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カテゴリ:報徳記&二宮翁夜話
小田原市立図書館 10件
1 砂糖王鈴木藤三郎 / 二宮尊徳の会 2013.6 2 二宮金次郎の対話と手紙 第1 / 二宮尊徳の会 二宮尊徳の会 2015.2 3 日本近代製糖業の父 二宮尊徳の会(報徳記を読む会) 2010.10 4 報徳記を読む 第1集 / 二宮尊徳の会 2014.3 5 報徳記を読む 第2集 / 二宮尊徳の会 2014.11 6 報徳産業革命の人 / 二宮尊徳の会 2011.9 7 ボーイズ・ビー・アンビシャス 米欧留学篇 / 二宮尊徳の会 二宮尊徳の会 2013.10 8 ボーイズ・ビー・アンビシャス 第3集 / 新渡戸稲造(1862-1933) 二宮尊徳の会 2014.2 9 ボーイズ・ビー・アンビシャス 第4集 / 二宮尊徳の会 二宮尊徳の会 2014.7 10 ボーイズ・ビー・アンビシャス 第5集 / 二宮尊徳の会 二宮尊徳の会 2014.8 日本最後の空襲となった神奈川・小田原市の傷痕を取材しました。 フジテレビ系(FNN) 8月15日(土)18時11分配信 70年前の8月15日、終戦を告げる玉音放送が流れました。 そのわずか半日前、神奈川・小田原市では、アメリカ軍の空襲により、12人が犠牲となっています。 日本最後の空襲、その傷痕を取材しました。 戦時下の小田原地方を記録する会の事務局・井上 弘さん(60)は「くぼみがもうそのまま、直径10メートル近く、7~8メートルだから、このくらいですよね。これが、そのまま1発の250kg爆弾でのあれですね、跡ですよね」と話した。 終戦2日前の空爆の跡地を案内してくれたのは、戦時下の小田原地方を記録する会の井上 弘さん。 1945年8月13日、アメリカ軍は、爆弾の跡が残る寺院に隣接する新玉国民学校を空襲、3人の教職員が亡くなった。 蓮上院の浜武快晃住職(75)は「ずしーんと音がして、どのくらいだかわかりませんが、そのあとしーんとなっちゃった。そのうちに、こっちの方で、下敷きになったんでしょうか。『助けてくれ!』って、声が聞こえた」と話した。 さらに、この空襲から2日後。 1945年8月15日、終戦を告げる玉音放送が流れる半日前、小田原市を悲劇が襲った。 戦時下の小田原地方を記録する会の飯田耀子代表は「はじめ見た瞬間、なんか花火みたいな。花火が散った跡みたいと思ったんですが、そしたら、母が『空襲だよ』と」と話した。 8月15日未明、アメリカ軍のB29爆撃機1機が襲来した。 小田原市浜町周辺に焼夷(しょうい)弾を投下し、およそ400軒が焼失、12人が死亡した。 戦時下の小田原地方を記録する会の飯田耀子代表は「そのうちに、もう煙や炎が追いかけるように、火花もいっぱい飛んできましてね。もうみんな、見ると怖いんで、必死に前を向いて(逃げた)」と話した。 小田原空襲の説明板が設置されている、古清水旅館跡地。 資料館には、当時、焼夷弾で焼け焦げた旅館の階段の一部が展示されている。 旧本陣古清水旅館資料館の清水 修一郎館長は「戦争の悲惨さ、小田原にも、こういうことがあったんだというものを、やっぱり少しでもね、後世につなげていきたいなと」と話した。 あの日を忘れない。 しかし、アメリカ軍の資料には、日本最後の空襲の記録は残されていない。 いったい、なぜなのか。 小田原空襲で家を焼失した相原俊夫さん(83)は「その頃に、伊勢崎と熊谷を空襲した大編隊の中の(B-29)1機がね、たまたま残っていた焼夷弾を落としていった」と話した。 この空襲で、家を焼失した相原さんは、埼玉・熊谷市などを攻撃したB-29が、余った焼夷弾を、たまたま小田原に投棄していったと指摘する。 そのため、アメリカ軍の記録に残っていないとみられている。 相原俊夫さんは「あと1日、あるいは、あと半日でもいいんですね、放送が早く、玉音放送がされて、戦争が終わっていたらね、わたしの家も焼かれずに済んだろうし、火の海の中を逃げ惑わなくても済んだのにと思うとね。まあ、これはあとで知ったことですけどね、まあ本当に、それが一番悔しかったですね」と話した。 小田原空襲を語り継ぐ井上さんは、戦争について語った。 井上 弘さんは「戦争を行っている国の一般の人たちが、やっぱり現代の戦争っていうのは、総力戦の中で、やっぱり、いつでも被害を受けてしまうという。そういう典型で、1つの小田原空襲が位置づけられるのかなという感じがしますね。そうした面では、やっぱり戦争というのは、やっぱり起こしちゃいけないし、起こすべきではないということを、強く感じています」と話した。 小田原では、本来は命を落とすはずではなかった人たちが、余った焼夷弾の投下によって犠牲になった。 無差別爆撃の悲惨さ、戦争の残酷さを象徴する出来事といえる。 そして小田原のように、記録に残らない事実が、まだ埋もれているのかもしれない。 国民のほとんどが、戦争を知らない世代となった今、戦争という過ちを二度と繰り返さないためにも、戦争の残酷さ、平和のありがたさを、将来の世代に受け継ぐだけではなく、まず自ら知ろうとする責任が、1人ひとりにあるのだと感じられる。. 最終更新:8月15日(土) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2015年08月22日 15時59分31秒
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