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2015年10月05日
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<ノーベル賞>医学生理学賞に大村智氏ら3人
毎日新聞 10月5日(月)
スウェーデンのカロリンスカ研究所は5日、今年のノーベル医学生理学賞を大村智・北里大特別栄誉教授(80)ら3人に授与すると発表した。大村氏の授賞理由は「寄生虫によって起こる感染症の治療法の発見」。

 日本からの受賞は、昨年の赤崎勇、天野浩、中村修二=米国籍=の3氏(いずれも物理学賞)に続き2年連続。米国籍の中村氏、南部陽一郎氏(2008年物理学賞)を含め23人となる。

授賞式は12月10日にストックホルムで開かれ、賞金800万スウェーデンクローナ(約1億1500万円)が贈られる。


未踏の世界へ:役立つ微生物探して40年 北里大特別栄誉教授・大村智さん
毎日新聞 2015年04月02日

◇大村智(さとし)さん(79)

 1グラムの土の中に約1億匹いるとされる微生物は、さまざまな化学物質を生み出す。その中から病原菌などの増殖を抑える「抗生物質」を見つけ、新薬の開発などにつなげる。こうした研究を40年以上続け、途上国の感染症対策から最新のがん治療まで、幅広く進歩の土台を築いてきた。

 社会人のスタートは高校夜間部の教師。工場などで働きながら学ぶ生徒の姿を見て「自分も学び直そう」と決意した。母校の山梨大を経て、29歳で北里研究所へ。抗がん作用のある抗生物質「マイトマイシン」の発見で知られた故・秦藤樹(はたとうじゅ)博士の下で有機化学の知識を深め、1年半の米国留学で人脈を培った。

1973年に帰国する際、製薬大手の米メルク社と共同研究の契約を結んだ。提供された資金は年8万ドル(約2500万円)と、異例の高額。重圧がかかる中、研究室のメンバーはいつもスプーンとポリ袋を持ち歩き、各地の土を集めては分析した。

 79年、新種の放線菌が作る有望な抗生物質を発見し「エバーメクチン」と名付けた。多くの研究者がペニシリンなどの仲間を調べる中、活性の多様さに着目し「マクロライド」と呼ばれる別系統の物質の探索にこだわった成果だった。

 これを基に開発した医薬品「イベルメクチン」は、当初狙った動物の寄生虫駆除に劇的に効いただけでなく、ヒトでも失明に至る熱帯病オンコセルカ症やリンパ系フィラリア症の特効薬に。世界保健機関(WHO)はアフリカで薬の無償配布に乗り出し、2億人以上が投与を受けた。2004年に現地を初めて訪れた大村さんは、子供たちが目を輝かせて「メクチザン(イベルメクチンの製品名)!」と叫ぶのを聞き、貢献を実感した。

 大村研究室が発見した化学物質は500種を超え、ここから26種の医薬品や農薬が生まれた。それでも「役に立つ物質を作ってくれるのは微生物で、僕は見つけるだけ」と、「微生物へのリスペクト(敬意)」を忘れない。【清水健二】

2015年のノーベル医学生理学賞の受賞が決まった大村智(さとし)北里大特別栄誉教授(80)が5日夜、東京都港区の北里大学で会見した。「私の仕事は微生物がやっている仕事をいただいたもの。私自身がこんな賞をいただいていいのかな」と受賞の喜びを語った。主な一問一答は以下の通り。【デジタル報道センター】

 ◆(大村さん、以下略) きょうはありがとうございます。きょうは午後4時半に家に帰ろうとしたら秘書に止められ、「何かあったかな?」と思ったら、このような運びとなりました。秘書には予感があったのかもしれません。私の仕事は微生物がやっている仕事をいただいたもので、私自身がこんな賞をいただいていいのかなと思います。皆さんはいろいろと賞をくださいましたが、私自身は微生物の仕事だと思っています。これからも若い人たちが仕事を続けて、こういう仕事をしてくれるのではないかと思います。

