徳富蘇峰(猪一郎)の『近世日本國民史』を出典に挙げるデマが流布されており、検証できる環境を整えるため、下記に転載します。
大正9年12月28日、民友社発行の初版です。
原文は、旧字体、旧仮名遣い、振り仮名付きのところ、以下の通りとします。
1.旧仮名遣いは新仮名遣いに。
2.固有名詞は、初出の場合に旧字体を用い、以降、新字体に。
3.漢字と振り仮名のいずれか読み易い方を採る。
4.漢数字は算用数字に。
5.※印は対応関係を明確にするために付した。下線は引用元を示し、論旨を示す重要な箇所を赤字とし、流布されている情報に対応する部分を黄色地とした。
『近世日本國民史 5 ―― 豊臣氏時代 乙篇』 384~388頁
【76】奴隷売買
五箇条詰問のうちにて、奴隷売買の一件は、最も重大であった。しかもコエルホ(=コエリョ)は、ただ言葉を濁して、申し訳をしたるのみにて、その事実※を否定することあたわなかった。それもそのはずだ。これは葡萄牙(ポルトガル)商人が、公々然おこなうところの罪悪であったからだ。その詳細の顛末は、レオン・パゼー(=パジェス)がマドリッド府(=市)の歴史学士院の文庫を捜索して得たる文書を、その日本耶蘇教史(=日本切支丹宗門史)の附録に、採録したるもので分明だ。その一節にいわく、
ポルトガルの商人はもちろん、その水夫、厨奴らの賎しき者までも、日本人を奴隷として買収し、たずさえ去った。しかしてその奴隷の多くは、船中にて死した。そは彼らをむやみに積み重ね、きわめて混濁なるうちに籠居せしめ。しかしてその持ち主らが、ひとたび病にかかるや――持ち主の中には、ポルトガル人に使役せらるる黒奴も少なくなかった――これらの奴隷には、一切頓着なく、口に糊する食糧さえも、与えざることがしばしばあったためである。この水夫らは、彼らが買収したる日本の少女と、放蕩の生活をなし、人前にてその醜悪の行いをたくましゅうして、あえてはばかるところなく、その澳門(マカオ)帰港の船中には、少女らを自個の船室に連れ込む者さえあった。予は今ここにポルトガル人らが、異教国におけるその小男、小女を増殖――私生児乱造――したる、放恣、狂蕩の行動と、これがために異教徒をして、呆然たらしめたることを説くを、見合すべし。
と。しかしてムルドック(=マードック)のごときは、この奴隷売買を杜絶したるは、秀吉およびその継続者の力にして、耶蘇会宣教師の力にあらざることを、特筆している。〔ムルドック日本史〕
もとよりこの罪悪の責めは、まったくポルトガル人にのみ存すとはいえまい。売る者あればこそ買う者もあれ。九州の諸大名が、その戦利品として、敵より掠めたる俘虜のある者、もしくは罪囚を、売り飛ばしたこともあろう。しかもポルトガル人が、日本国民のある者を、専ら商品とし、輸出品としたることは、事実※であった。しかして宣教師らが、これを袖手傍観したのも、事実※であった。彼らがこのことに干渉したのは、1596年(慶長元年)耶蘇教徒たる長崎の年寄が、秀吉の奴隷売買禁止の厳令と、これを犯して厳科に処せられたる事実にもとづき、師父らの反省を促したるがために、監督マルチネーは、はじめて奴隷購買者に向かって、破門の令を布いたにすぎなかった。吾人は翻ってこの方面について、なおより確実なる資料を持っている。そは当時筆を載せて、九州役に従い、秀吉の座側に侍したる大村由己が、その懇親者に寄せたる文の一節である。
一 最前便 風そうろうて、そと申し越しそうらえども、定めてあい届けまじくそうろう。こんど伴天連(バテレン)らよき時分と思いそうろうて、種々様々の宝物を山と積み、いよいよ一宗繁盛の計略をめぐらし既に後戸(五島) 平戸、長崎などにて、南蛮舟付き毎に完備して、その国の国主を傾け、諸宗をわが邪法に引き入れ、それのみならず、日本仁(人)を数百男女によらず、黒船へ買い取り、手足に鉄の鎖を付け、船底へ追い入れ、地獄の呵責にもすぐれ、そのうえ牛馬を買い取り、生きながら皮を剥ぎ、坊主も弟子も手ずから食し、親子兄弟も礼儀なく、ただ今生より畜生道の有り様、目前のようにあい聞こえそうろう。見るを見まねに、その近所の日本仁(人)いずれもその姿を学び、子を売り親を売り妻女を売りそうろうよし、つくづく聞こしめし及ばれ、右の一宗ご許容あらば、たちまち日本外道の法になるべきこと案中にそうろう。しかれば仏法も王法も、あい捨てるべきことを嘆き、おぼしめされ、かたじけなくも大慈大悲のご思慮をめぐらされそうろうて、すでにバテレンの坊主、本朝追い払いのよし仰せ出でされそうろう。それにつき高山右近の亮、元来かの宗旨をその身信敬するのみならず、主分領の僧侶理不尽に、右の宗門になしそうろうこと、聞こし召しそうろうて、俗弟子の手かたに、かの右近の亮の御分国をおん払いなされそうろう。いよいよ仏法王法繁盛、天下静謐の基、これにすぐるべからずそうろう。〔九州御動座記〕
これをパゼーの所記と対比すれば、すこぶる照応する点がある。
奴隷購買はもちろん、その虐待の程度が、思いやらるるではないか。かかる事実を、いかに同人種の行為たりとて、同宗者の行為たりとて、同類の行為たりとて、平気にて、知らぬ顔にて、黙視していたとは、耶蘇教の宣教師として、はなはだ不都合ではないか。果たしてしからば、咎められたる者が悪しきか、これを咎めたる者が悪しきか。少なくともこのことだけは、秀吉の措置が、人道扶植の筋に合しておるものと、判断せねばならぬ。
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