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ジメさんの このブログの左下の「Bookmarks」の「USA 予防医学研究会のStory」をクリックして貰うと 2004年4月に寄稿した がん体験記をアップしている。
サンフランシスコで活躍されているエアロビックの Toshie Fujiwara先生との出逢いにも感謝している。 1971年 31才で始まった 甲状腺がん摘出から 2002年の 肝臓がん手術まで がんの手術だけで 6回 その他手術 2回 入院回数は 数え切れません。 でも その都度 沢山の素晴らしい医師と 友人 家族に支えられて がんを乗り越えて 今年 7月19日には 満72才の誕生日を迎えることが出来て とても有り難いことと感謝しています。 アメリカで生まれた がん患者支援チャリティー・イベント「リレーフォーライフ」は 2006年 つくば市で 日本で 一番最初に産声を上げ 2007年 芦屋市と東京都で 初めての24時間リレーを開催 2008年 芦屋市 横浜市 大分市 徳島市 高知市 室蘭市の 6ヵ所で開催され 2009年 室蘭市 仙台市 さいたま市 川越市 横浜市 御殿場市 岐阜市 芦屋市 広島市 徳島市 高知市 福岡市 大分市 沖縄県の 全国14ヵ所に 輪が広がりました。 2010年は 新たに 北海道・当別町 福島市 八千代市 岡崎市 松山市が 加わり 全国20ヵ所が開催されました。 2011年も 新しく 稲沢市 熊本市 京都・亀岡市の開催が決まり 25ヵ所を上回るものと思います。 私は 2007年 第1回「リレーフォーライフ芦屋」から ボランティア・スタッフとしてお手伝いしています。 今年も 9月10日~11日に「第5回 リレーフォーライフ芦屋2011」を 昨年と同じく 阪神電車・芦屋駅北側の 芦屋市川西運動場・体育館で開催が決定しました。 日本で 最初の 24時間リレーフォーライフ 発祥の地として 5年連続開催に努力します。 「がんになっても 苦しまないで済む 社会の実現。」「がんにならないように 早期検診の受診。」などを啓発するイベントとしての「リレーフォーライフ」をご理解下さり 皆さんの参加をお待ちしています。 がんサバイバーの皆さん ご家族の皆さんとお友達 そしてサポートして下さる医療関係者の皆さん また一年間 前向きに歩いて 「リレーフォーライフ」で お逢いしましょう。 「やっぱり 死んだら あかんでー。」「生きとりゃ 何とかなる。」「死ぬまで ちゃんと生きる。」 JIMEsanの日記 [全2415件]
昨夜の役員会で 3月の締めと 新年度の体制作りで 忙しくなってきた。 受け持ちの 9班 60世帯の会費徴収や 来年度の新班長さん選出の根回しなど 手順を間違えないよう作戦を練って 夕方に訪問したら 3月末で 引越し予定の方がおられ 振り出しに戻ることになり 慌てている。 2年間の役目で ご近所と挨拶も交わすようになり 良い経験をさせて貰い感謝している。 わざわざ大寒波のフランスへ行くこともなかろうにと思うが 体力 気力はあっても 何よりも 費用が一番安い この時期を選んだ。 アムネット社の エミレーツ航空 ドバイ空港乗り継ぎ 往復、ニース「HOTEL VENDOME」5連泊(朝食付き)の 個人旅行をインターネットで手配した。 地中海の南仏ニースは ヨメさんは 2度目で 現地で バス 鉄道利用で 姉を案内するプランもすでに決めている。 二人の珍道中の土産話をたのしみに ジメさんも 16日までの 放し飼いを有効に過ごすつもりである。 今回は 江崎グリコの創業90周年式典に お得意先を案内して来日した。 来週 月曜日に久しぶりに逢うのを楽しみにしている。 明日の予定「特になし」
