12336598 ランダム
 ホーム | 日記 | プロフィール 【フォローする】 【ログイン】

GAIA

GAIA

【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! --/--
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
全て | 報徳記&二宮翁夜話 | 二宮尊徳先生故地&観音巡礼 | イマジン | ネイチャー | マザー・テレサとマハトマ・ガンジーの世界 | 宮澤賢治の世界 | 五日市剛・今野華都子さんの世界 | 和歌・俳句&道歌選 | パワーか、フォースか | 木谷ポルソッタ倶楽部ほか | 尊徳先生の世界 | 鈴木藤三郎 | 井口丑二 | クロムウェル カーライル著&天路歴程 | 広井勇&八田與一 | イギリス史、ニューイングランド史 | 遠州の報徳運動 | 日本社会の病巣 | 世界人類に真正の文明の実現せんことを | 三國隆志先生の世界 | 満州棄民・シベリア抑留 | 技師鳥居信平著述集 | 資料で読む 技師鳥居信平著述集  | 徳島県技師鳥居信平 | ドラッカー | 結跏趺坐 | 鎌倉殿の13人 | ウクライナ | 徳川家康
2017年01月20日
XML
カテゴリ:鈴木藤三郎
伏流水利用による荒蕪地開拓   出典:日本農業会大会講演集第7回(昭和11年)
    農業土木学会員・台湾製糖農事部長 鳥居信平

