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2016年08月27日
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カテゴリ:広井勇&八田與一
札幌へ(三五頁) 笈(きゅう)を負(お)うて〔(史記蘇秦伝から)勉学のために故郷を離れる意味〕、青雲の志を抱き、いよいよ故郷東京に別れを告げ、明治一〇年八月二七日、品川より開拓使の御用船玄武丸にて出帆した。玄武丸は六四四トンの蒸気船で、今日でこそ、小さな船であろうが当時としては鄙には稀な豪華船であった。もっともこの豪華船は非常に動揺しやすく、一名ゴロタ丸の別名を有していたほどである。中央部甲板の下にホールがあり、このホールは食堂兼談話室であった。ホールを中心にして一等室があり、各室とも定員二名、二等は舷側にあって定員四名、ベッドは上下に位置していた。三等室は舳(とも:船首)にあって、荷物が輻輳(ふくそう)すると積荷はその室にまで溢れて来た。私たちの乗船した時は、幸いに船客が極めて少なく、一行は一等室もしくは二等室をあてがわれた。この引率者は幹事であり、予科で英語の教師を兼ねていた井川冽氏である。途中大分荒れて一行にも船酔いを催すもの多く、町村金弥君はその時の船酔いの旗頭であった。八月三〇日函館に入港、九月二日まで停泊した。蝦夷の関門にいよいよ上陸第一歩をしるし、さわやかな陽の光に、感銘深い永き憧憬の地の初秋を感じた。暇を得て、函館山に上り、さまざまな珍しい植物に眼を惹かれ、また碧血之碑〔函館戦争で旧幕府軍の戦死者を記念する慰霊碑。碧血とは「義に殉じて流した武人の血は三年たつと碧色になる」(荘子)という中国の故事によるもの〕なども訪れてみた。町は思ったより相当殷賑(いんしん)であったが、やはり東京から来て見ると異郷に渡って来た思いがした。すれちがう女の魚売りの「さかなかはにしかね、さかなかはにしかね」と聞こえる呼び声や、「ぞにもつ、するこもつ」(雑煮餅、汁粉餅)などの看板に遥かに来た道の遠さが思われた。九月三日早朝つつがなく小樽に入港、海路は極めて平穏であった。直ちに下船、入船川のほとりの海に面した宿で朝飯をしたためる。当時、手宮はまだ漁村で、入船町のあたりが港の中心であった。食後、馬二〇頭、鈴の音をひびかせて、いよいよ一同札幌に向かう。国道は海浜に沿い、銭函までは漁村が散点していた。ただ張碓(はりうす)に近いカムイコタンだけは、道路が未完成で、高い断崖下に岩礫がるいるいしていた。好天に恵まれ、海も静かであったため、波浪の洗礼もうけないで馬上無事通過、なお海沿いに銭函に進み、小坂をあがった所の宿で昼食をとり、鄙びた饅頭を食べる。この饅頭は銭函名物なりし酒饅頭の前身である。これから道は海にわかれ、鬱蒼たる森林を縫って軽川から琴似(ことに)に向かった。この間、所々に農家が散在していた。琴似で始めて屯田の建物らしい建物を見、ぽっかりと人里のあたたかさを感じ、またことに屯田の事務所や小学校などが爽かに眼についた。一行は遂に渡嶋通り、すなわち南一条から北二条西二丁目の薄暮の寄宿舎に着いた。布団もない荷物を両側に付けた駄鞍にのって来たので、尻は勿論、始めて乗った馬とて体の節々も痛く、気鋭の若者も一同大いに疲労した。玄関はひっそりとして一人の出迎えてくれる上級生もなく、全然空屋のような静けさであった。ただ遠くの室で、何か集会があるらしく、歌の声などが聞こえてきた。後でわかったことであるが、その時、上級生一同は復習室に集まって、ちょうど祈祷会を開いたところであったのだ。まず食事をとり、風呂に入る。二人ずつ既に割り当ててあり、各室のドアーの側に名札が掛っていた。実に偶然といえば偶然、私と内村君は同室になっていたのだ。ほの暗いランプの下で、虫の音を聞くともなく聞いていると、遥かに来た旅愁を身にひしひしと感じた。当時寄宿舎の規定で、各学年ごとに室をかえ、また同時にコンビネーションもかえることができるようになっていたが、私共両人は室は変っても離れることなく、四年間一緒にいて、最も平和な楽しい生活を共にすることができた。





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最終更新日  2016年08月27日 12時39分21秒
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