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テーマ:癌(3513)
カテゴリ:いのち
親よりも子どもが先に亡くなる。
それは、この世の中でも屈指の悲しいことだと思います。 昨日深夜、NHKでETV特集「オレを覚えていてほしい」の再放送をしていました。 奥山貴宏さんが、33歳で亡くなるまでの二年間を綴ったものです。 奥山貴宏さんは、1971年 宮城県仙台市生まれ。 31歳の時に肺がんの診断を受け、闘病の末2005年4月17日亡くなりました。 このドキュメンタリーは昨年夏に放映されたようですが、私はまったく知りませんでした。 「ガンでかわいそう」なんて思われたくない。 「哀れ」なんて、絶対言われたくない。 奥山さんの思いは番組のひとつの芯となっていました。 具体的な内容をご紹介できるほどの文才がなく、申し訳ないのですが、奥山さんのネットサイトやブログの書き込み、そして奥山さんが友人と残した映像で、奥山さんの日々が「淡々」と映し出されていました。 常に「クール」で「ロック」であろうとした奥山さん。 死ぬことには無頓着なほどでした。 ただこだわったのは、「小説家として死にたい」という思いと、小説を書き上げること。 しかし、亡くなる前日、彼が最後に残した日記には「死にたくないな」とありました。それは周囲の人々が、思わず聞き返してしまうほどの「以外な」言葉だったということです。 奥山さんが亡くなった日には、勤務先の編集者がブログへの書き込みをし、彼の「死」を読者へ伝えていました。 昨夜は、(正確には今日未明)時間も忘れて見てしまいました。 その後、眠気も吹き飛び、一人悶々としていました。 中でも、一番胸に残っているのは、奥山さんのお母さんの言葉です。 お母さんは離れて一人暮らしする息子のために、週に何度か朝早くに家を出て、掃除、炊飯をし帰宅するという生活を続けていました。 お茶も飲まず、トイレにも行かずに息子の世話をする母を見て奥山さんは「母はサイボーグであることが判明した」とブログに書きます。 自分より先に弱っていく息子。 それを見るお母さんの思いはどれほどだったことでしょうね。 そして、番組の最後でお母さんが主の居なくなった部屋の、パソコンを見ながらつぶやきます。 「こんなにいろんなことをしていたなんて、まったく知らなかった」 「機械のことはわからないから、こんなの見たこともなかった」 「こんなに活躍していたことをもっと知っていたら、応援もできたのに」 お母さんの思いは、奥山さんが亡くなったのちにブログへ書き込まれます。 読者のみなさまへ――サ母より 私は、番組を見ているあいだ、まったく泣けませんでした。 「気取って生きている」、「一生懸命生きている」、「ああ、こんな生き方もあるんだな」と、少し主人公から離れた気持ちでテレビを見ていました。 でも、いま、改めて番組を思い出し、お母さんの気持ちを考えると涙が止まらなくなってしまいました。 奥山さんのブログには今もたくさんの訪問者があるようです。 自分の息子が生きていた証しが、こうして残っている。 それは、親にとって悲しみの中の小さな明かりなのかもしれないですね。 ヴァニシングポイント 奥山さんの処女作です。 【リンク】 naomiさんの日記 カマピーさん のりさん naoさん お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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