神戸市長田区長田町3ー1-1
長田神社公式HP
■御祭神 事代主神
日本書紀の神功皇后紀に次のような記述があります。
(皇后元年2月、新羅遠征からの凱旋で、船が進まなくなったくだり)
武庫の港に還って占われたところ・・・(中略)
事代主命が教えて言われるに「自分を長田の国に祠るように」と。
そこで葉山媛の妹の長媛に祀らせた。
この場面は、待ちかまえる忍熊王に勝利するための祈願。
天照大神の荒魂(広田神社・西宮市)、天照大神の妹・稚日女尊(生田神社)
住吉神とともに事代主神を祀った神功皇后ゆかりの古社がこの長田神社。
この神社に限らず、神戸の神社がみな美しいのは
それらがあの震災後に再建されたものだからです。
特にこの長田地区の被害は大きく、
長田神社も大きな被害を受けたそうです。
ところで記紀神話によれば、事代主命は大国主命の息子。
国譲り神話においては、あっさりと国譲りを認めるだけでなく
父である大国主命にも「抵抗しない方がよい」と諭した上で海に隠れてしまいます。
神話では「国譲り」と言っていますが、
早い話が大国主命の造った国を、高天原がぶん盗ったということ。
その鎮魂のために大国主命を出雲大社に祀ったとされています。
当然、事代主命も鎮魂の対象となるはずなのですが
そういった祭祀が行われた形跡がありません。
本 殿
このブログで何度も書いていることなのですが、
大和が出雲を滅ぼしたと言うのなら、
あるいは天皇家の祖先がそうしたと言うのなら、
どうして大国主命(大物主命・大己貴命)が三輪山に祀られ
天照大神は大和を出なければならなかったのか。
それだけではありません。
三輪山から大和盆地をはさんで西の葛木には
事代主命が祀られた神社がいくつかあります。
金剛山にある葛木神社は、現在では一言主命が主祭神ですが
かつては事代主命が祀られていたとも言われ、
その本殿は関西では珍しい大社造なのです。
さらに不思議なことは
宮中八神に事代主命が名を連ねていることです。
この宮中八神とは
高御産霊神(タカミムスビノカミ)
神産霊神(カミムスビノカミ)
生産霊神(イクムスビノカミ)
足産霊神(タルムスビノカミ)
玉積産霊神(タマツメムスビノカミ)
大宮売神(オオミヤメノカミ)
御食津神(ミケツカミ)
事代主神(コトシロヌシノカミ)
あまり馴染みのない神様の名も見えますが、
これらは元々は神祇官の八神殿に祀られた神々で、
現在は皇居内にある宮中三殿の神殿に、天神地祇と合祀されているそうです。
私もこの神々を祀る神社は、銀閣寺の近くにある八神社しか知りません。
「宮中八神」とは、天皇守護に関わる神と言われていますが、
出雲の神が祟り神だとすれば、事代主命の存在は違和感があります。
大国主命にしても事代主命にしても、
大和にとって鎮魂の対象ではなく祖神のような信仰の対象に思えてなりません。
事代主神が大国主神の息子だとすれば、
皇后に託宣をするというのは、どう考えてもおかしな話です。
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