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カテゴリ:スピリチュアル
愛子岳の頂上の雪が真っ白に輝いています。
山のところどころに残った雪がきれいです。 でも、天気は回復傾向なので、じきに消えるでしょう。 今日の屋久島はおだやかな天気です。 昨日は大雪や停電や来客で、なんとなく忙しい一日でした。 午前中は霰(あられ)も吹き荒れ、通りかかった知り合いが危険を感じて避難に寄ったくらいです。 パトカーや救急車のサイレンも聞こえていました。 スリップ事故? なにしろめずらしい屋久島でした。 今日は、いただいたコメントに対する感想を書きます。 先ずハイジさんのコメントで感じたことは、 「私の過去世ってどんなんだろう? アセンションしたらそれも見に行けるのかしら? とっても見てみたいです。。。」 アセンションしたら見れるというよりも、そういうこだわりが外れないとアセンションできない、という感じでしょうか。 何回も何回も輪廻転生してきた結果が、今のあなたです。 それは、今生の過去の結果が、今のあなたであるのと同じです。 ですから、今のあなたの中にすべての過去世が入っています。 もしあなたが自分の過去世を見たいのなら、今の自分をご覧になれば、それがあなたの過去世の集大成です。 すばらしい思い出もあるでしょう。 二度と思い出したくない記憶もあるかもしれません。 あなたの過去世も同じようなものです。 人は過去世の課題を持って今生に生まれてきます。 最初は同じように再体験するものです。 時代や場所は違っていますが、本質的には同じようなものなのです。 ですから、今生は過去世のダイジェスト版とも言えます。 だから、今生の課題をクリアーできたら、過去世でつくってしまった様々な心の偏りも同時にクリアーされるのです。 大切なのは過去世ではなくて、今生です。 過去世は終わったこと。 今生は、過去世や未来世をも含めて変えることのできる、可能性に満ちたところです。 これまでの自分の人生を振り返って、いろいろなこだわりや囚われや執着に気づいてみるのもいいかもしれません。 なに? もう思い出せない? 心配ご無用。 忘れてしまった人も、そういう時間がない人も、心配はいりません。 あなたの潜在意識の中に、それらのものはしっかりキープされています。 だから、これから生きていく中で、様々な機会に必ず出てくるでしょう。 人間関係や出来事を縁に、あなたの中に潜在していたものが自然に出てくるのです。 こだわりや囚われや執着や心の偏りが出てきた時に、それらのものに気づいて、手離せばいいだけです。 こだわりや囚われや執着や心の偏りにも、気づくことにも、手離すことにも、囚われないで、ただ出てきた時に手離せばいいだけです。 ぜんぶきれいにするのには時間がかかるとか思わないで、ただその場で出てきたものに気づいていけばいいだけです。 先のことをあれこれ考えないで、今の目の前のことに気づきましょう。 何ものにもこだわらないで、今、透明な意識で生きればいいのです。 それが時間を超えた生き方なのです。 それが時間をかけないで、時間を超える生き方なのですね。 今、この場で、即、時間をかけないで、白紙で生きるだけです。 どこにも時間の存在しない永遠の今を、今、生きればいいだけです。 cellist.mayumi♪さんのコメントは、 「思い込みを外して、事実と共に、自分の深~い気持ちを受け止めて生きていきます」 まさにそのように生きてくださいね。 昨日、書き忘れたことがありました。 「そのうちに私のことを悪く言っているんだとわかった」 この「悪く言っている」という捉え方、これは事実でしょうか? 悪くというのは、主観的な受け止め方ですよね。 事実ではない。 良い悪いは個人差があります。 言っている本人は悪気はなくても、聞いている人は悪く取ることもあります。 先ずありのままの言葉を聞いた方がいいのかもしれませんね。 良い悪いの判断をしないで、ただ事実のみを受け取る。 そうすれば、「私の胸にグサリと突き刺さりました」「私の体は固まり、時が止まったようで、頭はぼんやり、からっぼになったようだった」「胸の奥に衝撃を感じた」というようなことは起きなかったかもしれませんね。 最初に悪く言っていると捉えてしまったために、後のすべてのことが派生してしまったのではないでしょうか。 最初の捉え方がいかに大事か。 最初の一歩が、その後のすべてを決めるのですね。 悪口と捉えること自体が、既にリアクションかもしれない。 自分を守ろうとする悲しい反応かもしれませんよ。 判断をしないで、ただ事実とだけ一緒にいるということは、かなりの注意力を要します。 つい、いつもの癖で、すぐ判断してしまいます。 そうすることによって、自分を納得させ、安心しようとするのですね。 ほぼ自動的に自分を守ろうとします。 そういう判断や反応が出てきた時に、それに気づけるでしょうか。 最初の一歩、最初の認識が問題なのです。 ただ事実だけを受け止める。 判断なしで、事実とのみ生きる。 それができるでしょうか・・・ それができるようになると、人生は変わり始めます。 人は、自分の価値判断によって自分を苦しめているのです。 価値判断がなければ、こんなに苦しむことはないのですよ。 事実と共に生きましょう。 えっちゃんのコメントは、 「私は、最近とても、穏やかになってきています。以前のように職場の人に、いちいちムキになったりせずに、少しは素直に対応できるようになって来ました。とてもうれしいです。でも、瞬間の世界は最後まで分からないのではないかと思ってしまいます。今日も説明だらけのコメントです」 「色んな混乱があって、だからこそ気付きがあるとすれば、私の思考の混乱も、気付きのチャンスなのだろうか。 せめて、この暗闇は抜け出る事の出来るトンネルであってほしいものです」 えっちゃんも、最初の受け止め方に注意すると、更に毎日が変わってくるでしょう。 