 日本は微生物をうまく使いこなしてきた歴史があります。食料にしても農業生産にしても微生物のことをよく知って、人のため、世の中のためにやってきたという歴史がある。そのような環境に生まれたことは良かったと思います。このような賞(ノーベル賞)に恵まれたのは、そのような先輩の中で仕事ができたということもあると思います。もう一つは本学の創設者の北里柴三郎先生の「人のために仕事をしなければならない」という精神です。私も微生物が「何とか役に立たないか」と思ってやってきました。

 皆さんの前に立つなら、もっとちゃんとした格好で、もっといいネクタイで立てばよかった(笑い)。

 −−(会見中に安倍晋三首相からお祝いの電話があり、終わった後)安倍首相の電話の内容は?

 ◆若い人たちにも、私のような研究をする後継者が生まれるようにお願いしますと伝えました。

 −−どなたに喜びを伝えたいか?

 ◆研究者として一番大切な時に支えてくれた、亡くなった妻・文子に伝えたいです。何より喜んでくれると思います。

 −−座右の銘は?

 ◆母は小学校の先生で、忙しくて(子供の)面倒を見られないことも多かったのですが、祖母から「人のためになることをしなさい」と言われました。分かれ道に立った時は、それを基準に考えてきました。

 −−「人と同じことをやっていてはダメだ」とのお考えとうかがったが。

 ◆私は人まねはしません。まねをするとそこで終わり。私は高校、大学とスキーばかりやっていました。国体選手にもなりました。ある時、新潟の先輩から聞きました。北海道に何度も行って練習してきたけれど、勝てないと。そこで指導教授が「北海道に行くのはもうやめ」と言いだし、自分たちで練習するようになった。すると、国体で優勝した。そういう話を聞いて、自然科学も一緒だと考えました。人のまねをやっていては人を超えられない。まねをしたら超えられないというのは学生時代からずっと思っています。

 −−なぜ(静岡県)川奈のゴルフ場から土を見つけたのか?

 ◆「これ」と土地を決めるのではないんです。実際に分かっているのは「伊東市川奈」というところまで。ゴルフ場は付け足しなのですが、「大村のやつはゴルフしながら……」とは周りに言われますね。財布の中に今もビニール袋を持っていて、多くの土をチェックして、培養液につけています。

 −−プレー中というわけでないですよね。

 ◆いや、もちろんプレー中のものもありますよ(一同笑い)。ゴルフが終わった後で、靴に付いた土を取ったこともあります。

 −−若い学生に一言。

 ◆絶えず失敗しないとだめなんです。成功した人は失敗のことは言わないんです。私もそうでしたが、成功の陰にはその何倍もの失敗がある。そのことを忘れないでほしいですね。

 −−「微生物の力を借りながらここまでやってきた」とおっしゃったが、どうして微生物に興味を持ったのか。

 ◆東京理科大学の修士課程を出ました。有機化学を中心に研究しました。山梨大学でもワインの発酵の研究をした。培養液の中に入れていた砂糖とかグルコースが、一晩であとかたもなくアルコールになっている。グルコースからアルコールができるのを見て「微生物ってすごいな」と思った。北里大学で、私がやってきた微生物と化学の両方を利用して、私の研究をやろうと考えた。それがのめり込んだきっかけ。

 −−薬を作る仕事はなかなか成功しないことも多いのに、先生はたくさん作られた。なぜ?

 ◆この研究は共同研究の「塊」の成果なんです。さまざまな方の助けがあったからこういう成果を挙げられたと思うんです。それと私自身はなるべくたくさんのことを知ろうとめちゃくちゃ本を読みます。だから私の専門は、今は「スペシャルコーディネーター」のような肩書です。

 −−苦しい経験は?

 ◆うちのグループの場合は、たくさんのグループでやっていて、全くものが見つからないということはあまりないんです。みんなで共同研究をやっている成果と言えるかもしれません。

 −−ゴルフ場の件をうかがいたい。川奈のゴルフ場の土はどう違うのか?

