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ケガをしたり、させたりした中学生のこどもに、ロケットの「水平撃ち」は、したらいかんぞ、人に向けてやることじゃない、とよく諭した。
警察は、自分の使う武器がどんなものか、人に与える被害を、末端に知らせずに使用させているのか? それとも、知って言わずにやらせているのか? あれは、人に向けるもんじゃない。 そんなことは、人非人のすることだ。 人間のすることじゃないぞ! 日曜日、「警察は、保障をしろ! 当たり前ヤンか!!!」 と叫んでいたら、「せんせい、わしにいうても」 と、目の前の患者さんがにやけとる。 「あたりまえやんか、だれが、あんたに文句いうてるものか。 いっしょに、言うてくれたらいいんや! こんなんオカシイ!!!って! なんで、いわへんの? かわいそすぎるやんか! そやろ!?」 アー、なんも言わん。 いつもの釜が崎の暴動だ、傍で見てたのが悪いという。 野次馬に行ったから悪いのだという。 彼は、そばで事の成り行きを見ていただけだ。 そのこと自体、非難されるべきものでも、処罰されるものでもない。 たとえ、興味本位な欲求が見物人のなかにあったとしても、それは警察が市民に危害を加えることを正当化する理由に、なろうはずもない。 その人が、どういう理由でそこに立っていたかは、警察がふるった暴力の善悪と、結果の被害に、なんら関係しない。 人間が警察権力によって傷つけられた、という事実があるだけだ。 横に立って見ていたから、治安権力は市民に危害を加えても無罪である、と市民自身が思ってしまうのでは、おかしすぎる。 そんなことで権力の横暴に、どう抗議するというのだ。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2008年06月21日 23時06分17秒
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