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2014年11月18日
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1 少年金次郎の誓い

『尊徳の森』に2009年3月21日に91歳で亡くなられた佐々井典比古先生の書かれた「二宮兵三郎手記の尊徳逸話」(同書215ページ)が載っている。
 これは二宮尊徳の弟三郎左衛門、幼名友吉が、孫の二宮兵三郎にたびたび語ったという話である。
明治40年(1907)3月に二宮兵三郎は、当時十勝にいた尊徳の孫にあたる二宮尊親に「幼少のころ祖父(三郎左衛門)からたびたび聞いていたが、まだ他人に語ったことはない。このままでは知る人もいなくなるので、その話のままをあらまし書き記してお送りする」と手記を送った。
それは、金次郎が10歳、友吉が7歳のころの話だという。金次郎の父が病で寝込んでいた時、ちょうど母よしの曽我の実家川久保家で法事があり、よしは金次郎と友吉の幼い息子2人の手をひいていった。
酒匂川の氾濫で田畑は荒れ、父は病気でふせって貧窮のどん底だった。川久保家では、よしと幼い2人の子のみすぼらしい有り様をはばかって、法事の後の本膳で正客とはせず、台所において母子3人、食事をさせた。母は大変心を傷つけられ、食後、墓参りをして、幼い子供達の手を引っ張って、唇をかみしめて黙々と帰途を急いだ。そんな母をみかねて金次郎は問うた。

金次郎:お母さん、加減がお悪うございますか。

よし:お前は何事にも父さんや母さんのことをよく心配してくれる。喜ばしい。何も悪くはないよ。案じなくていいよ。

金次郎:それでも顔色が悪うございます。お母さん、きょう、私には分らないことがあります。お母さんは曽我へ参るときに、仏様(亡くなった祖父)には正客だと話されました。ところが、本膳は、ほかのお客様には和尚様と同様にお座敷でお客様用のお膳でした。ところが、お母さんは、台所で日常使うみすぼらしいお膳で、違いました。あれはどういうわけですか。

(母は、顔を横に向けて、涙をまぶたにうかべ、しばらく言葉がなかった)

よし:お前は子供だ、そんなこと聞かなくてもいい。

金次郎:私には分りませんから、教えてください。

よし:あれは私の自分勝手で、父さんは病気、友吉は小さい。早く帰りたい。皆さんとご一緒では遅くなるからだよ。

金次郎:お母さん、そうではありますまい。皆さんとずいぶん違いました。私は曽我が悪いと思います。
(母は、返答に困り、涙をさんさんと流すばかり)

金次郎:お母さん、私が悪うございました。許してください。お母さん、どうか泣かないでください。

よし:二人ともよく聞いておくれ。お父さんの病気にさわるといけないから、このことは決してお父さんには言ってはいけないよ。
お父さんの病気がちは、元はといえば、酒匂川の堤防が破れて田畑が流されてのこと。不幸が重なって、何の貯えもなく、貧乏して親戚の世話になり、何事も心にかなわず、馬鹿にされている。これは親戚が悪いのではない。こちらが悪い。人を恵む者など、世間には稀だ。お母さんが生まれた里でも、肩身が狭くて残念だけれども、これも不運なのだから仕方がない。何も知らないお前たちにまで、こんなことを聞かせて、苦労させるのは親の恥だ。こういう困窮の家で親子となるのも何かの因縁だ、親の未熟のせいだと思って、どうかあきらめておくれ。

(涙ながらの母の言葉に、金次郎も友吉も胸がいっぱいになり、しばらく無言のまま歩き続ける)

金次郎:お母さん、よく分りました、ありがとうございます。私たちを育てるために、ご苦労なさる。私より年下なにの、お父さんやお母さんがない子供もいます。
私には、お父さんもお母さんもいます。・・・
お父さんもお母さんも長生きしてください。私が大きくなったら精出して働いてきっとお父さん、お母さんを楽にさせ安心させます。

(母は金次郎の健気な言葉に機嫌を直して、にっこり微笑む)

よし:まだ年もいかないのに、よくそう言ってくれた。

(母は子三人、しっかり二人の子の手を握って家へと帰った。この「私が成人したら精出してきっと父さん、母さんを楽に安心させます」という決意こそが、偉大な二宮金次郎の思想と事業の始まりである。)

二宮金次郎は、一生懸命働いて自分の家を復興させた後、父母の法事に縁者を招いてもてなした。
曽我からは伯父も来て、「よく丹精して家を興した」と喜んでくれた。金次郎は伯父にお世話になったお礼を述べた後、「この法事ができるのも伯父さんのお蔭です」と、あの時の母への扱いを語った。伯父はそれを聞いて「それは少しも覚えがないが、もしあったら甚だ悪い、勘弁なさい」と詫びた。
金次郎は「決して悪くない。きょうの法事供養は伯父さんの賜物同様と思っています。粗末ながら十分おあがり下さい。私もうれしいのです」と語った。





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最終更新日  2014年11月19日 04時49分45秒



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