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2018.09.24
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カテゴリ:シナリオ


首都圏に住んでいる高校の同級生3人が古稀を迎えたことを契機に始めた街歩き。今回は
関東地方のほぼ中央、茨城県の西端に位置する人口約14万人の街「古河市」です。古く
は万葉集にも登場し、鎌倉時代から120年余にわたる古河公方時代を経て、江戸時代には
譜代大名の城下町、舟運の町そして日光街道の宿場町として栄えてきた歴史から茨城の小
京都と呼ばれています。

ヤス:二人は初めてだと言っていたね。古河市は城が残っていないので地味だけど、歴史
   博物館や数多く残された史跡が歴史を語っているよ。今日は古河市が小京都と言わ
   れる理由を歴史と文学の両面から紹介したいと思う。

ノブ:よくこんな遠いところを案内できるね。今日は早起きしたぜ。ここまで来るのに何
   回も電車を乗り換えた。遠かったな~。

ヒデ:古河と言えば花桃だよね。それが僕の持つ唯一の知識だ。何でも吸収して帰るよ。

三人は最初の訪問地「古河公方公園」へ向かいました。現在の公園の代名詞は何といって
も「花桃」でしょう。春には1500本の花桃が目を楽しませてくれます。一行は花桃林を歩
き始めました。「花の時期だったらね」と話しながら歩いていると石碑が見えてきました。

ヤス:古河公方とは、室町時代後期から戦国時代にかけて、下総(しもうさ)古河に5代、
   120年余続いた関東足利氏の総称だ。この公園はその拠点で、ここにある古河公方
   跡や徳源院跡が歴史を語っている。大河ドラマ「西郷どん」のロケも行われ、ユネ
   スコのメリナ・メルクーリ国際賞を受賞した名園でもあるんだよ。

ノブ:5代続いた古河公方たちが文化の礎を築いたというわけだ。城がないのが残念だ。

ヒデ:でも、こうして史跡が残され、白壁の旧中山家や厩(うまや)のある旧飛田家が移
   築されていて、常陸地方の生活を感じることができるし、広い桃林と茶摘みも行わ
   れる茶畑もあって、ここの風土を育んだ大切な場所であることが分かるよ。

一行は街中に移動し、小京都と言われる歴史と文学に関する史跡・名所めぐりを始めました。

ヤス:鷹見泉石記念館だよ。建物は下総国古河藩の武家屋敷の一つだ。泉石は 江戸後期の
   家老で、藩主が大坂城代の時、大塩平八郎の乱を平定。藩主の老中就任とともに中央
   政界でも活躍。隠居後は蘭学・露語を学び、「和蘭国全図」を著すなど地理研究でも
   知られている。渡辺崋山の描いた「鷹見泉石像(東京国立博物館蔵)」は国宝だ。

ノブ:ペリー来航の際には開国通商を幕府に提言したとあるから革新的な人だったんだね。

ヤス:次は古河文学館で、平成10年開館の大正ロマン漂う洋館だ。古河出身の歴史小説家で
   直木賞作家の「永井路子」の他、古河ゆかりの作家、そして児童文学史に足跡を残し
   た絵雑誌「コドモノクニ」の資料などが展示されている。

ヒデ:永井路子さんの作品では「北条政子」かな。男尊女卑の時代にあって影に追いやられ
   ていた女性に焦点を当てた小説を多く描いている人だね。

ノブ:古河からは署名な人が出ているんだね。サロンで1930年イギリス製蓄音機を竹針で聞
   かせてもらったけど、SPレコード独特のやわらかい音色が印象的だった。

ヤス:ここが古河歴史博物館だ。古河城出城跡に開館した。鷹見泉石は政治の中枢にいた藩
   主の補佐と言う立場から当時の重要な事件の資料を収集している。これらは国の重要
   文化財だ。その他に泉石の収集した蘭学資料、古代から近代の古河の歴史概観、そし
   て古河ゆかりの文人たちが紹介されている。

ヒデ:ここにはロシア漂流民・大黒屋光太夫に間宮林蔵、そして大塩平八郎に渡辺崋山など
   広範な関連資料がすごいね。なぜ、この街が城主より家老の業績を取り上げているの
   か分かったよ。泉石の中央政界での役割と資料収集そして保存の力にあるんだね。
   知らなかったけど、古河が輩出した偉人・鷹見泉石を覚えたよ。

ノブ:ホールにあったオランダ製のストリート・オルガンでは異国の音色が楽しめたね。

ヤス:歴史博物館周辺は美観保存地区になっていて、しっとりとしたたたずまいが魅力的な
   場所になっている。それでは、ちょっと変わった日本で初めての篆刻(てんこく)専
   門の美術館を紹介する。この建物は大正9年建造の石蔵を改修しているんだ。篆刻とは
   書道芸術の一つで、篆書という古文字をやわらかい石に刻んで紙に押して鑑賞するも
   のだね。今でも押印として使われている。ここには古河出身の篆刻家・生井子華の遺
   作を中心に展示されているんだ。ここに美術館があるのは篆刻の魅力を市民に広めた
   いとの思いがあるそうだ。隣に街角美術館もあるから寄って行こう。

ノブ:先輩から篆刻作品を貰っていて、趣味のスケッチ絵に使っている。篆刻美術館という
   のがあるんだね。文化を大切にする小京都にふさわしい美術館だと思う。

ヤス:ここは永井路子旧宅だ。幼少時代を過ごした江戸末期の建物で、幼少期から青春時代
   の写真の他、経歴を紹介するパネルや作品が展示されている。古河を代表する文人だ。

一行は江戸時代の徳川家ゆかりの寺院もめぐりました。

ヤス:ここは正定院だ。古河城主で江戸時代初期の大老・土井利勝が開基した土井家歴代の
   墓所だ。境内には4代家綱の生母・宝珠院の供養塔や古河七福神の一つ、弁財天が祀
   られている。

ノブ:家綱は3代家光の子だね。家光が没して11歳で将軍を継いだが、病弱で子がなくて
   徳川家康直系の将軍はここで途絶えたんだよ。

ヤス:さて隆岩寺だ。徳川初期の古河城主小笠原秀政が徳川信康の菩提のために開基した寺
   だ。信康とは徳川家康の最初の子供であり、織田信長の命により、母の築山御前とと
   もに命を奪われている。信康の長女が小笠原秀政に嫁いでいるからだろう。

ヒデ:当時の家康はこの過酷な命令を、甘んじて受け入れなければならなかったんだね。

一行は古河駅に戻りながら「最後の案内をする」という言葉に従って歩き始めました。

ヤス:これは「日光道中・古河宿道標」だ。ここは日光道と筑波道の分岐点で、ここに常夜
   灯形式の道標が建てられた。そして、最後になるけど古河駅前にあるのが「万葉歌碑」
   だ。古河市は万葉の時代において許我(こが)と表記され、渡良瀬川と利根川と別れ
   るところに位置している。当時は河川交通の要所であったことが、許我を詠んだ万葉
   集の二首で分かる。これで茨城の小京都・古河市の案内を終える。

ノブ:ありがとう。遠い場所なのによく案内してくれました。

ヒデ:十分な下見ができていたからだね。今度は我々が頑張る番だな。

「古河」という地名は万葉集の歌に詠まれるほど歴史のある地名です。特に足利茂氏をはじ
め五代の古河公方が120年間居城し東国の拠点となったこと。江戸時代には譜代の城下町、
そして日光街道の宿場町として発展してきたことが、現在の街づくりの礎となっているので
すね。





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最終更新日  2018.09.24 08:16:49
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