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カテゴリ:スピリチュアル
今朝、起きた時、周りは真っ白でした。
昨夜来の霰(あられ)と雪で、山も里も白一色。 こんな屋久島は初めて見ました。 庭が真っ白になるなんて初めてのことです。 昨夜は、断続的に霰が降っていました。 それも特大の霰で、1~1.5センチ程もありました。 そのうるさいこと、ものすごい音がします。 なにしろ氷の塊(かたまり)が天から落ちてくるわけですから。 それに加えて、一晩中、雷鳴が轟いていました。 おかげで、朝起きた時には停電状態。 停電すると、暖房機も、テレビも、電話も、そして、パソコンもアウトです。 そのうえ、瞬間湯沸器まで使えませんでした。 頼りになるのは携帯電話とラジオだけ。 ところが、その携帯電話も日頃使っていないので電池切れ寸前。 これには少し慌てました。 昨日、ホームワークを遅く提出された方があって、感想を書けませんでしたので、復習を兼ねて、もう一度コメントします。 ハイジさんは、 「すべて自分の周りに起きる現象は、私の気づきのためにある」 「今起きている現象は私に必要な経験。そのことに正直に真摯に向き合うことが今の私にはとっても大切」 「私もその人もお互いの気づきのために出会っているのだと思いながらも、高めあうことのできないジレンマに苦しむのもまた、悲しいカルマですね。。。」 袖すり合うも他生の縁。 確かに過去世の因縁があって、その解消のために出会っているということもありますよね。 また自分自身が気づくために起こしている現象というのもあるでしょう。 相手はお互いの鏡とも言います。 相手の中に見えているものは、自分の中にもあるもの。 確かにそういう場合が多いですね。 人は、この世に生まれてくる前に、この人生で体験することの青写真を描きます。 そして、そのために必要な環境を準備します。 時代、国や地域、両親、子供、兄弟姉妹、恋人や結婚相手、先輩や友人、能力、性格、肉体、今生発達させたい才能、出会いの時期・・・ いろいろなものを選び、設定し、準備万端整えて、この世に生まれてきます。 しかし、いったん肉体の中に入ってしまうと、準備してきたことを忘れてしまいます。 気がついたら、闇の中を手探りで歩く人生になっています。 そういう人生の中で、人は幼少期から青年期にかけて、過去世と同じようなことを繰り返します。 それによって過去世を再体験し、今生はそれをクリアーしようと試みるのです。 過去世でつくってしまった囚われや拘りや執着を、今生は解放しようと思っています。 ところが、また同じような罠にはまり、更に強く心の自由を奪われてしまう人も少なくありません。 自分自身を見つめ直し、自身の囚われや拘りや執着に気づこうとしない限り、それらのものは雪だるまのように増えていきます。 生まれてきた時よりも更に重たくなって、この世を去っていく人もあります。 もちろん、自分が設定してきたように、見事に解放されて自由になる人もいます。 すべては、自分に起きてくることを生かすか殺すかです。 「悲しいカルマ」と、捉えることはないかもしれませんよ。 カルマと言うと、避けることのできないものというイメージが強いのですが、自由になるチャンスと捉えれば、明るい未来が待っていますよね。 お互いに高め合えたら最高ですが、そこまでいかなくても、少なくとも自分の心の偏りに気づければいいですよね。 そうでないと、せっかくの出会いが、それこそもったいないですね。 相手の人に対する自分の心の反応をよーく見つめて、先ずは、はっきりと自覚することですよね。 自分の反応を変えようとするよりも、よくよく見つめて、自分の気持ちをわかることの方が重要です。 そして、自分の心の状態がはっきり自覚できたら、その状態と一緒にいて、更に深く感じてみる。 相手ではないのですね。 自分の状態が問題なんですね。 だから、静かに黙って自分の心と一緒にいてみる。 更に深く感じてみるんですね。 その時に大切なことは、自分を責めたり、自分を非難したり、自分を否定したりしないこと。 ただ、ありのままの自分自身と黙って一緒にいる。 そうすると、何かが変わり始めるんですよ。 何かに気づくかもしれない。 それは、自分の中にあった淋しさや悲しさかもしれない。 相手にわかってもらいたい気持ちかもしれないし、本当はお互いに心からわかり合いたかったのかもしれない。 そういう深い自分の気持ちに気づくことなのですよ。 そういうものに気づけたら、自然に行動が変わってくるのです。 無理に行動を変えようとしないで、先ずは自分の心の中を理解することですよね。 そうすれば、その結果として、自然に行動は変わります。 原因は行動にあるのではないのですね。 原因は心の方にある。 しかも、自分の心の方にね。 その原因に気づいた時、行動も自然に変わるのですよ。 それが最も大切なことではないでしょうか。 相手を変えようとしても、相手は変わらない。 自分を変えようとしても、自分も変わらない。 では、どうする? 自分の気持ちを聞いてみる。 自分の気持ちと一緒にいてみる。 自分の深い気持ちがよーくわかったら、すべてが変わり始める。 自分の気持ちが変わる。 自分の行動が変わる。 自分の相手に対する反応が変わる。 最後に、相手も変わる。 私達は過去世でカルマと呼ばれるような、様々な心の偏りをつくってしまっています。 それは心のパターンであり、心の癖であり、傾向であり、偏向でもあるのです。 そういうものが繭の中に詰まっているために、繭が曇っています。 そのため、一番奥の「ひとつ」の意識がスーッと前面まで出て来れないのです。 途中の偏光フィルターで、鈍く暗い光になってしまっている。 その目詰まりを掃除して、きれいにする必要があります。 きれいにする方法は? いろんな方法があるかもしれませんが、最も安全で確実なのは、自分自身を見るということです。 そして、自分自身に気づいていく。 