 ◆我々が土壌採取をする時は、あらゆる可能性を考えて土を取ります。川奈の土を取ったというのは、川奈の土が他とどう違うのかを調べるということでもあります。あらゆる可能性を考えて採取します。我々は年間2000株、4000株という種類を培養する。大変な作業になります。みんなで、そういう共同研究体制をきちんと組めたというのが、幸せでした。みんながとてもよく働いてくれた。

 −−川奈のゴルフ場から取った?

 ◆菌を分離したときは全く分からない。何年か後に分かるんです。取ってから5、6年かかるので、1人でできる仕事じゃないです。これは日本人に向いているんじゃないかと思う。「俺がやった」という人ばかりでは成り立たないんです。

 

 −−大学卒業後、定時制の高校に勤めた後、研究者になった。その異色の経験はどう生きているか?

 ◆私も大学を出たばっかりの若造だった。まだ多感だった。いきなり高等学校の夜間(定時制)の先生になった。工業高校だったので、(生徒は)近辺の工場で仕事を終えて学校に来る。ある日、試験監督をした日だった。期末試験に飛び込んできた生徒がいた。その生徒の手には、まだ油が付いていた。それを見て「ああ生徒たちはこういうふうに勉強しているのか」と思った。そこで自分は何をしているのか、と。最初はいい先生になろうと思って、東京理科大で勉強した。一回も東京で生活したことがないのに、いきなり(東京の)高校で教えた。私が甲州弁でしゃべるのをまねして、江戸っ子が笑う。「それ、どういう意味ですか」と笑う。化学の先生ではなく、語学の先生ですよ。そうこうするうちに、だんだん自分は研究した方がいいな、研究者になったほうがいいなと思うようになった。ちょうどその頃、北里大で、化学と微生物を一緒に研究できるようになった。

 −−先生自身が、山梨で勉強していた時に苦労した経験はあったか?

 ◆私は農家の長男で、そこで教わった農作業の一つ一つが勉強になっていますね。東京理科大時代は、昼は大学に行き、夜は高校で教えた。結婚した時はやせ衰えて、結婚したばかりの妻には「病気のようだった」と言われました。でも、スキーで苦しい経験もしたので、「あれから見れば楽だな」と思ってやっていました。

 −−研究のやりがいは?

 ◆やったことは大体失敗するわけです。うまくいかなかったり、失敗したりしていましたが、でも何回か繰り返すと「またやろう」と思って、やる気になるんです。

<中国>屠氏、初のノーベル自然科学受賞へ 国挙げ成果誇示
毎日新聞 10月5日(月)

【北京・工藤哲】中国国営新華社通信は5日、中国の女性薬学者の屠※※氏(84)のノーベル医学生理学賞受賞決定を速報した。中国にとって、化学や医学生理学といった自然科学分野でのノーベル賞受賞は悲願だっただけに快挙と受け止め、国を挙げて業績をたたえ、成果を誇示することになりそうだ。(※は口へんに幼)
中国メディアによると、屠氏は中国中医科学院の首席研究員で終身研究員の肩書も持つ。マラリア治療に効果的とされるアルテミシニンの研究で知られ、長年にわたり中国の漢方薬と西洋医学の融合に関する研究を進めてきた。

 1960~70年代のベトナム戦争では、マラリアによって北ベトナムの兵士が多く死亡したことから、中国側に支援要請があり、中国ではこの時期からマラリアの治療薬の研究に着手。研究メンバーに屠氏が加わった。失敗を重ねた末に開発した薬がその後も多くの人の命を救うことに貢献したことが評価されたという。

 中国メディアは屠氏が博士でもなく、留学経験もなく、中国科学院などの会員にも落選してきたことから「三無科学者」と伝えている。

 中国では、2010年に人権活動家の劉暁波氏が平和賞、12年に作家の莫言氏が文学賞を受賞。劉氏の受賞決定の際は、劉氏が体制批判を続けてきたことから中国政府が反発。本人不在の授賞式となった。一方で莫氏は国民的作家だったこともあり、国内で祝賀ムードが広がった。






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最終更新日  2015年10月06日 01時11分55秒
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