 私はただいまご紹介に預かりました鳥居信平であります。私は台湾製糖株式会社にいるものでございまして、私の関係をいたしますところの各業務はすべて会社の裁定に依るし、また私の同僚諸君の協力を得て仕事をいたしているところのものであります。また会社で行いましたところの灌漑排水等の水利の施設につきましては台湾総督府の許可を受ける関係におきまして、ご当局たる技術官荒木農学士等より、平生(へいぜい)多大なる援助を受けている次第であります。本日、日本農学賞をいただいたところの光栄は、これら関係の方々と相共に拝受するところの光栄であることを、特に申し上げておきたいのであります。
 主題であるところの伏流水の利用に依る荒蕪地の開拓の事績につきまして申し上げておきたいと思います。
 台湾はここに図面を出してあるとおり、北緯20度45分より25度にわたる熱帯亜熱帯に属するところの島であります。南北に細長いのでありまして、その総面積は約370万町歩ございます。あたかも九州の総面積よりも13%くらい小さいかと思っております。これは九州の耕地面積は370万町歩に対しまして22%見当の82万町歩くらいであります。これは九州の耕地面積とやや彷彿(ほうふつ)としているのであります。その耕地の82万町歩の中に水田面積は55%あります。その他はだいたい畑であります。なお付け加えて申しますれば、この耕地面積以外は山地でありまして、大部分は蕃族によって住まわれているところの行政区域外に属するところであります。
 水利施設の方から見まするというと、その耕地全体の中に、やはり55%見当は公共水利団体または製糖会社、その他の民営の水利施設ができているのであります。熱帯地農業の特性といたしまして、水に関することはご当局総督府におきましても鋭意これにご尽力に相成りまして、現在かなりこの方は進んでいるのであります。
 この水利施設の中を更に分けて申し上げますると、大部分は米を主体とするところの水利施設であります。この内地とやや違った点は、米を2回作る関係で、乾燥期と湿潤期の2回作を致す事であります。したがって灌漑組織あるいは計画が多少異なる点もありますが、稲作については内地とたいした変わりはないのであります。その次に米作と甘蔗(かんしょ:サトウキビ)作、言葉を換えて申しますれば、水田作と畑作のローテーションをやる所の、いわゆる米庶両作という組織があるのであります。この代表的なものは、半官半民で以てやりました嘉南大圳(かなんたいしゅう)15万町歩の大きなスキームがあります。これは既に大部分を完成いたしまして、今日その利用が盛んに進められているような状態であります。第三には甘蔗だけを主体としてやるところの農業土木施設であります。これは主に製糖会社方面において、やるところの仕事でありまして、これには相当大きな農場計画が不随して行われているのであります。畢竟(ひっきょう)、台湾の農業土木施設は、米作を主にするもの、単に庶作だけをやるものと三つに分かれているわけであります。
 海外の甘蔗糖業国としてはオランダ領ジャバ、アメリカ領ハワイが、この水利施設の方においては、かなりみるべきものがあるのでありまして、ご承知かと思いますが、ジャバのごときは、大部分の土地が国有地であって、したがって水利施設のごときは、すべて国家がいたしているのであります。しかもジャバからして外に輸出すべき、いわゆるユーロピアン・ブロックというものを土台といたしまして、米との関係を調節するように、簡単に申しますれば、米作と甘蔗耕その他の畑作とが、うまくローテイションの行けるような根本的の施設が法制的にも工事計画的にもそれぞれ行われてるのであります。かのオランダ領政府で発行しております、イリゲーション(irrigation:灌漑)・マップのごときは実に立派なものでありまして、このマップ一つあれば、糖業の計画については基礎が成り立ち得るようになっているようなものがあるのであります。ハワイは製糖会社が、水利計画に対し資本を投じております。またイリゲーション・コンパニー(irrigation company:灌漑会社)がありまして、製糖会社と協力しているようなところがあります。ハワイの方はだいたいにおいて製糖会社自体が水利施設に当り、またその研究をやっております。
 台湾の方のは、水利方面から見まするというと、特に砂糖農業の方から見ますると、ジャバ、あるいはハワイ等に比べて甘蔗作に対する水利はまだまだ相当施設を要すべきものがあるかのように考えている次第であります。
 台湾の糖業の発達について少し申し上げまするが、40年前台湾が帝国の統治下におかれた時分は約100万ピクル―1ピクルは100斤(1斤=0.6キログラム)でございます―の砂糖ができていたのでありまして、その甘蔗耕作面積は2万町歩内外であったと考えております。その後、明治34年に新式の製糖工場が初めてできまして、爾来(じらい)35年間に約50の工場ができて、一日の甘蔗の圧搾量というものが4万トン以上の能力があるのであります。そうして今日は一年1千6百万ピクル、約100万トンの砂糖ができるような状態になったのであります。したがって甘蔗耕地というものが非常に面積がふえまして、最近は10万町歩内外のものは年々栽培されるようになっているのであります。すなわち台湾の耕地面積の13%内外に相当いたします。
 元来、台湾の糖業は南方支那人の開拓したところのものでありますが、彼らの開拓した甘蔗糖業地というものは、これは私が先年フランス領インドシナ各地、タイ、ビルマ等を見たのであります。またインドが最近糖業の発展をいたしておりますが、1908年,9年にインデヤン・コンミツテイ・シュガー・コンミツテイが組織されまして、糖業の基礎研究をしたのであります。それらのレポート等にもありまして、南方支那人の開拓した糖業土地は河の岸のアルビアル(沖積:川が運んできた堆積物)のいわゆる新しいデポジション(堆積)でローミーソイルを選んだのであります。こういう土地に通例無灌漑耕作をいたしております。
