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2017年02月25日
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カテゴリ:広井勇&八田與一
台湾土木事業の今昔 八田與一(「台湾の水利」第十巻 昭和十五年)
 私は昔を模倣せぬ、昔を参考として前へ進むを「モットー」とする技術者であります。将来の技術者のため、台湾における土木事業の進んで来た行程を書き残し、参考に供したいのです。
  土木第一期時代
 日本における土木第一期時代には、その指導監督は外国人であったのです。明治三十年くらいまで続きました。
 台湾における土木は、日本の第二期から始まります。当時の指導者は一期時代に、外国人から指導を受けられた、長尾半平、高橋辰次郎技師等であります。
  土木第二期時代
 これらの方々が渡台されまして、外国を模倣しても我が国人だけで仕事をされたのです。すなわち土木の第二期時代であります。当時、新進技師として明治三十年頃大学卒業の徳見常雄、山形要助、川上浩二郎、濱野弥四郎、十川嘉太郎、清水一徳、帳令紀の諸氏がおられました。これらの方々は初めから係長でありまして、現在の文官のごとく多忙にして仕事は技手にまかせ、自分は外国の本を読んで模倣させたのであります。
 当時の主なる仕事としては
 新店渓発電所 この発電工事は山形技師の設計で、水力電気としては鬼怒川や桂川より早く、京都の疎水発電についでの水力であると思います。当時、生蕃の被害があって困ったという事です。
 台北水道 計画をしたのが濱野技師で、設計者は十川技師であります。鉄筋コンクリートの貯水池や沈殿池としては、我が国で始めての仕事であります。
 瑠公圳水橋 我が国鉄筋コンクリート最始の水橋で、十川技師の設計である。
 築港 基隆、高雄両港には、山形、川上両技師がおられ、基隆の岸壁や高雄の防波堤等は世界屈指のものでした。
 莿子埤圳、獅子頭圳工事 共に十川技師の設計で、数千町歩の開田としては、我が国で最初のものでしょう。
 台湾市区改正 濱野技師の設計で、当時外国では馬車、電車、自転車の全盛時代であり、これらを主眼とした設計で、町の中心に短距離で集まることを主眼としております。日本では未だ市区改正はできぬのに、台北に私が来た明治四十三年には、市区はだいぶ整然としておりました。しかし三線道路などは歩行者少なく、草原で毒蛇がおるので評判が悪く、道幅を狭くするという議論が多かったのですが、濱野技師の聞き入れなく現在まで残ったのです。しかしある道路は同技師の引退と同時に変更されたものがあり、不便な場所もできました。

后里圳 清水技師の計画で日本における始めての鉄筋コンクリート拱橋(きょうきょう:アーチ橋)が廣瀬技師の設計でできました。取入口付近には、大安渓の乱流を防ぐため大コンクリート塊(かい)の護岸なども当時できたのです。お蔭で二千町歩くらいの土地が浮き上がりました。
 台北電話交換局 徳見技師の設計で鉄筋コンクリート建設の始めであります。
 鉄道は本線及び阿里山鉄道、建築では土木部、中学校、総督及び長官官邸、台湾銀行、図書館等でありました。我々はこれらの事業の手足として来台したので、松本虎太、大越大蔵、中西義栄、池田季苗、堀見末子、廣瀬蒼生彦、高山切繁、庄野巻治、筒井丑太郎の各技師その他の方々も同様であります。第二期時代の末期における工事とは全島主要市の改正及び水道等で、水利事業は大正元年の洪水で河川事業に換りました。大正二年も引き続きたる大洪水で大騒ぎでした。こんな洪水はその後来ないようです。最も濁流暴威を振ったのが濁水渓で台北も半分以上水害を受けました。
 当時の河川工事の方針は台北のみは防水堤をやるが、その他の地方は乱流を防止する護岸工事を河の出口をやるに止めました。各河鉄橋付近の蛇籠護岸は当時の遺物です。この工事中亀甲形鉄線蛇籠の造り方をある工夫が発明し、レンガ沈床を十川技師が考案されました。二人とも台湾における、いな日本における斯界の功労者である。
 当時我が国では鉄線蛇籠の造り方が面倒で余りなかったのです。蛇籠でなくてはならぬ所でも石垣で牛をやっていたので、常願寺川でも、手取川でも、常に堤防を欠潰されて被害を受けておったのである。レンガ沈床で良い所でもコンクリート土張かコンクリート沈床をやっておった時代です。かくのごとく第二期末期には、ぼつぼつ創造がありました。





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最終更新日  2017年02月25日 07時43分48秒
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