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カテゴリ:助産院での出産について
引き続き、僻地の産科医さんの
ブログ:産科医療のこれから より 母体搬送や新生児搬送で苦労したこと(2) 『助産院からの搬送』を、これから助産院や自宅で産もうと考えられている方に読んで欲しいです。 読んだ上で、「お前が言うな!」とおもう方もいるかもしれないけど、 『それでも子供より、自分の理想が大事なの?』 と驚いています。 搬送後の不満の云々…びっくりです。 琴子が仮に搬送となった場合、私は琴子の心配をするばかりで、助産院や自宅並みに静かな環境なんて望む余裕があるかな… そもそも助産院は医療介入が必要な症例は扱えない旨を分娩前にちゃんと説明してあるのか疑問に思うことが多い。外来診療で医学的にハイリスクな助産院分娩希望者に医療施設での分娩を勧めても納得しないばかりか医療機関に対して不信感を抱くばかりである。血小板減少やRh不適合妊娠、顕微授精で妊娠した40歳代の初産婦など本来ならば病院で扱われるべき症例が、助産院分娩を強く希望し助産院で受け入れられている。たまたま病院に運ばれてきたので分かったが氷山の一角かもしれない。 (「日本産婦人科医会報5月号」上記ブログより) ガイドラインが発行されたということで、助産師会は役目の大半を果たしたということになるのでしょうか、後は保健所が…ってことなのでしょうか、私は正直、上記の通りの懸念を抱いています。 “助産院分娩を強く希望し助産院で受け入れられいてる”のが何よりですよ。 風邪をひいたとか、治せる・治ることならそれは構わないとおもうけど、妊娠期間中に身体作りをしっかりとしたら大丈夫かもって、そう期待させて日々励ませて、そうなると余計に固執しちゃいますよね、産む側は。 顕微授精って、私は体外受精という言葉の方が馴染があるのですが、それの一つと解釈しても構わないでしょうか、間違っていたらどなたかご指摘ください。 琴子を出産、亡くした後、友人経由で、ある開業助産師のところへ来る妊婦さんの話を聞きました。 その妊婦さんは不妊治療の末、お子さんを授かることが出来た上、助産院での出産を望んでいると。 その助産院では丁重に断っているのだが、何度も足を運んできては、 「なんとかしてここで産ませてくれ」 と懇願されて困っているとのこと。 この話を何故私が知ったかといえば、友人が付き合いのある助産師に琴子のことを話した際に聞いたということで、この話の結末を私は知らない。 私は聞いていて、この産婦さんの気持ちが痛々しくて… どうしてこうも固執してしまうのか。 この産婦さんは不妊治療を受けていた。 これは助産院ではなく、当然、病院で受けていた。 その間にかそれ以前からかは分からないけど、“自然に妊娠できない”ということに対しての世間の目とか身内の目とか、きっと想像以上の辛いことがあったのだろうとおもう。 同じ境遇に立ったとしたら、今の私なら、迷わずに病院で産む。 そのまま、お世話になった病院で産む。 でもそれは琴子の経験がある今の私だからかもしれない。 「妊娠が治療の末でなら、せめて出産だけでも…」 と、そう考えてしまう可能性はあったかもしれない。 だから、私にはこの妊婦さんのことを責めることは出来ない。 でも、そう考えさせてしまう世間や“自然なお産”を洗脳している人には責任を問う。 本人にも気が付くべきことはある。 私のように、子供が死んでからしか気が付くことが出来ないなんて愚か過ぎるから、何処かで必要な情報や現実、事実に気が付く・知ることが出来ることを祈るしかない。 それにしても彼女たちの助産院信仰の強さは一体どこから生じるのか?小児科医師によると、助産院分娩を試みた結果新生児に異常が起きて搬送された場合でも、助産院での分娩を後悔しないお母さんがほとんどらしい。最後まで自己責任で全うしてくれればよいのであるが、病院に来たとたん人間は医療過誤でしか死なないと思うのか医療不信のかたまりである。マスコミは助産院分娩の長所だけではなくデメリットに関しても正しく報道し、助産院での分娩希望者にそれなりの覚悟を促してほしいと思う今日この頃である。 (「日本産婦人科医会報5月号」上記ブログより) 搬送先でまでっていうのは、兎に角何度も言うように、私には搬送された経験がないので、経験では言えないのだけど、母子を救ってもらっても感謝できないというのは、先日の某ブログでの話もあるし、そこまで酷いとは…とおもいたいけど、せめて少数派のことだろうと願いたいけど、私なんかより熱烈な方を知っているので、全く想像できないとも言えないし…搬送した助産院の人も、搬送先ではどうなんでしょうか。 「私たちはあなた達(産婦)の親じゃない!」 と叱るかもしれないけど、妊娠・出産への教育者としても、最後まで全うして欲しい。 もし搬送先で、産婦が医療や医師への不満を口にするようだったら、それは教えてあげるべきでしょう、何が正しいのかを。 そこまで付き合うことではないとは言わないで欲しい。 逆に言えば、そこまで信頼しきっているんだから、産む側は。 私は医療過誤でしか人はしなないとはおもっていなかったけど、“余程のことがない限り、お産で母子が死ぬことはない”とはおもっていた。 具体的な言葉ではおもっていなかったけど、言葉にすれば上記の通りになる。 そして、その余程のこととは何かといえば、余計に具体的には考えられなくて、ただ漠然と、 『助産師は正しい判断をする!』 と信じていただけ。 これから助産院や自宅で産む人の中には、 「私はあなたほど愚かじゃないよ」 って、そうおもっている人もいるでしょう。 きっと、あの頃の私もその中にいるんだろうな。 そして、一緒になってそうおもっているんだろうな。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2007.07.21 12:44:16
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