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とある有意義なセミナーで、私は団籐先生の「人格形成責任論」なんて非現実的な理論であるというレポートを出しました。 そもそも、犯罪者が犯罪を犯すまでの人格形成なんていちいち調査している時間も費用もありませんし、現実問題として世間の注目を集めている大事件でも一人の人間の人格形成プロセスを理解することなど、神ならぬわれわれとしては不可能だと確信しているからです。
し、しかしです。 今日、そのことについて改めて考えてみると、とんでもないことを見落としていました。 私のライフワークのひとつである「児童虐待」に関する問題です。
アメリカでの統計調査では、被虐待児童が何のケアもなされなければ、無条件でその3分の1が自分の子どもを虐待し、ストレス等の外的要因が加われば更に3分の1が子どもを虐待するそうです。 つまり、ストレスフルな今日においては、虐待を受けた人間の3分の2が自分の子どもを虐待する、自分の子どもを虐待するくらいですから自分より低位にある人間を虐待してしまう可能性があるということになります。
つまり「人格形成責任論」は、自ら犯罪を犯す人格を形成したことを非難するのではなく、虐待経験が危険な人格を形成してしまったという意味で、今日的意義を持つようになると考えています。 さすれば、弁護側としては被告人が被虐待経験があることを作り上げるか、もしくは誇張すればいいわけで、弁護人の手腕によって量刑に大きな差が出て来てしまいかねません。
個人的には悩ましい問題ではありますが、被虐待経験が間違いなく認められれば酌量の余地を認めるべきでしょうが、その判断はどのようにすべきなのでしょうか?
少年には家庭裁判所調査官の調査がありますが、成人にはありません。
何らかの形で、成人被告人にも調査を施す必要がある時代になってきたではないでしょうか? 少年だけの特権というのは、やはりかなり偏っているような気がします。
Last updated
2010.08.28 23:01:12
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