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福岡・博多 人力車出張サービスで思い出イベント          あなたの夢を運びます!博多人力屋

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サロマ湖100kmマラソン



時はまだバブル崩壊寸前の平成3年7月、場所は北海道のサロマ湖。その前の2年間でトライアスロンの大会5レースに出場した後、新たな刺激を求めてチャレンジすることに。自分としては十分な練習を積んできたので、制限時間の12時間半ギリギリでゴールできれば御の字だと考えていた。結果は11時間57分55秒で無事完走でき、ゴール後は感無量で自然と涙が流れた。

100キロのような長距離マラソンになると、通常のマラソン大会とは少し世界が違う。互いにタイムを競ってというよりは長い長いジョギングのような感じで、近くにいる人と会話したりしながら楽しく走ることが完走の秘訣かもしれない。ただ、走っていて最も気になったのはアスファルトの路面の固さ。とにかく長丁場のレースなので、この固さが非常に苦痛に感じられる。無性に柔らかいコンニャクのようなものを踏みしめたいという衝動に駆られたのは私だけではないと思う。

走行中には当然マメができるが、後半靴下を脱ぎ自分の足を見て目を疑った。何と小指の部分は水ぶくれで2倍以上になっているではないか。また小指以外の足全体もむくんだ感じで、見たことを思わず後悔するような悲惨な状態であった。その場は痛いが無理にでもマメをつぶして水を出し、靴を履き直してレースに戻る。最後の10キロ辺りに広がる原生花園に咲く花々は今思えば楽園のように見えた気がする。ここを通過した者だけがゴールにたどり着くことができる。

完走後安堵したのも束の間、急激に気分が悪くなり、じっと立っていられなくなった。医務室の場所を聞き体育館のようば場所へ出向く。そこで診察してもらった医者から何の薬かよくわからない注射を打ってもらった瞬間、全身がけいれんし、その場に倒れこんだ。ビックリした関係者に呼び寄せられた救急車に担架で乗せられ、一路救急病院へ。点滴を打つ私の横では大声で泣き叫ぶ大会出場者であろう女性が横たわっていた。ことの重大さに気付いたが、結局その日は退院することもできず、見知らぬ町の病院のベッドで一夜を過ごすことになった。

100キロマラソンの翌朝(7月8日)病室のベッドで起床。体調は若干回復してきているが、点滴のせいか右手がうまく動かない。自力では持ち上がらないし、また曲がりもしない。看護婦さんにも湿布してもらったり、トイレの際に介助してもらったりという状況で、この時点ではとても一人で動ける状態ではなかった。

困ったことになった。この時まだ会社員であった私はこのレースに合わせて有給休暇を含めて10日間の休みをいただいてはいた。しかし、九州出身の私にとって北海道というのは滅多に行ける場所ではなく、このレースのついでに北海道最北端辺りまで足を延ばす予定であった。しかもわざわざ持ち込んだ自分のマウンテンバイクで。レース後の身体のダメージはほとんど計算されておらず、計画を大幅に修正しなければならない。何よりもまず自力で身体が動くようにならなければ、帰ることもままならない。そう思った私は病室で一人腕のリハビリを開始した。

お昼くらいまで腕はほとんど動かなかったが、自発的なリハビリを繰り返しているうちに少しずつ動くようになってきた。同時に介助なしで自分の足で歩くように努め、身体が徐々に元の状態に戻り始めた。一時はもう一泊の入院も覚悟していたが、夕方までに何とか体調が回復し16時には退院できることになった。前日、何の連絡もできなかった民宿のおじさんに車で迎えにきてもらい民宿でもう一泊させていただくことになる。

その翌朝、身体は奇跡的に回復し体調も特に異常なし。一時は断念しかけたマウンテンバイクでの北海道縦走を決行するよう自分で決断。心配そうに見守る民宿のおじさん・おばさんに別れを告げサロマの町を後にする。この後、枝幸(えさし)のライダーズハウス(バイクツーリング用の宿)で一泊し、最北端の宗谷岬を回って稚内で更に一泊。その翌日、どうしても行きたかった礼文島に船で渡り島を一週後、再び稚内へ。最後はJRに自転車ごと乗り札幌を目指す。札幌にはかつての上司が支店長で赴任していたので連絡を取り、支店スタッフと共に札幌ビール園やススキノの夜の町を堪能した。

レース後にはほとんど考えられず断念しかけた北海道縦走計画も無事達成。何よりも今回のメインイベントである100キロマラソン完走のFINISHERメダルを手にできたことは最も感慨深い。レースに出場することに疑問を感じ始めていた自分ではあるが、このレースへのチャレンジと完走は大きな意義と自信をもたらしてくれた。何よりも自分一人との闘いに見えるレースであっても陰で支えてくださっている多くの方々の存在があってこそ。救急車で病院に運ばれ生まれて初めての入院まで経験してみて、そんな感謝の気持ちを改めて心に抱くことができたのが最も意義あることではないか。



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