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テーマ:旅のあれこれ(10016)
カテゴリ:中部地方
坂本龍馬飛翔の寺です~ 宝福寺。 日米和親条約交渉時から、幕府奉行所が置かれた寺でペリーとの交渉の本陣となり 日米和親条約締結後、日露和親条約締結にロシアのプチャーチンも来ていると。 そして、竜馬の脱藩が許されることになる土佐の山内容堂と勝海舟の会見が行われた寺です。 山内容堂が、宝福寺に滞在中にたまたま時化で海が荒れ 勝海舟の船が下田へ入港(避難)してきた。(この船に龍馬も居たと) 勝の下田来航を知った容堂が勝を呼び、会見が行われる。 会見場が残されています~ その席上、勝が竜馬の脱藩を許し私のもとで存分に活躍させるように 交渉。鯨酔公として知られる容堂は、下戸の勝海舟に、ならば盃を受けよと。 容堂は、勝の下戸を知っていた^^ こちらがその盃❣ こちらは容堂のひょうたん。いつも酒を入れて持ち歩いていたのでしょうね❓❓^^ 勝は、迷わず飲み干し、容堂は許すと約束します。 勝は、酒の席でのことで、後日取り消されたら困ると 証拠の品を所望。 容堂は、白扇にひょうたんを描き 年に360回酔う❣と 5日休む日があるんだ~^^ 山内容堂と勝海舟 勝海舟と山内容堂の会見が文久3年1月15日 2月には、正式に龍馬の脱藩が許され 3月に、竜馬は脱藩後初めてとなる姉のおとめへ手紙を書いています。 私は運が良い❣❣ 勝海舟について大きな仕事をしている❣ ついてはまだしばらく土佐へは戻らず活躍する❣ 云々 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
Apr 28, 2024 12:10:07 AM
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