆかりの桜が植えられていた桜川市青木。地元住民が桜植樹実行委員会を立ち上げ、二宮先生ゆかりの吉野桜が復活した。二宮尊徳は、村民から頼まれ、荒廃していた青木で農村復興を手がけ、青木堰の建設など尽力した。事業の仕上げに、奈良県吉野山の桜を植え、以後、住民たちは尊徳ゆかりの桜を大切にしてきたが、昭和30年代の堰の改修工事で伐採された。2008年5月、広沢光一郎氏が、先祖代々伝わる尊徳直筆の手紙の解読を、郷土史家の舘野義久氏に依頼した。手紙は嘉永5年、尊徳が領主の旗本川副氏の家臣荒川泰輔にあてたもので、青木堰が作られた理由や村民同士が協力すること、植えた桜の木を大切にすることなどが書かれていた。舘野氏も同年の別の手紙に「青木村桜川の堰付近の桜木は、本邦第一大和国吉野の実生桜にして、雨引山楽法寺が丹精こめて育成した桜木なり、その実生は高価にして何百文にても得べし」とあるのを文献の中に発見した。広沢氏は、尊徳が死ぬまで村の行く末を案じていたことを知り、吉野桜を復活させたいと思った。住民に話を持ちかけ実行委が発足。吉野桜の譲渡を依頼された財団法人「吉野山保勝会」も、樹齢千年以上の吉野白山桜を母種樹とする実生の苗木17本を特別提供した。3月8日、吉野桜の植樹と、「報徳不忘」の記念碑の除幕式が行われた。広沢氏は「青木の現在があるのは過去があるから」と話す。(2009年3月7日 読売新聞)

別紙にて申し上げます。御仕法の仕上げをとりまとめるにつき、旧冬、小田原へ参りました。掛け合いのために逗留中、無駄に日々を過ごすのもいかがかと思い、先年に取り立てて遣わしておいたのですが、箱根の塔の沢の福住喜平治方の向山に険しい岩山があり、葛や藤の蔓、竹木を伐採して焼き捨て、桜を三千五百本余り、江戸四谷大久保の名産である霧島つつじを三千本余り、八重山吹、駿河国駿東郡御厨(現御殿場市)の紅霧島を三千本余り植え付けました。相模国大住郡片岡村(現平塚市片岡)の大沢政吉という、私の下で長く修行している者が箱根湯本の福住九蔵方へ養子に行ったのですが、そこは本陣でもあり、御領主様始め、大名、小名、貴人、高位の方々が保養なさる温泉でもあるため、桜を植え付けてほしいと願いがあったため同じように、谷越えの険しい岩山の葛や藤を刈り捨てて伐り払い、塔の沢と同様に植え付けましたが、いずれもその地域に自生していた桜の木です。なるべくならば、青木村の桜川べりの桜の木は、雨引山楽山寺が丹誠を尽して、天朝第一の大和国みよし野の桜の実から生育させた桜ですので、この節は実を拾い集め、このシュロの皮に包み、雨露の当らない縁の下あたりに埋めておき、来春の彼岸の前後に蒔き付けましたならば、実から生育することが確実である旨伝授を受けましたので、右桜の木の下を刈り払っておき、近日に桜の実が落ちこぼれ次第に拾い集めておいてくださいませ。たとい一升が200文、300文と、いかほど高値になりましても、右はみ吉野の桜の種ですから、湯本へ差し遣わしたいと思います。この段、間違なくお頼み申します。委細はこの使いの者が申し述べますので、これによりご承知くださいませ。取り込み中にて早々。以上
 (嘉永5年)4月17日    二宮金次郎
   荒川泰輔様(青木にて)





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最終更新日  2014年10月27日 06時46分42秒



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