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2015年07月03日
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新井奥邃について田中正造は「亜聖とでも称すべき人」と評した。高村光太郎は奥邃の文章を愛読し「自分の勇気をやしなはれてゐます」と友人への手紙に書いている。「全一学」の哲学者・森信三は「わが幻の師」と仰いだ。


荒井常之進

仙台藩士。新井とも表記。幼少から漢学に通じ、安井息軒門下に学ぶ。戊辰戦争の際、幕府側の立場にたって官軍に抗し、函館戦争まで従軍する。函館の町でロシア正教の宣教師ニコライに出会い、キリスト教に入信。その後森有礼に見いだされ、従者という形で森のアメリカ赴任に随行する。

森は荒井を日本政府のための人材というよりも、ハリスの新生社のための人材とみなしていたようで、荒井は渡米後すぐ当時ニューヨーク州ブロクトンにあった新生社のコミュニティに合流し、長沢鼎らとともに信仰生活にはいっている。
1875(明治8)年のハリスのカリフォルニア移住の際には、長沢とともに四人の側近に選ばれ、ハリスに同行。サンタローザでは印刷所の担当となり、宗教的パンフレット、葡萄酒などのビジネスの出版物、さらには自分自身の英文詩集なども出版した。

ハリスの新生社を「桃色教団」と非難する論陣を張った婦人運動家、アルザイア・シュバリエによると、荒井はファウンテングローブでは抑圧されていたとされる。粗末な衣服をつけ、日本へ手紙を書くことも禁じられ、母親の死に目にもなんらなすところがなかった…とのレポートが残されている。

奥遂と名乗る。

帰国後は横浜の実業家、平沼延次郎の厚意で東京・巣鴨に寮舎「謙和舎」を建て学生や書生らと共に暮らした。
当時、すでにニューヨークへもどっていたハリス夫妻は驚き、止めたという。
帰国後、鉱毒事件に奔走していた田中正造と出会い、田中の回心におおきな役割を果たす。敬けんな信仰者として、「巣鴨聖人」と呼ばれた。

田中正造のほか私淑した文化人には画家の柳敬助、高村光太郎、教育哲学者の林竹二、森信三などがいる。








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最終更新日  2015年07月04日 01時28分16秒



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