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2016年11月18日
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  「坂村真民」の詩の紹介(森信三「幻の講和」第二巻より)
○第三講「生きることの探求」より
「  主人貧しくも  坂村真民
  主人貧しくも 鶯来鳴き 春の戸ひらく
  主人貧しくも 月照り ひかり堂に満つ
  主人貧しくも 石笛吹けば 天女舞う
  主人貧しくも タンポポ咲いて 種子四方に飛ぶ
 坂村さんは、戦前は朝鮮で先生をしていられたのです。そして敗戦によって食糧難の祖国へ引き上げてこられて、四国の片田舎で苦難の日々を送られたようですが、そうした中からも、つねに詩作にはげんで、毎年一冊ずつ詩集を出して、ごく少数の知己の範囲に頒って来られたのです。
 そしてこの詩は、その処女作の『六魚庵天国』の中に入っている詩ですが、そのころの坂村さんの生活や心境の点からして、ここに掲げてみた次第です。
 清貧というコトバが、いかにもピッタリとよくあてはまる詩でしょう。しかし坂村さんの今日あるのは、ひとえに、当時このような極貧に近い生活にもかかわらず、詩を自分の「天職」と心得て、それに没頭してこられたからであります。つまり、坂村さんが今日、一部の人々から『国民詩人』と呼ばれるようになった土台は、いわばこの時期に築かれたといっていいでしょう。
現在、坂村さんは、ご自宅のお住まいを『タンポポ堂』と名づけていられますが、そうしたタンポポへのふかい愛情も、すでにこのころきざしていたと言えそうですね。」
○森先生は、「われわれ人間が、この二度とない人生を真実に生きようとしたら、「師」を持たなければならない。真に生きた真理は、これを生み出した人自身によって語られ、さらにはその人が実践されるのを目の当りに見るのでなければ、真実の趣は分り難い。」と言われる。
「われわれの人生は、実に限りない深さをもったものだが、また無自覚のうちに死んでゆく人も少なくない。何ゆえ人生の真理の深さは、かくも限りないのか。われわれ人間がこの地上に生まれ出た根源の力は結局神に基づく。それは「宇宙生命」とか「大自然」といってもよい。一人ひとりが、大宇宙の根源意志につらなって生きているのだ。」

○第四講「自分を育てるのは自分」
「  ひとりひそかに  坂村真民
  深海の真珠のように
 ひとり ひそかに
  じぶんを つくってゆこう
 ごらんのように、この詩はごく短い詩ですが、それだけにかえって、読む人の心に深く訴えるものを持っているといえましょう。
 坂村さんは、戦後海外からの引揚者の一人で、四国の片田舎で、極度の食糧難の中で、五人の家族をかかえて、日々を苦しい生活にあえぎつつも、その間自己の天職と考える詩作の道に励まれたのです。
 しかしながら、そのころ詩人としての坂村さんの本質を知る人は、ほとんど無かったといってもよいでしょう。
しかもそうした深い孤独の中にありながら、坂村さんは詩作のあゆみを怠らなかったのです。そしてこの詩は、ある意味ではそうした坂村さんの心境を表現したものといってよく、そのためにこんなに短い三行詩でありながら、よく万人の心を打つことができるのでしょう。」
○「前回、われわれ人間にとって、自分の生き方の探求ほど大事なものはないと申しました。そして、書物以上に大事なのは「師」で、書物に書かれた真理が平面的だとすれば、「師」を通して得られる真理は立体的で、人生のふかい真理は一人の生きた人格において初めて生かされるのです。われわれが真摯に人生の真理を探求しようとしたら、生きた人格として、全力を挙げて真理に生きようとしている「師」について学ばねばならない。
 真に「師」に学ぶということは、単に「師」の言われたり、行われることを模倣することで満足しないで、「自分を育てるものは結局自分以外にはないのだ」という態度を確立しなければならない。
○鈴木鎮一先生はクリングラーに師事した。多くの優れた魂は優れた人格のもとで自分の行き方の探求を行ったといっていいかもしれないな。なんかわが身を振り返ると痛ましい限りだな。森先生の言われる「人生の師」―全力を挙げて真理に生きる人格を師といただいたことはないな。二宮尊徳先生など、本を通じて親炙してきたに過ぎない。ああ、せめて、「師」と言える生きた真理の人格の許で自らを磨いていきたいものだと切に思う。

これは「家族ふれあい新聞」570号にかかげたものである。

幸いにして 「師」と言える生きた真理の人格 といえる人と会えたことはこの上もない喜びである。

残念なことに 森信三先生も 坂村真民先生にもお会いすることはできなかった。

ただ真民先生在世の頃、本を買い求めたら、サインをいただいたことがある。

出会いはまことに不思議である。お二人とは出会いはなかったが、その文章を通じて わたくしの人生を豊かに照らしてくれる。





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最終更新日  2016年11月18日 18時56分11秒
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