演歌「おふくろさん」の作詞者、河内康範氏が怒っている。
勝手に歌詞を変えている、今後、歌わせない、もう歌って欲しく無い、、歌の心が分からず、人間としても失格、、と。
艶歌と書く場合もあるが、もともと、「演歌」は自由民権運動の志士たちが演説の代わりに節を付けて歌うようになったものだ。メッセージ性が生命である。
この「おふくろさん」の歌詞は、母親の教えを息子が回想することに終始しており、5W1H、つまり、地域性・時代性などを伴っていない。息子本人のことには全く触れず、匿名性?が高く、抽象的だ。
「世の中の傘になれ」
自分の母親はそんな大仰なことは言わなかったよな・・・?
と誰でも考えてみるだろう。
河内氏は世の母たちの理想像を示そうとしたのだろう。
そのようにしっかり倫理を諭して敬慕される母親になってほしいと。
小柄で一見目立たない性格の我が母のことを思い出してみたりする。
集中豪雨に見舞われようが、決して休むことなく、落選確実な左翼候補へ一票を投じに行く女性だ。
いまだに、ノンポリの嫁(家内)には9条護持を熱く説いている老女。
息子がいうのはなんだが、河内氏が描く理想の母親像の片鱗はあると思う。フラクタル、というのだろうか。
・・脱線した。
河内氏は自分の歌詞が歪曲されて、息子本人の肖像が加えられてしまったことに不満なのであろう。この息子は、特定の誰かであってはならない。これから育つ全ての男の子なのだ。
だから抗議している、と思う。
教理が歪曲されたら、教祖は抗議しなければならない。