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こんにちは^^
今日は「右頚部リンパ節郭清術」を受けてから、丁度1ヶ月目です。 「そんなに経ったんだな」という想いと、 「まだたったそれだけしか経ってないんだ」という… 相反した想いが交錯して、複雑な心境です。 傷はかなりキレイになってきました。 私の傷は「静岡がんセンター」の頭頚科の先生が、 大きな傷にならないよう、中を細かく縫って下さってるので 表面的には横に1本線が入っているだけです。 これも時間が経てば、しわに隠れてほとんど目立たなくなります。 去年の11月の「甲状腺癌」の手術の痕も、 ポチッと一箇所蚊に刺されたように、小さく赤く腫れていますが、 7cm位の一本線さえも、よ~く見ないと判りません。 術後はとても腫れが酷く、あごも首もなくパンパンでしたが 今は腫れもひき見やすくなってきました。 その傷の上に特別なテープを使い、ピッタリと固定してあります。 こうして「2ヶ月程押さえておけば、さらに傷はきれいに細く なるから」と、先生方から丁寧な説明がありました。 女性ですし見えるトコロなので、そういった配慮が嬉しいです。 ~*~癌と息子~*~ ※「抗がん剤その2」を書くつもりでしたが、書いてみたら まったく違うものになっていました また後日抗がん剤については書こうと思います。 髪が抜けて確かにショックではありましたが、 私はウィッグを被ったりして気を紛らわせていました。 が…当時小学校4年生だった息子はショックが大きかったようです。 私はいつも髪を長くしているので、尚更だと思います。 また…病気になる前は、毎日朝学校へ行く為に起こしたり 朝食を作って食べさせたり、玄関で見送ったりするのが 私と息子との長い間の習慣でしたから、髪の毛の事だけでなく 大きな変化が、息子の生活にも起きてしまいました。 結果、息子は「登校拒否」というか…学校へ行かなくなって しまったみたいです。この事を知ったのは手術から一ヶ月位 経ってからだったと思います。 まだその頃の私のお腹には、何本もの管が出ている時でした。 私と一緒になって、自分も病気のように弱っている主人に 失望と共に怒りが湧いてくるとのと同時に、 「私が頑張って何とかしなくちゃ」という気力が 沸々と湧きあがってきました。 それが結果的には、危ない状態でどん底にいた私の、 直接這い上がるきっかけになったように感じます。 「人間万事塞翁が馬」何が幸せに繋がるか、何が不幸を もたらすか…本当に予測がつきません。 周りの方達を見ていると、失礼ですがやはり食べる事が 大事だと思いました。正確には「食べようとする気力・ 生きたいと願う気持ち」なのかも知れません。 それから「動く事」も大事だと思いました。 自分で動いて歩かないと、どんどん衰弱していく様でした。 それで私は時間を掛けてよく食べ、よく動くようにしました。 息子の件は…湧き上がる情熱で、学校の担任へ連絡を取り、 現状を伝え、誰か毎日迎えにきてくれるようお願いしました。 また市役所の福祉課に連絡をして、何か経済的な援助が ないのか、何か特別な制度はないのか…尋ねてみました。 障害の認定はされないけれど、「高額療養費の還付」や 「くらしの資金」の貸付制度がある事を知りました。 市や町によって制度が違うようなので、調べてみて下さい。 病気は当事者だけでなく、周りの人も同時に巻き込んで 大きく人生を変えてしまいます。 私も痛く辛く悲しいのですが、それでも周りの人への 配慮を忘れず、共に悩み共に笑って乗り越えていければ いいなと思っています。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
August 9, 2007 02:40:22 PM
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