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カテゴリ:報徳記&二宮翁夜話
現代に生きる報徳1 トヨタの源流には報徳がある
『かいびゃく』平成7年10月号に「今も生きる福山滝助の報徳」-星野雅良氏に聞く」という記事が載る。愛知県山吉田地区に初めて報徳社が作られたのは、1882年9月で、福山滝助の指導による。滝助は袋井市、森町などを中心に報徳社を作り指導した。山吉田地区の若者が「ぜひ当地区でもご指導頂きたい」と願い出た。これが三河(愛知)の報徳の始まりである。滝助の指導は、無利息金貸付けを中心とした活動で、多額の借金に苦しんでいた多くの村の人たちを自力更生させた。滝助は「日掛け縄ない」や善種金の積立て、余財の推譲による相互扶助など熱心に指導した。星野氏は「トヨタの源流には報徳がある」と言う。豊田佐吉は慶応3年(1887)山口村(湖西市)に大工・豊田伊吉の長男として生まれた。父の伊吉は熱心な報徳信奉者で、福山滝助の高弟・松島吉平の指導により山口村に報徳社が作られた時、中心的な役割を果たした。佐吉もその雰囲気の中で育った。『豊田佐吉伝』に次の記述がある。「尊徳の分度生活は即ち豊田翁の感謝生活であった。豊田翁が常に人を遇すること厚く、自己に尽くすところ甚だ薄かったことは翁を知る人すべてが肯定する。・・・尊徳のいわゆる『推譲』、即ち分度生活を守るに要する以外の自分の力は、これを国家社会へ推譲すべきという精神は、豊田翁の奉仕生活によって遺憾なく実行された。豊田翁こそは、尊徳の教訓を全身全霊を以て実践躬行した人である。」「当時の豊田紡績会社には、報徳的な雰囲気が色濃くあったのでないでしょうか。トヨタの堅実経営、無借金経営は、報徳的な精神が底流にあって、その後も受け継がれてきたのだろうと思います。」『豊田佐吉伝』に「神に感謝し、祖先に感謝し、父母に感謝し、国家に感謝し、社会に感謝し、部下に感謝し、一片のパンにすら感謝した」とある。佐吉は常に「いくら儲けたいの、これだけ儲けねばならぬのと、そんな欲張った自分本位の考え方じゃだめじゃ。世の中には自分以外に人がいるよ。」「世の中の多くの人のために、お国のためにという考えで一生懸命に働いてゆけば、食うものも、着るものも、自然と随いてくるものじゃ。」(「豊田佐吉翁に聴く」) 豊田綱領 一 上下一致、至誠業務に服し産業報国の実を挙ぐべし。 一 研究と創造に心を致し、常に時流に先んずべし。 一 華美を戒め、質実剛健たるべし。 一 温情友愛の精神を発揮し、家庭的美風を作興すべし。 一 神仏を尊崇し、報恩感謝の生活を為すべし。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2016年09月28日 00時41分47秒
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