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2011年06月27日
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専門学をつくったのはユダヤ人学者

弘法大師が、般若心経を大変尊重していたことは、間違いないようです。般若心経を持って帰ったのは弘法大師ですが、弘法大師自身に死なない命が分かっていたかどうかは疑問です。
弘法大師は、当時としては、恐らく日本に前例がないほどの名僧であったでしょう。しかし彼は、イエスが死から甦ったこと、死を破って復活した人間がいるということを、知らなかったようです。知っていたとしても、宗教的な理解に過ぎなかったでしょう。
弘法大師は、どうも仏教だけを勉強した人ではなかったようで、キリスト教を交えたような思想を持って帰ったようです。いろは四十八文字という歌を作ったといわれていますけれど、いろは歌の中には、イエスの復活が読み込まれているのです。だから弘法大師の思想は、キリスト教と仏教が、入り混じったような思想です。ただし、般若心経のことは、はっきり説明はしていません。
ついでに般若心経について説明しておきますと、五薀とは人間の物心なのです。肉体的に生きているという気持ち、命が自分のものだという気持ち、自分が生きていると思っていることが、五薀なのです。
五薀とは色受想行識の五つですが、人間の感覚は、全部五薀です。目の働きである視覚神経は、間違いのない命です。ただし、それをどのように受け取るかは、私たちの視覚意識の問題です。受けとめている気持ちが間違っているのです。これが五薀です。
例えば、目で見ているバラの花を、きれいだと思います。きれいだと思うからきれいだというのでは、だめです。なぜなら、目はきれいだと見ていながら、視覚意識はきれいだと片づけている、その片づけ方が間違っているのです。これが迷いなのです。
目は正しいものを見ていますけれど、受け止める意識が間違っているのです。脳細胞の働きが、肉の思いになっている。それがもう既に死んでいる証拠なのです。
人間の常識、知識としては、命は自分のものだと考えています。自分がこの世に生まれてきたと考えています。
生まれるという言葉は、自動詞なのです。本人が意識して行う動詞なのです。生まれるとか、歩くとか、走る、座る、寝るというのは、自動詞なのです。自分が寝ようと思えば寝る。歩こうと思えば歩く、というわけです。
ところが人間は、生まれるという言葉を使う資格がないのです。この世に自分が生まれたいと思ったことがありません。だから、生まれるとい、自動詞は使えないのです。
人間が現世に生まれてきたのは、「おのずから」の処置によって、生まれをさせられたのであって、自分で生まれたのではないのです。まずこれを考えて頂きたいのです。
従って、肉体的に生きているとか、命は自分のものだと考えてしまいますと、考え方の土台が間違えってしまうのです。目で死なない命を見ていながら、それを受け止める心が間違っているために、五薀となってしまうのです。
般若心経は、これをいっているのです。無限耳鼻舌身意、無色聾香味触法、無眼界乃至無意識界といっている。これは驚くべき哲学であって、般若心経に匹敵する哲学は、欧米社会にはありません。般若心経にあるような素晴らしく奥深い哲学は、欧米人には分からないようです。日本人はこれを、欧米社会へ教えてあげるべきなのです。欧米社会はもう行き詰まっています。今の文明は、完全に行き詰まっているのです。自滅するしか方法はないのです。
大学で教えている学問は、皆間違っているのです。専門的な理屈は知っていますが、全体的なことは何も知らないのです。
専門的な学理学説は、この世に生きている間は役に立ちます。科学でも、経済学でも、人間がこの世に生活している間は役に立ちますが、命には何の関係もないのです。これが現代文明の間違いなのです。
専門学という考え方が、ユダヤ主義なのです。ユダヤ主義が、世界六十五億の人間をバカにしているのです。
自分が生きている、命は自分のものだという考えを発明したのは、ユダヤ人です。ユダヤ人が発明した壷という感覚が、世界中に広がっている。五蕊はユダヤ人が発明した考えだということを、お釈迦さんも知らなかったのです。
お釈迦さんよりも二千五百年に生まれた私たちには、お釈迦さんが知らなかったことが分かるのです。弘法大師が知らなかったことを、私たちは知ることができるのです。
私たちが、お釈迦さん、弘法大師よりえらいというのではありません。弘法大師の時代は、それでよかったのです。
今の時代は、人間文明が終焉しようとしている時代です。お釈迦さんや弘法大師よりも、多くのことを知っていて、当たり前なのです。知らない人の方が間違っているのです。
私たちは、弘法大師以上に、親鸞聖人以上に、道元禅師以上になるべきなのです。今は、西洋のことも、東洋のことも自由に勉強することができます。何でも発表することができます。そういう時代ですから、お釈迦さんが言わなかったことを、私たちが言っても、決して不思議ではないのです。
日蓮大上人というと偉い人のように思えますが、私たちの方がもっと多くのことを知っているのです。時代が遅くなればなるほど、知恵が広がるのは当たり前のことです。弘法大師は、テレビを見たり、飛行機に乗ったことはなかったのです。日蓮上人は、電話をかけたり、車を運転したことがないのですから、私たちの方がより多くのことを知っていて当たり前なのです。今の時代に、お釈迦さんや親鸞上人を拝んでもしようがないのです。このことをよく考えて頂きたいのです。日本の仏教はレベルが低すぎます。弘法大師の考え方、日蓮上人の考え方では、間に合わないのです。
五薀の虜になっているのは、ただの人間です。五官の働きは、魂です。これに気づけばいいのです。
魂の実物が、人間の姿で現われてきたものを、イエスというのです。お釈迦さんとイエスの関係を説明しますと、大変面白いのですが、この両者の関係を本当に説明できる人はいません。
お釈迦さんは、明けの明星を見て、悟りを開きました。明けの明星を説明できる人は、日本の大学教授には一人もいません。
このように、日本人はものを知らなさ過ぎるのです。なぜものを知らないかといいますと、島国根性に取りつかれているからです。日本人は日本の常識ばかりを頭に詰め込んで、欧米人がどういうことを考えているか、イエス・キリストがどういう人物なのかを、知ろうとしないのです。
だいたい日本人で、聖書をまともに読んでいる人はいません。キリスト教が一番悪いのです。聖書をまともに読まずに、聖書で商売をしているのです。ローマ・カトリックも悪いし、プロテスタントも悪いのです。キリスト教は、宗教の中で一番悪いといえます。
本当にものを知るということは、西洋のことも、東洋のことも、何でも学ばなければならないのです。西洋人も、東洋人も、美しいものは美しいと思うでしょう。楽しいことは楽しいと思うでしょう。
世界中の人間は、砂糖をなめれば甘いと思います。68億の人間は、皆同じ命で生きているのです。同じ感覚で、同じように生きています。命は全世界で一つしかないのです。
それを、命は自分のものだと思っている。自分が生まれたいと考えたことがないのに、自分が生まれたと考えている。そういう考えをやめるのです。
間違いを直していけばいいのです。五官の受け取り方をどうすればいいのか。目の働きをどのように受け取ればいいのか。これを勉強していけばいいのです。
自分の気持ちが間違っているのです。目や鼻は間違っていません。目や鼻には、生まれる前の命がそのまま宿っているのです。これが霊魂です。ところが常識が間違っているのです。物の見方、考え方、すなわち世界観が間違っている。これを直したらいいのです。
そこで新しい世界観をつくる必要があるのです。新しい物の考え方をつくるのです。イエスはそれを持っていたのです。イエスがなぜ死を破ったかということを勉強していけば、新しい考えになるのです。





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最終更新日  2011年06月27日 20時38分04秒
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