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慈恩・・・
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言葉

-----新聞連載「天佑なり」-----
2011年11月より
亜米利加(アメリカ) 桑港(サンフランシスコ) 紐育(ニューヨーク)
和蘭(オランダ) 伯林(ベルリン) 巴里(パリ) 独逸(ドイツ) 仏蘭西(フランス)

小説の中に出てくる国名を覚書に残そうと打ち出したら、PCで変換できた(苦笑;)


------中日新聞連載「親鸞」より、------
2009年、8月末日をもって完(354回)ました。長く楽しませてもらい、有り難うございました。
念仏禁止令が出て、矛盾の世の中で・・・
法然上人(75歳)は、藤原元彦と俗名をたまわり”遠流”(おんる)。
善信は、伯父宗業邸にて謹慎後、恵信の故郷であり、伯父上がお預かりの越後へ”流罪”、俗名 藤原善信とたまわる。
<忠範は仏門に入り、範宴→綽空→善信→親鸞(天竺の世親菩薩と思想をきわめた、曇鸞(どんらん)大師から>
~~~~~
伝教大師・最澄(さいちょう)が開いた、比叡山天台の教えには、
生きとし生けるものすべてに仏性がある。
「草木国土悉皆成仏」(そうもくこくどしっかいじょうぶつ)、草も、木も、虫も、けものも、石や山河にまで、全てに仏の命が宿る。
涅槃経には、「一切衆生悉有仏性」(いっさいしゅじょうしつうぶっしょう)とある。
<2008年11月>

2011年1月~
親鸞・激動篇始まる。

**覚書**
「親鸞」主人公忠範は、叡山にあがり”慈円”から「範宴(はんねん)」の名を頂く、この時9歳。
慈円(じえん)、関白藤原忠通の子。
  11歳で仏門に入る。
  13歳で得度。
  16歳、一身阿ジャ梨に補せられて、法眼の高位を与えられる。
後に、叡山を降りて吉水の草庵へ百日参りをし、
”法然坊源空”に「綽空(しゃくくう)」を名乗る許しを頂く。(29歳)
”恵信と縁を結ぶ”
<2009年4月↑>
主人公33歳、「選択集書写」を許され、善信と言う名を頂く。(心で決めていた名と同じだった)
善信(ぜんしん)善よく信ぜよ。
前身      以前の身分。
漸進      少しずつ進む。
全身      身体の中。
全心      心の全て。
前進      前へ進む。
<2009年7月↑>

白衣は清浄、黒衣は不浄。
善信は、病人と死者を大切に扱った。
誕生と死は、世間の人々の人生の一大事なのだ。それをないがしろにして念仏を説くのは。どこかが間違っていると思った。
*********法話より(高田好胤)******
「個性尊重」と言われるが、
悪い個性を持って生まれるのが人間、個性の善悪を見極めてあげるのが大人の務め、ほったらかしが尊重ではない。

「天上天下唯我独尊」、
天にも地にも、自分という尊い存在は一人、自分を救うのは、自分以外に無く、尊い命の働きに気付いてほしいという願い。

~~~~~~~~~~~~~
荘子(思想家)のことばより☆

吾以天地為棺槨、
日月為連璧、
星辰為珠宝、
万物為齎送。
吾葬具豈不備邪。

この天地が私の棺、
太陽と月、星々が宝、
万物が会葬者、
あと何が足らない葬具だろう?

(解説)
 中国古代の思想家、究極の自由人であった荘子(荘周)の言葉は荒唐無稽、壮大なファンタジーである。
何しろ混沌(カオス)まで登場するのだから手におえない。それでいて鋭い風刺と皮肉がぐさりと真実を突き、読むものを現実に突き落とす凄みがある。彼が臨終の際に、弟子たちに残す言葉がこれである。
 あらゆる虚栄、名利、知ったかぶりをあざ笑うのが彼の生き方であったが、いかにも彼らしい臨終の言葉
である。森羅万象の背後にある根源的な「道」(タオ)に身をゆだねることが彼の理想であったが、このよう
に彼は「道」に還っていくことを望んだのである。


不将=オクラズ=過ぎ去った事を悔やまない

不迎=ムカエズ=先の事をあれこれ取り越し苦労をしない

応而=オウジテ=事態のの変化に対応して

不蔵=ゾウセズ=心に何もとどめない


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「人の生くるや、憂いとともに生く。」
生きていれば、心配事の種が尽きる事はない。
お金を貯めれば、それを取られはしないかと心配になる。
強盗に遭うかもしれない。詐欺に遭うかもしれないと心配になる。
家族が増えれば、それだけ心配事も増える。
何かを手に入れれば、それを失ってしまう事はないかと、今度はそれが心配になる。
幸せになれば、なった分だけ心配も増える。
心配が多いのは、それだけ幸せな証拠。
(9月27日 記)

「意(こころ)の随う(したがう)所の者は、言を以って云うべからず」 (天道)
言葉で伝えなければならないことは、わかっている。でも、本当に伝えたい気持ちは、なかなか言葉では伝えられない。言葉だけでは伝えきれないものがある。心のそこから湧き上ってきた想い、こみ上げてきた想いは、なかなか言葉に直せない。言葉に直すと、どうしても少し違ってきてしまう。直した途端に、どこかニセモノっぽくなってしまう。
(2005年9月8日 記)

新聞掲載「荘子のことば」”ひもとく”、2005年11/3日をもって終わりました。
「荘子の言を観んと浴するは、是れ猶(な)お”か”をして山を食い、商キョをして河を馳せしむるがごときなり。必ず任に勝えず。」
(荘子の言葉について、解説しようなどということ自体が無謀な事であった。たとえて言うなら、蚊が山を背負うようなもの、ちっぽけなヤスデが横河を渡ろうとするようなもの。身の程知らずだった。)
こう書かれていました。

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