難しいことはわからなくてもいいのです。 大切なのは、日々の実践なのですから。 日々の実践の中で、人は本当に変わります。 えっちゃんも、だいぶクリアーになってきていますよね。 でも、まだ思考の空回りも見られますね。 あまり頭で考えないで、自分自身の反応に注意していましょう。 どういう捉え方をするか、どういう価値判断をしているか。 日々、事実と共に生きているか、それとも価値判断と共に生きているか。 もちろん、批判は価値判断から生まれますよね。 価値判断は事実認識の問題です。 事実をいかにそのまま認識するか。 一切の価値判断を入れないで事実認識ができるか。 どうぞトライしてみてください。 そして、その結果をまたカキコしてくださいね。 暗闇は光のためにのみ存在します。 暗闇のために暗闇は必要ないのです。 それだったら、ただの真っ暗。 ただただ、光を認識するために暗闇があるのですよ。 通り抜けることのできないトンネルは存在しません。 気づくことのできない混乱もありません。 瞬間の世界は、まだえっちゃんの中に大切にしまってあるだけです。 やがて玉子の殻が割れ、可愛い雛が顔を出すことでしょう。 金子譲@子龍さんのコメントは、 > 地球を離れる人もあれば、五次元よりも更に高い次元へ行く人もいるでしょう。 > それは落ちこぼれではなくて、各自の選択です。 「ここが一番知りたかったポイントなのですが、意図して精進していれば必ず行けると思っていていいんでしょうか?意図したけど力及ばず落ちこぼれることはない、と。入学試験のようにふるいにかけられるわけではないのですね?」 誰がふるいにかけるのでしょうか? 最後の審判は誰がするのですか? 閻魔大王? まさか? 主観的に言えば、自分で決める自分の人生です。 客観的に言えば、波動が同調するところへ人は行くだけです。 別に誰かが決めるわけではありません。 あなたの人生を他の誰かが決める? そんなこと許せますか? ノー! みんながそう思うでしょう。 自分の人生は自分が決めるのですよ。 あなたが明確に意図すれば、自分で決めれば、そのとおりになるでしょう。 それ以外にあなたの人生を決めるものはありません。 どうぞご安心ください。 誰も責任は取ってくれませんから。 自分の人生の責任は自分が取るしかないのです。 誰のせいにもできません。 自分で決めるのです。 やちよちゃんのコメントは、 「遅くなりましたが、kimiさん、本当にありがとうございます。私の不安定さを支えて下さる光を感じています。実は...いつも私に声をかけて下さる仲間のみなさんも自分の事のように喜んで下さいました。kimiさんの周りに集まってくる人々は、なんと素晴らしい方々なんでしょう♪あっそうかkimiさんが選んだ方々だからかな?美女ばかりですものね?」 まだ見知らぬ方も多いので、美女ばかりだと思い込むことにしましょう。 でも、自分が選んだ覚えはないんだけど? では、どうして集まったのか? それはkimiさんの高潔な人柄に惹かれ、類は友を呼ぶという法則に従って、人格高潔な人ばかりが集まったのですよ。 どうして、そこでクシャミするの? なに? ポジティブすぎる? 確かに。 では、こう改めよう。 過去世の腐れ縁によってカルマの鎖に絡(から)め取られ、お互いに必殺ほめ殺しの裏技を駆使して、誰かが先にアセンションするのを阻止するために集まってきた。 なに? ネガティブすぎる? では、調和をめざして切り札を出そう。 アセンションが迫ったこの時期に、過去世の縁(えにし)によって、お互いに切磋琢磨して、本来の自分自身に目覚めるために、ここに集っている。 なに? 気に入った? 繭の目詰まりは、生きていれば、いろんな機会に反応として出てくる。 それが出た時に、気づいて、外せばいい。 また出てきたら、また気づいて、外せばいい。 繭の目詰まりにも、気づくことにも、何にもこだわる必要はない。 繭の目詰まりに気づくことも大切だけれども、 それ以上に大切なのは、 気づける状態でいること。 いつも透明な意識でいること。 それに尽きる。 意識は限りなく透き通っていく。 いくつもの繭を貫いて、一番奥の「ひとつ」のところまで浸透していく。 一番奥までたどり着くと、 一番奥の「ひとつ」の意識と、 透き通っていった意識はひとつだった。 過去も、現在も、未来も、 瞬間も、永遠も、 すべてが消え去り、 すべてはひとつだった。 始まりも終わりもなく、 時間も非時間もなく、 色も空もなく、 すべてはひとつだった。 二つに分かれる前は、 すべてはひとつだった。 主体も客体もなく、 主観も客観もなく、 すべてはひとつだった。 物質も生命もなく、 星々も空間もなく、 すべてはひとつだった。 ただひとつだけが存在していた。 あなたの内に分離がある。 私は正しい、君は間違っている。 あなたの頭の中に分離が見える。 二つに分かれて争っている。 あなたの外に分離があるのではなく、 分離はあなたの内にある。 あなたの内にあるものが、 あなたの外に投影されているだけだ。 分離はあなたの内にある。 目をつぶれば、何の分離もない。 目を開ければ、分離だらけだ。 分離している世界を、分離していない意識で統合する。 その時、分離は統合された分離となる。 「ひとつ」のものの万華鏡の世界となる。 分離したものが、分離したままでは、混乱だ。 分離したものが統合されて、初めて秩序が生まれる。 分離したものを統合するのは、「ひとつ」の意識だ。 分離したすべての中に浸透している「ひとつ」の意識だ。 一人一人が「ひとつ」の存在に気づく時、 分離は消え、ひとつに統合される。 分離したままで統合されている。 これが65日目の心境です。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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