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2015年05月17日
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2000年前に巨大津波=南海トラフ、三重で痕跡―高知大など
時事通信 5月16日(土)

 高知大学などの研究グループが、三重県で約2000年前の巨大津波の痕跡を発見した。グループでは、静岡県沖から宮崎県沖にかけて延びる南海トラフで巨大地震が起き、過去約7300年間で最大の津波が東海から四国、九州に押し寄せたとみている。
 高知大の岡村真特任教授(地震地質学)は、この規模の津波は繰り返し起きているとみている。東海、東南海、南海地震が連動した1707年の宝永地震(マグニチュード8.6)が最大級とされてきたが、「宝永地震を超えるものがある」と警鐘を鳴らしている。
 高知大と名古屋大の研究チームは2013年9月と14年9月、三重県南伊勢町の座佐池と大紀町の芦浜池で約7300年前までの地層を採取し、約2000年前の津波で運ばれた砂の層を発見した。厚さはそれぞれ約60センチと約30センチで、他の時代の津波でできたとみられる層より厚かった。池は地表に比べ、津波で運ばれた砂が残りやすいという。
 約2000年前の津波跡はこれまで、九州や四国で確認されていた。高知県土佐市の蟹ケ池では、宝永地震の津波で堆積した層は平均すると約15センチだが、約2000年前の津波の層は約50センチだった。
 今回の発見で、津波がより広い範囲に押し寄せたことが分かった。岡村特任教授は「三重県に非常に大きな津波が到達しており、もっと東にも津波が来た可能性が高い」と指摘。他の場所でも調査を進めたいとしている.


ボーイズ・ビー・アンビシャス第4集 広井勇と青山士 に

広井勇が少年の時代、高知県にいたころ、地震による大津波が襲来し、村をのみこもうとした刹那、

野中兼山がかつて築造し、砂に埋もれてしまっていた堤防がその津波を防ぎ、村を救ったという話を港の村の古老から聞いて感動し、技術者は100年後、200年後の先まで見通して設計する必要があると悟ったとある話を載せた。



『築港』緒言
 夫れ港湾の修築は通商貿易の発達し航運事業の進歩するに随い、その必要を感ずるものにして往時貿易なお幼稚なりし時にありては僅かに天然の地形を利用し、もしくはこれに多少の人工を加えて物資積卸の用に充て、以て足れりとせしも、輓近通商貿易の発達すると共に航運事業に著しき進歩を来たし、随って海陸運輸の接続に関し諸般の設備を全うすべき必要を感ずることますます切なるに至れり。
 およそ物資の運輸及び積卸(つみおろし)の便否は費用の上に至大の関係を有するものにしてその影響する所、ひとり一地方の盛衰に止まらず。延べて一国貿易の隆替に関するものなり。これ欧米諸国の先を争い、巨万の資を投じて港湾の修築をなし、大船巨船の出入りを自由ならしめ、かつ一度港内に入るや、天候のいかんに拘わらず、安全に碇繋して敏速に物資の積卸を全うし、旅客の昇降に便ならしむることに汲々たるゆえんなり。
しかるに我が邦(くに)の現状を顧みれば、四十万トンの船舶と三千マイルの鉄道は絶えず旅客貨物の運送をなすもこれが接続の要地たる港湾の多くは完全なる設備を闕(か)き、徒(いたず)らに旧慣を固守し専ら人力により稀には器械を用いて物資の積卸をなすに過ぎざるを以て勢い多くの時間と費用とを浪費せざるべからず。これを欧米著名の諸港に在りて常に大船巨船を陸地もしくは桟橋に繋ぎ完全なる設備により物資の積卸に従事し僅かに十分の一に足らざる費用と殆ど五分の一の時間とを以てするに比すればその得失あに同日の談ならんや。
惟(おも)うに港湾修築の事たる、実に国家重大の事業にして、その施設の困難なる土木事業中の最たり。故にこれが計画を立つるに当りては、最も慎重に、最も周到を以てし、百年に竟(わた)りて違算なきを期せざるべからず。

著者幼時、土州浦戸種崎に遊び、これを古老に聴く。該地海峡を扼(やく)する二個の波止〔はと・防波堤〕あり。これ我が邦工学の泰斗〔たいと・泰山北斗の略:その分野の第一人者〕たるの中、野中兼山の築きしものなりと。その種崎村にあるものは、久しく堆砂(たいさ)のうちに埋没し、知るもの絶えてなかりしに、後二百余年を経、安政元年の震災に際し、怒涛襲来し、種崎の一村今や狂瀾(きょうらん)に捲き去られんとする一刹那(せつな)、彼の波止露出し、ここにこれを防止して僅かに一村を全うすることを得たりと言う。ここにおいてか、兼山の施設の永遠に迨(およ)び、その当を得たるを証するに足る。実に技術者、千歳の栄辱は懸かって設計の上に在り。これが用意の慎密遠図を要する、また以て了すべきなり。

今や我が邦世界貿易発達の大勢に伴い、航運事業の進歩により港湾修築の必要を感ずること、すこぶる急にして嚮(さ)きには横浜港の修築あり。函館、小樽、大阪、長崎等はすでに着手し、その他企画中にあるもの摟指(ろうし)するに遑(いとま)あらざるも多くは船舶の碇繋を安全ならしむると同時に多少従来の不便を除去するに過ぎずして彼の欧米著名の諸港におけるがごとき完全なる施設は未だこれを観るに至らず。四面環海の島帝国裏当業者の前途また多事なりというべし。
本書は著者がかつて工事監督に際し部下の青年技術者に築港工事に関する研究の鍼路(しんろ)を指示せんがため記述したるものにして素(もと)より広く大方に示すに足らずといえどもまた以て斯道に少補する所あれば幸いなり。
巻中に引用せし許多の試験及び観測を為すに当り工学士西條健三郎、遠藤善十郎、北村房次郎諸氏の補助を得たるもの少なしとせず。ここにこれを謝す。
  明治三十一年八月  著者識(しるす)」








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最終更新日  2015年05月17日 18時06分43秒



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