西風が強く吹き 時折 小雪も降ってきた。最低気温 0℃ 最高気温 5℃と 寒さは逆戻りした。 トップページを変更したいと思っているが その変更方法も分らなくなっている。 「Bookmark」も 表示されなくなったので ジメさんの闘病記も読めないと メールを頂いた。 サンフランシスコの 藤原敏江先生が主宰されている「USA予防医学研究会」をクリックして その「Story」を開くと 2004年春に寄稿した体験記が ご覧になれます。 お時間の許す時に お読み下されば幸いです。 最近は 手書きの記入用紙も送られて来ず パソコンで「e-tax」にアクセスして作成することになった。 しかし パソコン音痴のジメさんは 毎年 相談所で教えて貰いながら 作成提出している。 医療費控除申請書類など 必要書類を持って 今日 午前10時に 会場である「伊丹市商工会館」へ行ったら 超満員で3時間待ちと言われたので 一旦 自宅に帰り 午後3時に再度出掛けたが 締め切りの5時までには 相談受付が終わらないと エレベーターの前で 追い返された。 閑なお年寄りが多いのは仕方ないので もう少し落ち着いてから 出掛けようと思う。 明日の予定「明日から放し飼い」
気温も 最低5℃ 最高11℃と高くなり 雪国での雪崩れの注意報が出ている。 昨日 東京の本社へ行ったが 人事異動による 日本帰国は また先送りになったようだ。 「孫も 蘇州日本人学校に馴れて 学校へ行くのが楽しいと 喜んでいるので まぁー仕方ないか?」と 気を取り直して 帰って行った。 日本時間で 午後5時半に 自宅へ着いたら 丁度 孫が 小学校から下校して来て 1月21日に受験した「英検4級」の合格通知を受け取ったと 嬉しい電話があった。 人事異動が噂される度に そわそわしたことを思い出す。 辞令が出るまで 上司から内示を受け「三年間だけ・・・」とか 「この役目は君にしか頼めない・・・」とか おだてられたりしたこともあったが 会社の職制はどんどん変わり 当事者も居なくなるので「異動に伴う約束は 空手形」と割り切るようになった。 また立場が変わって 部下に内示して 辞令を渡す時も「次の時は 私も変わっているだろうから 約束は出来ない。」と 明確に伝えた。 しかし 転勤で社宅が変わったり 仕事が変わることは 誰でも不安に思うのは当たり前である。 特に 奥さんや 子どもさんの不安は 大変なことだと分っていたので 借上げ社宅の選択には 部下の条件を出来るだけ実現するよう努力した。 そして 転勤地においては 早く その土地と職務に馴れて 日常生活も 家族も含めて前向きに暮らすよう 自分の体験を伝えて 部下を励ました。 お陰で ジメさんの家族は 転勤の先々で 周りの方々に恵まれ 色々とお世話になることが出来た。 今なお こうして楽しく暮らせるのも 全国の皆さんのお陰と 有難く感謝しています。 でも テレビで豪雪の風景を見ると 年齢を重ねた今となっては 寒い雪国では住みたくないと思っている。 先生方や スタッフ メンバーさんからも「復帰は いつから?」と 尋ねられた。 肋骨のひび入りの方は かなり回復し来たと思っている。 自分の判断で 鎮痛剤 湿布 腹帯も 中止して 3日目になった。 まだ 身体をひねる時の体位で 少し痛むが我慢の出来る範囲である。 転んでから一ヶ月目の 17日にスタジオ復帰をしようと自重している。 明日の予定「所得税還付申告 & 自治会」