自分自身を見ていく中で、気づくためのエネルギーが意識の中に流れ込みます。 やがて、そのエネルギーの流れはどんどん大きくなり、やがて、すっぽり大きな穴が開くでしょう。 意識の中に思考の領域ではない空間ができるのですね。 そうすると、更に大きなエネルギーが流れ込んできます。 そのうちに、意識の中心が思考=「私」から、思考を超えた気づきのエネルギーの方へシフトしていきます。 もう自我ではなく、別の次元の意識で生きることになるのです。 それが人類がこれから向かう方向です。 アセンションの流れです。 繭というフィルターの目詰まりを一つ一つきれいにしていくには、時間がかかります。 すべての目詰まりをきれいにしようと思ったら、それこそ一生かかっても足りないかもしれません。 なにしろ膨大な過去世があるわけですから。 一つ一つ気づいてクリアーしていくのは、まだ時間の領域です。 すべての目詰まりをきれいにしようと思ったら、時間の領域から外に出ることはできません。 シフトは、非時間の領域です。 時間はかかりません。 まだ目詰まりが残っていても、シフトは起きます。 意識のフォーカスが自我から自我を超えたものに移った瞬間、シフトします。 意識のフォーカスは、どの次元にでも可能です。 シフトが起きても、まだ繭の曇りは残っています。 それらの曇りは、出てきた時に、その都度、クリアーにしていけばいいだけです。 曇りにも囚われる必要はないのです。 意識は即座に深いところにフォーカスして、意識の曇りは、それが出てきた時に、気づいて手放せばいいだけです。 時間は必要ありません。 瞬間瞬間です。 cellist.mayumi♪さんが体験したことは、心のリアクションに巻き込まれなかったということでしょうか。 そのこと自体はすばらしいのですが、その前にいくつか気になるところがあります。 「ある人の言動が、私の胸にグサリと突き刺さりました」 「私のことを悪く言っているんだとわかった」 「言った本人に、直接確かめる余裕はなかったので、私の思い込みかもしれないけど」 「私の体は固まり、時が止まったようで、頭はぼんやり、からっぼになったようだった」 「胸の奥に衝撃を感じた」 もしそれが思い込みであったら、グサリと突き刺さることも、悪く言っているということも、体は固まり・・・からっぽになったようだったということも、胸の奥に衝撃を感じることも、必要なかったわけですよね。 先ず出発点が、思い込みか事実かを確認する必要があるのではありませんか。 事実でなければ、その後のことは何も必要なかったわけですから。 すべてが思い込みということになります。 常に事実と共に生きるように心がけた方がいいですよね。 「『私は過去世で、この人に同じようなことをしたんだ』『同じような思いをさせてしまったんだなあ』 とそのまま、受け止めることが出来ました」 そのまま受け止めることが出来ました、とは? 反論しなかったということですか? でも、相手が言ったことを、そのままは受け止めてはいませんよね。 同じようなことをした、同じような思いをさせてしまった、と解釈して受け止めていますね。 ありのまま受け止めるということは、事実をそのまま受け止めるということです。 事実を解釈して受け止めたら、それはありのままではありません。 解釈して、自分で納得しているだけかもしれません。 「そのまま、冷静に仕事を続けて。。。でもやっぱり、心は乱れています。が、そのうち 消えました」 心が乱れても、冷静に仕事が続けられたのは立派ですね。 でも、もし思い込みだったら、心が乱れる必要もなかったわけです。 一般的には、事実よりも思い込みの方が心を乱します。 事実と共に生きようと心がけていると、あまり心は乱れないものですよ。 「最近、ある方から因果のお話を聴きました。過去世で、自分の引き起こした悪い行いを 今 きれいに消すために いろんなことが起きるのだと。原因は、私にあるということ。相手が悪いのではないこと。相手が悪いように見えるけど、本当の原因は自分にあった。それをひとつひとつきれいに消していく。自分が実際に体験してみると、よくわかりますね。 実感しました」 現象が消えたということですよね。 原因は消えましたか? 因果の果が一つ現れて消えた、ということですよね。 果に反応しなかったので、素直に消えていきました。 それはそれでいいのかもしれませんが、それだけではもったいないかな。 自分の心の中を深く見ることは為されていませんね。 ただ心が乱れていたことに気づいていただけです。 それでも悪くはないのですが、どうして心が乱れるのか感じてみるということも可能ですよね。 心の癖、心のパターン、心の偏りに気づくことはできましたか? 自分の囚われや拘りや執着に気づくことはできましたか? できなくてもいいのですが、気づくことも可能です。 「自分の引き起こした悪い行い」とありますが、 本当に悪いのかな? 良い悪いは、時代や国によって異なります。 良い悪いは相対的な価値観なんですね。 仇討ちは江戸時代は美徳でしたが、今では殺人罪です。 良い悪いで判断するよりも、自分の心の偏り、頑なさ、不自由さで見てみたらいかがでしょうか。 しなやかな柔軟な心か、それとも、頑なで固まった心か。 軽やかで明るい心か、それとも、重たくて暗い心か。 価値観で判断すると、自他を裁くということになりやすいので、気をつけましょう。 cellist.mayumi♪さんの場合は、常に最初の思い込みに注意した方がいいかもしれませんね。 すべては、最初の思い込みから次々と連鎖していくのですから。 最初の思い込みが外れたら、後のものは起きないのですから。 気づいて、気づいたことにもこだわらないで、また気づいて、瞬間瞬間生きていく・・・ 以上が、64日目の心境です。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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