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カテゴリ:台湾情報
2.28事件とは?
台湾の現在の発展した華々しい表の顔の後ろには、悲しい事実があります。 戦後、日本が台湾から撤収した後に台湾を支配した国民党が、シナ人支配に反抗する台湾人を虐殺し た事件を2.28事件と呼ぶ。 李登輝氏は国民党主席時代、1997年の「2.28事件」の慰霊碑の落成式で、政府として、台湾 の人々に正式に謝罪した。 それまでの独裁政権としては考えられないことである。 このことが発端で、台湾に住む外省人からは、嘘つき、裏切り者とのレッテルを貼られることになる が全く持って、勝手な意見であり、非現実的意見だと思う。しっかりとした歴史認識をしてもらいた い。 李登輝・総統はその謝罪で、犠牲者にお詫びを述べた後「これまでの台湾人と大陸系の間のわだかま りを一日も早く取り去って新しい台湾を築いてもらいたい」と強調するにまで至る。 国民党の「犯罪」を政府として自ら認めたのである。 政府発表でも2万8千人の犠牲者を認定した。その後も白色テロにより、その後の戸籍調査では、 11万人が行方不明となっていることが判明している。 白色テロとは、毛沢東の共産党による「赤色テロ」に対して、蒋介石の国民党によるテロを指す。 第二次大戦後、毛沢東に追われた蒋介石軍200万人以上が台湾に流入。この、いわゆる「外省人」 たちは、傍若無人な振る舞いを繰り返した。これに対し、ついに1947年2月28日、「本省人」 たちの怒りが爆発。台湾全土にまたがる衝突に発展し、蒋介石はこれを武力により鎮圧した。 これが228事件と言われるもので、1万とも2万ともいわれる犠牲者が出た。 当時、「本省人」の人口は約450万人であったから、殺された人が2万人とすると、約0.5%。 現在の日本で同じ比率だと約50万人。それ程大きな大弾圧事件であった。 228事件後も、「外省人」率いる国民党は徹底した政治的迫害「白色テロ」を続け、事件後に布か れた戒厳令は38年間も継続した。この「白色テロ」を通じて、特に親日の知識階級は徹底して抹殺 された。台湾の人々はこのような苦難と悲しみを乗り越えて今日の繁栄を築いてきた。また、かって の親日派の指導層は殆ど抹殺されてしまったにも拘わらず、多くの方々は親日の感情を抱かれてい る。この方々に日本政府は何をもって報いるというのか。我々も考えさせられる。 戦争、虐待と言う物は、人を不幸にされる以外何をもたらすのでしょう。指導者の自己満足のみ。 残る物は悲しみ。 今でも、大陸は同じ事を台湾に向けて発言している。武力行使。 どれだけ自己満足すれば気が済むのでしょう。同じ過ちは二度と起こしてはいけません。 誰も幸せになりません。 統一?、そんなに大陸が好きなら戻ればいい事だと思いますが。ここは台湾です。 香港とは生い立ちが全く違います。 1部国民新聞を参考にさせて頂きました。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2008.02.28 21:40:27
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