朝の気温は 6℃、お昼には 13℃と 3月中旬並みと 寒さがゆるんだ。 でも 湿度が高くなったせいか 肋骨のひびの痕が 少し引きつるように痛んだ。 今日は 外出もせずに 終日 テレビとパソコンで 退屈しのぎをした。 しばしば ビデオをチェックして判定する「チャレンジ」のルールも分りやすく アメリカの国技と言うだけに テレビ・カメラの映像も細かいところまで見せてくれるので楽しめた。 ハーフタイム・ショーのマドンナの演技も さすがと感心した。 結果は NYジャイアンツが 逆転で 4年ぶりの王座に復活した。 当時 甲子園球場の南側 元の阪神パークが出来る前の広大な敷地は 進駐軍に接収され「KOBE CAMP」があった。 終戦の年に 米進駐軍が甲子園浜に上陸する時も 親父に連れられて見物に行った。 上陸用舟艇の前面扉が開くと 大きな軍用トラックが次々と上陸して来た。 親父が「アメリカのトラックは タイヤを10本も履いとる。日本は 敗けるはずや。」と言ったのを今でも覚えている。 その数年後 甲子園球場で行なわれた ARMYとNAVYの試合にも連れて行ってくれた。 コカコーラーを飲んだのも その時が初めてだったと思う。 配給してくれた アメリカ兵の大きな身体にびっくりした。 試合のルールなど知るはずもなく ヘルメットのぶつかる大きな音と 怪我人が出るたびに 救急車で運んで行く光景だけが 印象に残っている。 あれから 60年 NFLのチア・ガールに 日本の女性が沢山活躍している姿を見ると 平和はいいなと思った。 外国議員が見学のため入室して 石井一議長が注意して 静かになったが 逆に 質疑の応酬も熱が冷めてしまい 結局 全て結論先送りで 終了してしまった。 梅村聡議員の「がん対策関連の質問」を聞いて 5年前に成立した「がん対策基本法 5ヵ年計画」の がん患者登録も 全国で たった6府県しか集計が実行されておらないと知り がっかりした。 今まで がんで入院するたびに「余命3ヵ月です。」「余命半年です。」の告知は 統計的な根拠はなかったのである。 だから ジメさんは 40年も長生きしてしまったのだから 皆さんも 例え余命宣告されても 気にせずに「死ぬまで ちゃんと生きること。」を 大切にされるのが良いと思います。 明日の予定「次男 中国へ帰国 & ?」
いよいよ 9月8日~9日の開催に向けて 準備が始まった。 キャッチ・コピーも「ともに 生きる勇気と よろこびを 昨年の反省点を踏まえて 様々な課題に改善提案が出された。 これから 一つずつ 解決を計り 今年も 参加された方に喜んで貰えるよう 頑張ろうと決意を確認した。 RFL芦屋に関心があり ボランティア・スタッフとして 手伝って見たいと思われる方は ホームページから ぜひ 連絡を下さい。 梅村議員は 元 阪大病院の内科医である。がん対策の今後についても質問されるようなので 注目している。 詳しくは 「梅村聡議員のホームページ・トピックス」を ご覧下さい。 明日の予定「エアロは自粛」
パパは 月曜日に 本社との打ち合わせをして 火曜日に帰国する。 日本時間で 午後5時に 蘇州市のマンションに着いたと 電話があったそうだ。 「月曜日から やっと小学校に行けるのが嬉しい。その前に バスルームに放し飼いにしてきた 愛犬と猫の糞を掃除するのが大変だ。夏休みは 僕一人で 伊丹へ遊びに行くよ。」と とても元気そうだったとのこと。 「来て 嬉しい、帰って 嬉しい 孫の顔。」ヨメさんも グロッキー寸前である。 EBNON1さんの葬儀・告別式には お通夜の半分位の方が参列された。 お別れの際には 昨夜 リレーフォーライフの仲間に書いて貰ったルミナリエ封筒を お孫さんの手によって棺にいれて頂いた。 ジメさんも 紫バンダナを納めて「EBNON1さん 天国でも 島ちゃん 八田さんと相談して リレーフォーライフ開催出来るようにしておいてね。だけど ジメさんは まだ呼ぶなよ。そして 9月のRFL芦屋のエムプティー・テーブルの席に 必ず 来いよ。待ってるぜ。」と 声をかけた。 EBNON1さんは とても穏やかな表情で眠っておられた。 満池谷火葬場へもお見送りしたが 娘さんから「パパは 中学の頃から背が高く あだ名はキリンと呼ばれて 180cmもあったので 棺は特大にしたが 釜戸は この一ヶ所しか無いことが分り慌てた。」と 聞いた。 骨上げ 初七日の法要まで一緒させて貰い 奥様 娘さんから EBn\NON1さんの闘病と最後の様子を聞いたが 本人も まさかこんなに早くあっけなく逝ってしまうとは思ってなかったが 精一杯 人生を楽しんだので お互いに悔いはないと思ってるとお聞きし 少し安堵した。 9月のRFL芦屋には 家族全員で参加するとお約束を下さった。 明日は 「芦屋実行委員会」のキックオフである。 今日は 少し疲れたが 明日から また気を取り直して前進するつもりである。 明日の予定「RFL芦屋実行委員会」
