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2016年07月24日
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「ツキを呼ぶ魔法の言葉」ゴールドラッシュ!(マキノ出版)

「高校ラグビー日本一!
苦しいときに勇気を与えピンチを乗り切った魔法の言葉  東福岡高校ラグビー部監督 谷崎重幸」という特集記事が載っている。

全国制覇したときの谷崎監督の言葉

「全国高校ラグビーを制し、教え子たちに胴上げされた東福岡・谷崎監督は「ありがとうの言葉しかありません」と涙を流した。今大会直前に広木さんを失ったが、03年にはOBで同大1年だった中山亮太さんが急性心不全で、99年にはひとみ夫人ががんのため38歳で亡くなった。いくつもの悲しみを乗り越えてきた。
 妻の死を受け、悔いのない人生を歩もうと決めた。01年から3年間、3人の子供を連れてニュージーランドへコーチ留学。そこで出会ったのが、楽しんでプレーするラグビー。選手の自主性を尊重し、試合前のミーティングも選手に任せた。自分たちで考えてプレーする能力を身に付けた選手たちは、ピンチになってもたくましかった。
家内を亡くした時、知人に“神様は乗り越えられないものに試練は与えない”と言ってもらった。ありがとう(有り難う)は難が有ると書きますよね。それから僕にとっては、ありがとうが大事な言葉」。
大事な人たちを失い、3度決勝で敗れた試練も乗り越えた指揮官はそう言ってほほ笑んだ。


東福岡の谷崎監督


   最後の10分、ピンチが続いた。心の中で
   「ありがとう」と繰り返していた。苦し
   いときに勇気をくれる魔法の言葉―。
   
   長い道のりだった。監督について25年。
   4度目の決勝。大一番でも自由奔放な
   ラクビーは変わらなかった。試合中は
   指示をしない。「勝つためではなく、
   楽しむのがラクビー」と思うからだ。

   …転機は99年。38歳の妻を胃がんで亡くした。
   魔法の言葉を使い始めたのはこの時からだ。

   …開幕直前、レギュラーの広木淳さんを
   踏切事故で失った。その彼が、心の中の
   お守りになって助けてくれたと感じる。
   試合後、雲が途切れた青空をじっと見つめた。
   「広木も、妻も、きっと見てくれていた」。

   主役達の手で3度舞うと、笑みと涙で
   くしゃくしゃになった。




東福岡高校のラグビー部監督谷崎重幸

私は中学生まで野球少年でしたが、進学した志摩高校が三重県大会で10連覇しているラグビーの強豪校だったのです。「スポーツをやるなら強い部活に入ろう」と思いラグビー部に入部しました。高校3年生の時には全国大会にも出場し、高校ラガーマンのあこがれである近鉄花園ラグビー場でプレーすることができました。

その試合を見ていた法政大学の石井徳昌ラグビー部監督が「うちに来ないか」と誘ってくれたのです。当時の法政大学ラグビー部は黄金期を迎えており、全国にその名をとどろかせていました。加えて野球部には江川卓投手がいました。元野球少年の私としては彼と同じ大学に通えることを光栄に感じ、迷わず法政大学に入学しました。

法政のラグビー部ではとにかく基礎を大切にする練習が主体でした。日々の練習はとてもハードでしたが、そこで学んだことは監督となっても応用できるものばかりで大きな財産となりました。大学時代は多くの試合や大会をこなしましたが、覚えているのは負け試合ばかりで、失敗から学ぶことが多かったですね。

私は中学生くらいから「教師になりたい」という目標があり、教員免許を取るために大学で学びました。その思いは卒業まで変わることなく教育実習にも参加。母校での実習を終え、他校へも足を伸ばして見学に行ったのが、東福岡高校でした。

私は一度見学に行っただけだったのですが、同校から強く誘っていただき教師として勤めることにしました。ラグビー部の監督を任され、就任3年目で花園(全国大会)に行くことができました。そのころの自分はまさに熱血教師。ときには自分で見本を見せて生徒にも厳しく要求しました。毎日、長時間の練習を課し、その後も何度か花園には行けたのですが初戦や2回戦で敗退。良くてもベスト16という戦績で、満足がいく結果を残すことができず思い悩んでいました。

転機となったのはニュージーランドへの留学です。私は2001年から2003年まで休職してニュージーランドで生活しました。ニュージーランドはラグビーが世界一強くて盛んな国です。その文化に触れて日本を外から眺めることで、私の価値観は大きく変わりました。

それまでの私は勝つことばかりに意識が向き、自分の理想を押しつけて枝葉を切り取った盆栽のような「見栄えのするチーム」を作ろうとしていたのです。一方でニュージーランドの指導者はラグビーを通じて子どもの個性を引き出し、彼らの将来を考えて縁の下の力持ちとしてサポートしていました。その指導方法に触れてラグビーはあくまで人を成長させる手段であり、選手一人ひとりのためにラグビーが存在することを理解したのです。


帰国後に快進撃が始まる

日本に帰国してから私の指導方法は大きく変わりました。自分の考えを選手に押しつけるのではなく、選手自身にプレーを考えて選択させ、一人ひとりの良い面を見つけて育てることを意識しました。その指導がチーム内に浸透して結果にも結びつくようになり、復職してからの11年間は決勝に7回進み、うち4回は優勝を果たしました。

今振り返ると選手たちに「勝ってこい」と言っているうちはあまり勝ち星に恵まれませんでした。反対に「どれだけ必要とされるか、どれだけ喜んでもらえるか、どれだけ感謝されるか」と、ラグビーというスポーツの根底にある精神を伝えるようにしてから素晴らしい成績を残してくれるようになりました。

ラグビーというスポーツには、ライバルはいても敵はいません。競技を競っても対立はしません。ラグビーの試合終了を「ノーサイド」と言いますが、これは、一人の男・ラガーマンとして自らを犠牲にして仲間の為に身体を張り、他人の為に尽くせる人物として認め合い、むしろ同胞として一体化する瞬間で、敵も味方もなくなるからです。敵を作らず仲間を大切にするというラグビーの理念は、人を育てるのに最適です。そんな競技に長年携わることができた私は本当に幸せ者です。今年から統括という立場になり、選手よりも若手監督の育成を手掛けるようになりました。今後は未来の宝の個々の輝きを伸ばすような指導者を育成し、ラグビーのすそ野をさらに広げることが目標です。

法政大学に通う皆さんに伝えたいのは一日一日を全力で過ごしてほしいということです。「朝」という漢字は「十」「日」「十」「月」からできています。十月十日は母胎内での成長期間を表す言葉です。朝が来る度に人は新たな命として生まれ変わり、生涯で一度きりの一日を過ごす。そう考えれば今この瞬間を生きていることが素晴らしいことであり、今日という一日が大切に思えてくるでしょう。「今」を精一杯生きることが、未来につながります。毎日の積み重ねを大切に、楽しい有意義な大学生活を送ってください。







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最終更新日  2016年07月25日 00時05分24秒
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