台湾もやはりその揆(き)を一にするものでありまして、先ほど申し上げたように、初め領台当時2万町歩内外であったところの甘蔗耕地が、現在10万町歩内外を年々栽培するに至っては往年の局限的な甘蔗耕地を以て満足することは満足することは到底できないのでありまして、そこに甘蔗耕地の利用増進並びに耕地適地の拡張という仕事が製糖業の基礎をなすべきことになったのであります。当局におきましても、また業者自身においても、あるいは莫大な資本を投じて、土地を占有するとか、あるいは土地改良事業を行いまして、この糖業の基礎たるべき耕地の利用拡張に努めたことは当然であるのであります。爾来二十余年間、この庶作を主体とする耕地の改良並びに拡張の仕事に専ら参与いたしておりまして、私の勤めている会社では、現在約4万町歩の土地を所有いたしております。就いてこの社有地を土台として、また水利系統関係では他人の土地即ち社外地をも加えて今日までに総計約3万6千町歩の面積に対し灌漑排水その他を土地改良農場建設等が行われたのであります。うち社外地は約三分の一で、1万1千余町であります。なお会社が所有しております土地について施設を加えたところというものは大部分今日は自営農場になっているのであります。その面積は現在約2万4千町歩見当あるのであります。
このごとき土地の施設がいかなる成績を収めたかにつきましては、単に水利工事をやりましたもの、あるいは農場の建設をいたしたもの、それらについて、一々年々の成績の数字を採ってあるのであります。ごくざっとその成績を申し上げますとこの長い間の平均数字では、工事施行前における甘蔗の生産高は、施行後におきましては22割の増になっているのであります。言葉を換えて申しますれば、施行前を100といたしまするというと、施行後が、220という数字になっております。これは固より品種の改良であるとか、耕地栽培の技術が非常に進歩した事に関連して、かくのごとき成績を挙げていることは勿論であるのであります。
次の(第一図:本稿では省略・編者)図面はこれらの水利工事施行地を表したものでありまして、黒色の部分が農場になっている約2万4千町歩であります。なお赤色の縁の内部は灌漑工事施行地、青色の夫は排水工事施行後を表しているのであります。
さて伏流水利用による開拓は、右の水利施設の中の一事例であります。それは図面の×印でありまして、万隆農場と申すのであります。なおその南方にこれと同様の事業地で大响(きょう)営農場―が面積1千5百町歩―があります。ここに申し述べます。伏流水の事はこの両農場に通じております。
万隆農場は南部台湾の北緯22度半付近の急峻な山岳地帯の海抜1万尺(3,030メートル)内外の連峰から発源しました林邊渓(りんべんけい)という渓流の氾濫に起因するところの石礫沖積の土壌からできた地帯でありまして、その面積は約2千万里、3千町歩であります。地区の東南は該渓流により境せられ、東面は蕃地に接し、西及び北面は既耕地田畑に接続しております。
本地域は領台以前から石礫不毛の大荒蕪地として自然の経過に委棄されていたもので、その農業的利用が最も低級な理由はだいたい次の三点に存していたのであります。
(1) 出水時期における林邊渓の氾濫
(2) 乾燥期においては人畜の飲料水すら求める事ができないような極端なる干ばつ。
(3) 大小無水の石礫が存在し、かつ土層緊緻で人畜力による耕鋤不可能であった事等であります。
 本工事施行以前の本地の利用状況はどうかと申しますと、土地の極めて優良な部分のみを蚕食的に甘蔗、蕃庶、陸稲等お畑作物を栽培しておりましたが、は、端な干害のため、生産は極めて低級でありました。然るに大正元年に台湾総督府においては、林邊渓下流一帯の既成耕地並びに村落に対する氾濫防除の目的をもちまして本原野もその恩恵に浴しまして進んでここに資本的土地開拓が目論見られたのであります。なお本原野の土壌がスレートの風化生成物であります関係上、適当な開拓の方法を講じ、しかしてこれに耕耘肥培の作業を反復する時は漸次耕土の造成良化をいたすことができるという見当をもって本地の利用を計画したのであります。
 本地方の気象関係はだいたい両期(6月より9月)と乾燥期(10月より5月)とに分けられるのでありまして、これを雨量の上から見ますと年雨量は平均2千8百ミリグラムくらいで、その約80%の2千3百ミリグラムは雨期に属するのであります。また乾燥期には年によりますと12月以降3,4月頃まで1滴の降雨も見ない場合も珍しくないのであります。したがって本地方においては、だいたい7月頃より9月頃までの湿潤期の湿りを利用しまして甘蔗の植付けを行い、乾燥期を経過して、次の湿潤期において、生育を遂げしめ、12月以降、糖分の上昇登熱を見て刈取りを行いますが、湿潤期において植付けました甘蔗が発芽し、相当伸長いたしましても、乾燥期において適当な降雨が無い場合は枯死する事もすくなくないのであります。ために本計画に当りましては乾燥期において人畜の飲料水と甘蔗の用水とを確実に得る事と湿潤期に植付けて乾燥期に収穫する後期水稲の用水補給との二つを目的としたのであります。しかして毎年の作付計画面積は総面積3千町歩に対し、甘蔗7百町、水稲1千町歩とし、残部はこれを雑作に当てました。
 そこでこれは畢竟、灌漑水の問題になるのでありますが、その前にいささか甘蔗の灌漑用水量について申し述べたいと思います。甘蔗の灌漑という事はご承知のごとく畑作の灌漑でありますので、エコノミカル・イリゲーションという言葉が用いられております。即ちどれだけのウォーター・コストをもって、どれだけの収穫物のリターンになるかという事が問題になるのであります。したがって稲作の場合のごとき絶対的のものとは、やや違いまして経済的見地に立脚して解決して事が普通であるのであります。即ち用水量は甘蔗が乾燥期において乾燥のために枯死してしまうという絶対を除く以外は、すべて用水量というものが一つの定まったフォームによって供給される事はすくないのでありまして、その土地の事情と水の状態を考慮しまして、そこに経済的にそれぞれの施設を加えるのであります。またジャワ・ハワイのごとき先進国でも学術的の甘蔗用水量の決定方法は余り見られません。畢竟それぞれその甘蔗を栽培すべき耕地に応じて1週間に何回、何寸の水を供給するとか、2週間に何回どういうふうにして供給するとかいうように、いわゆるインターバル・イリゲーションが実行されているのであります。