良い天気となったが 北風が冷たく 気温は4℃であった。 EBNON1さん 65才 余りにも 突然だった。 日曜日に 入院中の彼と メール交信したり ブログも更新されていた。 RFL芦屋の サバイバー仲間として この二年間 本当に気心を許して 時々 映画や講演会にも一緒し「笑いは 副作用の無い抗がん剤。」と 何でも笑い飛ばしていた。 大学の後輩やからと ジメさんを立ててくれて 色々と手伝って下さった。 昨年の「RFL芦屋のスライドショー」のように芦屋でも RFL亀岡でも チーム「オレンジ・フェニックス」「フェニックス」の兄弟チームとして 手を取り合って先頭にたって 徹夜でウォークを楽しんだ。 2008/11 急性骨髄性白血病の告知を受け その6ヶ月後に 臍帯血移植手術を受けて「俺には 生まれたての女の子の 若い血が流れている。」が 自慢であった。 月1回の フォーロー検査入院も 別荘暮らしと称して 同室の若者に手ほどきを受けて パソコンの実力をメキメキ上達された。 「EBNONノート」そして 血液がん仲間の「ビレッジ2000」は 病室から 次々とホームページ立ち上げで 多くの患者さんや ご家族に情報提供された。 別荘から出て来ると「骨髄バンク」と「さい帯血バンク」の 移動採血車の出張先に出向いて 協力の呼びかけの先頭にたって活動をされていた。 新体操をされている お孫さんと一緒に 2016ブラジル五輪へ行くのだと 張り切って応援もされていた。 「ジメさん 今年は RFL芦屋は もちろんのこと 大阪 京都 但馬にも遠征しようね。」と 発破を掛けられていた。 これから 今夜の御通夜 明日の葬儀と参列して 彼の堂々たる生涯に敬意を表し その遺志を少しでもリレー出来る様 約束して来ようと思う。 「EBNON1さん、本当に お前さんと出逢えて良かったよ。リレーフォー・ライフには 必ず 天国から降りて来て 一緒に歩こうね。」 リレーフォーライフのメンバーさんも多数お参りして下さり みんなで EBNON1さんを称えるルミナリエを書いて 祭壇に並べた。 お孫さんも「大好きなおじぃちゃんへ オリンピックに行けるよう 頑張るから 見ていてね。」と 可愛い花の絵を添えて書かれたので 棺の一番近いところに置いた。 真言宗では 三度焼香をするが 1回目は「お疲れ様、よく頑張りましたね。」 2回目は「これから 浄土へ行くため 修行をしっかりと頑張って下さいね。」 3回目は「あなたと この世で逢えて感謝してるよ。また 天国でも逢えます様に。」 と 心を込めて焼香して下さいと説教された。通夜式の後 EBNON1さんと お別れの対面をするとき 殆どの方が 声にして手を合わされた。 棺の中の EBNON1さんも ジメさんに同じように答えて 笑っておられた。 今夜は 孫と過ごす 最後の夜で 約束があった。 ジメさんが 赤鬼の面 ヨメさんがお多福の面をつけて 孫たちが節分の豆まきをした。 「僕は 一度 これをやりたかったの。」と 満足していた。 お腹を空かして待っていてくれていたので みんなで 北北西の恵方を向いて黙って 巻寿司をかぶりついた。 これからも 色々と苦労はあるが みんなで支え合って健康で過ごせますように。 習った内容は また 思い出したら書くことにする。 明日の予定「EBNON1さんの葬儀手伝い。」 |一覧| |