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2015年03月28日
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It is a pleasure to me to reflect upon this subject in the language of Burke, who uttered the well-known touching eulogy over the neglected bier of its European prototype.
It argues a sad defect of information concerning the Far East, when so erudite a scholar as Dr. George Miller did not hesitate to affirm that, chivalry, or any other similar institution, has never existed either among the nations of antiquity or among the modern Orientals. 1 Such ignorance, however, is amply excusable, as the third edition of the good Doctor's, work appeared the same year that Commodore Perry was knocking at the portals of our exclusivism. More than a decade later, about the time that our feudalism was in the last throes of existence, Carl Marx, writing his Capital, called the attention of his readers to the peculiar advantage of studying the social and political institutions of feudalism, as then to be seen in living form only in Japan. I would likewise point the Western historical and ethical student to the study of chivalry in the Japan of the present.

<矢内原忠雄 訳>ヨーロッパにおいてこれと姉妹たる騎士道が死して顧みられざりし時、ひとりバークはその棺の上にかの周知の感動すべき讃辞を発した。いま彼れバークの国語をもってこの問題についての考察を述べることは私の愉快とするところである。
 極東に関する悲しむべき知識の欠乏は、ジョージ・ミラーの博士のごとき博学の学者が、騎士道もしくはそれに類似の制度は古代諸国民もしくは現代東洋人の間には嘗て存在しなかったと、躊躇なく断言していることでも解る。しかしながらかかる無知は恕すべき点が大である。何となればこの善き博士の著書の第三版は、ペリー提督が我が国鎖国主義の戸を叩きつつあったと同じ年に発行せられたのであるから。その後十年以上をへて我が国の封建制度が最後の息を引き取ろうとしていたころ、カール・マルクスはその著『資本論』において、封建制の社会的制度的研究上の特殊の利便に関し、当時封建制の活きた形はただ日本においてのみ見られると述べて、読者の注意を喚起した。私も同様に西洋の歴史および倫理研究者に対し、現代日本における武士道の研究を指摘したいと思う。

<試み>武士道の問題についてバーク[Edmund Burke]の言語(英語)で考察してみることは私にとって喜びである。バークは顧みられなくなってしまったヨーロッパの原型[騎士道]の棺台に、よく知られた感動的な讃辞を述べた。

※[エドマンド・バークがフランス革命におけるマリー・アント・ワット王妃の処刑について述べた言葉]名誉と騎士道の国にあって、王妃にこのような災いがふりかかるのを生きて見ることになろうとは夢にも思いませんでした。王妃へのこのような侮辱をもっての脅迫に対して、一万もの剣が抜かれてひらめくものと思っていました。しかし、騎士道の時代は今や過ぎ去ったのです。

極東に関する情報の悲しい欠陥は、ジョージ・ミラー博士のような博学な学者でさえ、古代の諸国家や近代の東洋の間には、騎士道またはどのような類似の制度も決して存在しなかったと断言することをためらわなかったことが示している。

※ジョージ・ミラーはアイルランドの歴史学者。『歴史学概説』で「古代の諸国や近代の東洋には騎士道のような制度は存在しなかった」とした。

しかしながら、このような無知は十分に許されるだろう。この立派な博士の著書の第三版は、ペリー提督が私たちの鎖国の入り口をたたいていた同じ年に刊行されたからである。それから10年以上も後、私たちの封建制度が断末魔の苦しみにあった時、カール・マルクスは『資本論』において日本にだけ生きた形がみられる封建制度の社会的、政治的な制度を研究することの特別な利益について読者に注意をうながした。私も同じように西洋の歴史や倫理を学ぶ者に、今現在の日本における武士道(chivalry)を学ぶことに向けさせたい。

☆新渡戸は、エドマンド・バークを単にバードとして記し、彼のフランス革命におけるマリーアントワネット王妃が処刑されるとき、誰一人救おうという騎士道精神を持った人物がでなかったことを騎士道は死んだと慨嘆したことを「周知の感動すべき讃辞」とする。つまりそのような読者を想定しているのである。
 後のほうで、イギリスのパブリックスクールの学校生活を生き生きと描いた『トム・ブラウンの学校生活』を引用している。
 つまり、新渡戸が想定した『武士道』の読者は、パブリックスクール出身でケンブリッジ・オクスフォードまたはハーバード大学などで勉学した英米の知識層を想定しているのである。
 そのためにそうした知識のない日本の読者にとって当然のように知っていることを前提とされる人名や事柄に戸惑い、『武士道』が難解に思える原因の一つになっている。
 したがって「分りやすい」現代語訳の『武士道』はそうした日本人には難解に思える情報を省いている訳書が多い、
それはある意味やむをえないことであるし、格調高く理想(イデア)としての『武士道』全体を理解するのには役立つであろう。





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最終更新日  2015年03月29日 04時58分33秒
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