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八幡大菩薩とされる応神天皇について、日蓮が語る通り懐妊から3年6ヶ月も経って産まれたということになれば、いわゆる不義の子ということしか考えられないという趣旨のことを以前書いた(八幡と天皇家のナゾ )。今朝の聖教新聞に「きのうきょう」と題する、ちょっと興味深いコラムがあった。
それによると、応神天皇は倭王朝に婿入りした百済王朝の王子で、大阪・羽曳野市の応神陵と伝えられる古墳の被葬者は、百済王・蓋鹵(コウロ)の弟・昆支(コムキ)であることが特定されているという。(記事) 記事の筆者林順治氏は、もともと三一書房の編集者だったのが、古代史研究家・石渡信一郎氏の著作の出版にかかわったことで、古代史の世界に足を踏み入れたのだそうだ。「氏の衣鉢を継いで」との言葉は、ひとのこころざしがひとを奮い立たせそして受け継がれていく、何とも味わい深い言葉であるように思う。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2010.08.25 17:59:12
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