 台湾におきましては、いまだこの方面の研究発表を見なかったのでありまして、私はこの用水量の決定につきましては、既往台湾において行われた甘蔗灌漑の実際の状況とか、あるいは私が渡台以来実施いたしました灌漑工事、事例等に徴し、かつまた本地の土地並びに気象等に考察を加えまして、甘蔗灌漑はこれを2週間に1回深さ3寸を供給する事とし、後期水稲用水量は0.089町秒尺と決定いたしました。したがって甘蔗作においては取入口において毎秒29立方尺、水稲作に対しては毎秒105立方尺を取り入れる事をもって計画の基礎といたしまいた。
 これに対する水源の探索は古くは明治42年頃においても調査した事もありますが、改めて大正8年深く蕃地に入り踏査研究を遂げました。その結果により林邊渓を水源とする事に決定いたしたのであります。林邊渓は聚水区域約8平方里を有しておりまして、その区域外の海抜3千尺以下の地帯はほとんど蕃族の切替畑開墾に委せてありますと、崩壊性の地層が多いために保水力は極めて乏しいのであります。また3千尺以上には原生林もありますが、だいたいにおいて急峻で、かつ崩壊により山骨を露出してりますために、これまた前者同様保水力は極めて乏しいのであります。聚水区域内の年雨量は極めて多く5千ミリ以上でありますが、上記のごとく保水力に乏しい事と乾燥期において降雨の見るべきものが無いために、乾燥期になりますと渓流は漸減しまして、12月においては灌漑頭首点Dから上流約1里の地点において僅かに流水を有するのみでありまして、1月以降においてはこの流水も枯渇しつくす事も珍しくないのであります。然しながら同渓奥地溪谷部Aにおきましては、渇水量毎秒25立方尺を有する、いわゆる常流の存在がある事を調査し得ました。この常流を普通導水路に取り入れます事は水量の不安定、工費経済関係その他の点から考究いたしました結果、これを不利と認めましたので、だいたい該常流を目標とするところの伏流水の取入利用を計画いたしました。
 したがってこれら伏流水の利用に関し調査を進めたのでありますが、その結果該常流は深く計画地表下を潜流して乾燥期は地区の西端海抜50尺前後G湿潤期は同様70尺前後の地点Fにおいて湧出する事、並びに溪谷部河床下における伏流水動向勾配線は最急の場合63分の1で、その流速は毎秒1.21センチメートルであることを調査し得ました。地下堰堤は河床の洗堀に対し、もっともなる危急性を有するものでありますので、その設置地点は河床の垂直的変動が最もすくない地点を選定せねばならないのであります。これらの事情を考慮にいれまして調査を進めました結果プンテイ、ライ社両溪谷合流点付近を最適と認めまして、ここを埋設地点Cと決定いたしました。なお、伏流水動向勾配線はその最急の場合63分の1でありますので、前述の常流観測点Aから下流に向い63分の1の勾配を以て1線を画きます時は常流がいかに河床下に沈降いたしましても該線以下に下る事はないのであります。即ち該線を基礎といたしまして堰堤の基盤を設置いたします時は、すくなくとも常流観測地点における常流はことごとくこれを捕承し得るわけであります。しかしながら実際の計画に当りましては、該常流は聚水区域内の年雨量の多寡によりまして影響がありますので、できるだけ奥地の常流をも捕承する事が計画上安全と考えまして、該常流観測点より上流5百間の地点より前同様の意味をもちまして、63分の1の勾配を以て下流河床に一線を引きました結果、地下堰堤埋設予定地点において河床から24尺を得たのであります。これによりまして聚水地下堰堤は河床下24尺の深度にその基盤を置く事に決定いたしました。もちろんこの種取入れに対しましてはその基盤はこれを母岩上に置くことが最も安全ではありますが、本地点は母岩の位置非常に深く、河床下50尺(15メートル)以上でありまして、水源工事、導水路工事に対する支障その他経済的関係より見まして、母岩上の設置が不可能であった事及び伏流水動向勾配線より見て、これ以下の深度に位置する必要を認めませんでしたので、河床下24尺(7.3メートル)を以て埋設深度といたしたのであります。
 もちろん本工法は一般の地下水利用計画とはその類を異にしておりますので、その年の雨量の分配等によりその伏流水としての取入水量に異動のある事は免れぬのでありますが、過去10数年間の経過によりますと、計画に対する取入水量は、渇水期たる12月より5月に至る6か月間の調査より見まして、計画水量毎秒29立方尺(807立方メートル)に対し平均27.7尺(771立方メートル)を示しているのであります。なお6月から11月に至る期間におきまして濁水灌漑の目的をもちまして地下堰堤の一端に水塔を設けまして濁水をも取り入れる事としました。
 要するに本計画は林邊渓の伏流水を聚水地下堰堤の設備により取入れ、水源地(C海抜405尺(123メートル)と灌漑地(D海抜280尺(85メートル)との標高較差を利用しまして、導水路工により、従前自然的に湧水していた地点よりも高き事2百尺以上(61メートル)の高位部に給水し得たものであります。本工事施行後10数年の経過により見まするに本工法は河床の昇降常なき激流河川または流身の変転極まりなき河川の頭首工法としまして、河川の垂直的または平面的変動に対しまして、甚だ有利な工法である事を確認いたしました。
(続く)





お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

最終更新日  2017年01月20日 08時10分18秒



© Rakuten Group, Inc.