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2017.10.09
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カテゴリ:シナリオ


暦の成立は古代のメソポタミア、エジプト、それに中国の殷などが最も古いと考えられて
います。メソポタミアではBC3000年紀に都市国家ごとにうるう年を加えた太陰太陽暦を
もっていました。エジプトではナイル川の氾濫やシリウスの星の出現を目安にした太陽暦
(シリウス暦)を使用し、BC2900年頃には1年を365日とする暦ができました。そのころの
日本はまだ縄文時代の真っただ中でした。あなたは「当時の縄文人が現在のグレゴリオ
暦に匹敵できる精度の高い太陽暦を使った生活習慣を取り入れていた」と言ったら驚き
ませんか?実はその証拠が飛騨金山の巨石群で見つかっています。
今年923日の秋分の日に、ここで太陽観測会が行われました。(シリウス暦はその後、
1582年にローマ法王グレゴリオの命で、より精度の高い現在のグレゴリオ暦に改暦され
ました)

 老夫婦が手にしているパンフレットには、「日本における古代太陽観測の証~金山巨石
群と太陽暦~」と題し、金山巨石群は「岩屋岩陰遺跡巨石群」「線刻石のある巨石群」
「東の山巨石群」からなる巨石群(推定2500年前)の総称である。いずれも同じような観
測方法により太陽運行をとらえ、各節目の時期を知るための観測台の役目を持つ。
また、太陽高度と年間日数との誤差により、うるう年を知るための石組みも存在している。「線刻石のある巨石群」には夏至の頃の太陽軌道の方位と高度が2本の線刻に刻され、
巨石群内に差し込むスポット光の形とサイズが3つの楕円の痕跡に刻された可能性が高
いとされている。こうした研究成果や、周辺地域(卯野原・乙原・八坂)に8000年前からの
住居跡や石鏃(せきぞく)、土器などが多数出土していることから、金山巨石群が太陽暦
として機能し、利用されていたと考えられている。」と書かれている。

 夫: ここが金山巨石群の場所だね。案内員の方がいないけど、今は巨石の中かな?
   今日は話
を聞きながら、このパンフレットの内容を検証して行こうじゃないか。それに
   しても、
この巨石群が縄文時代に人為的に作られたとは思えないね。どうやってここ
   まで動かし、
そして組み上げたのだろうか。今は山奥だけど、当時のここの環境はど
   うなんだろう。

妻: これらの巨石群を見ていると、森の中に忽然と現れた大きなパワー・ストーンといっ
   た
感じね。今日の観測場所は岩屋岩陰巨石の中だと思うからそこへ行ってみましょ
   う。

 岩屋岩陰遺跡は1973年、岐阜県文化財に指定された縄文時代の史跡で、1976年ごろ
までは岩屋神社と呼ばれ信仰の場でした。遺跡は3つの巨石の組み合わせで構成され
ています。

 案内員: ようこそ観測会に!ここの調査の始まりは1997年に、隣にある「線刻のある巨
      石」
に刻まれた3つの楕円形の彫刻そして2本の線刻を見て何かの記号表現で
      はないかとの疑問から、謎解きが始まったのです。
      その後の調査で、「線刻石のある巨石群」では夏至・冬至の観測所、「岩屋岩
      陰巨石群」では春分、秋分そしてうるう年の観測所、「東の山巨石群」は冬の
      始まりと終わりの観測など季節を知る観測所としての機能を持っていることが
      分かりました。

妻: 今から20年前の話ね。それまでは信仰の場ではあったけど、ここが太陽カレンダーの
   機能を持っていることは全く忘れられていたのね。

案内員: 今日は秋分の日です。この日の「岩屋岩陰巨石」では、あそこに見える岩の隙間
   から射し込んだ太陽のスポット光の灯りが14㎝ずつ奥(北)へ移動します。理
   解してもらうために紐を4㎝間隔で置いてあります。今朝の9時半ごろに射し込ん
   できた小さなスポット光は円形となって、ここにある最初の測定石に当たりまし
   た。そして陽が登るにつれてこの線に沿って光の「形」や「大きさ」を変えながら、
   現在ここまで移動しています。そして明日には次の4㎝離れた紐の位置に移動し
   て、紐の線の上を移動します。これを観測することで、春分や秋分を読み取るこ
   とができるのです。春分の日は反対方向の光の移動になります。
   うるう年と平年の見分け方は10月と2月の年2回、太陽光がここで発見された石
   組みの3ヵ所へ射し込むスポット光の観測で読み取ることができます。太陽は365
   
日+約6時間で地球を一周するからうるう年による調整が必要です。
   でも実際は6時間を1114秒短いのです。この分を24時間にするには128年か
   かります。ここで1日引かなければ正確な暦になりません。この細かな計算もこ
   こで読み取ることができるんです。
   これから解説しますね。現在のグレゴリオ暦が使われる遥か昔の縄文時代に、
   今の暦と同じ精度の太陽観測が、ここで行われていたことを知ってほしいです。

 老夫婦にはうるう年の話は1回聞いただけでは十分に理解できませんでしたが、それでも
となくその場では納得できたのが不思議です。

 夫: ところで夏至の観測など他の節目の観測もここで行われたのですか?

案内員: 違います。夏至の観測は隣にある「線刻石のある巨石群」で観測されました。
   夏の光がある一定の期間で同じ位置に戻ってくるのを知れば、それは季節と
   連動し、自然界の移り変わりの時期を知る目安になります。夏の昼頃、巨石の
   下の空間にスポット光が射し込みます。その光の形を写し取り、巨石に掘られ
   た3種類の楕円形に合わせると夏至の頃の光の形が一番大きな窪みの形とピ
   タリ一致、他の2つの窪みは陽の入り始めと終わりの形と一致したのです。2
   の線刻は射し込む光を象徴したものと考えられます。
   是非「線刻石のある巨石」へ行って確認してください。なお「東の山巨石群」で
   すが、この時期はまだ山ヒルが出ますので、行くことはお勧めしません。
   太陽観測は3つの巨石群を目的別にも、そして連動した観測点としても使って
   います。

妻: パンフレットに北極星と北斗七星が記載されていますが・・・・。

案内員: この「岩屋岩陰巨石」の一つに北斗七星が大きく描かれています。そしてこの
   下にある巨石の傾斜に沿ってその延長上の夜空を眺めると北極星が観察で
   きます。

夫: この場所全体が大きな観測所として使われていたんだね。うるう年の話などはすぐに
   は
理解できなかったし、疑問も出てきたから帰ってからゆっくり調べよう。

妻: 今、ここの「観測ガイド」の本を購入したから、これを読むといいわ。

 二人は「岩屋岩陰巨石」を出ると、ガイド本を見ながら「線刻石のある巨石」や「北斗七星
観測石」など金山巨石群を見て歩き、縄文時代の生活に想いを巡らせました。
ここは二人にとって記憶に残る場所となったようです。

 

参考書:金山巨石群の「縄文」太陽観測ガイド 2016928日発行  
      著者:小林由来 徳田紫穂
      
発行所;株式会社 三五館  1200






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最終更新日  2017.10.09 07:56:36
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