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カテゴリ:美しい日本を取り戻す
天皇は、自然人であり、法の下の平等から言って、国民の一人として扱われるべきである、という理屈がある。正論ではある。
「共和制」移行、つまり天皇制廃止である。 しかし、そんなことをしたら、 皇室を尊崇する国民が、「尊皇党」を組織し、天皇を大統領に選出する。 それではかえって危険だ。 よって、 「立憲君主制」つまり象徴天皇制を護持するのが民主主義者として賢いやり方だ。 危険な皇室の権威を国家管理下に置くのですね。 靖國神社はなぜ神社か、といえば、維新を推進した勢力が国家神道の立場だったからで、現代においては既に必然性は無いが、 天皇親拝を考慮すれば、皇室の祭祀は維新以来、神道オンリーで、これを依然として維持するなら、神社であっても不思議ではない。 戦死者のうち、朝廷軍側のみを祀るという以上、大元帥(天皇)の神社ともいえる。 こういう性格の神社をただの「宗教法人」として野に放ったことは、失敗だったかと思う。 自衛官に戦死を求める今日においては、危険である。 この際、国営化し、皇室及び政府の管理下に置き、 皇室による祭祀については神道形式を採りつつ、 全体としては、国民大衆の意向と個人の信教の自由に従って多様な宗教と無宗教による祭祀・儀式を受け入れ、 記念されるべき国家的・公的な英雄、すなわち、いわゆる英霊は、外交にも責任を負う国家機関の権限において選定すべきであると考える。 「英霊祭祀施設国営委員会」という具合に、参議院の付属機関あたりで新設し、天皇の国事行為に、英霊祭祀を加えておいてもよい。 ただし、慰霊だけではなく、「遺徳を顕彰」する施設であることは忘れてはならないのであって、ふさわしくない人物は、既に合祀されていても、祭祀対象から除くべきである。 政治指導者達のうち、 獄中死とはいえ、病死したときたまたま獄中にいただけであれば、釈放後に病死した者との衡平を欠き、また、 処刑されたとはいえ、自殺を図って迂闊にも生き残った末の処刑であれば、首尾よく自決を遂げた他の自殺者との衡平を欠くので、 いずれも、英雄的に戦陣に散った兵士と同等の「英霊」の名に相応しいとは思えない。本人たちも、靖國の御社に祀られるとは予想だにしなかったはずだ。 政教分離を保ち、かつ、国内はもとより東アジア民衆の中の被害感情と折り合いがつく姿で、靖國神社の天皇親拝・首相参拝を目指すなら、民主的な国営化が必要であると主張します。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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