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カテゴリ:スピリチュアル
今日の屋久島は、雨の予報が外れて曇。
朝方の強風も止み、今はとても静か。 アセンションについて書きます。 アセンション=次元上昇があるということは、当然、その逆のディセンション=次元下降というのもあるわけです。 「ひとつ」から始まったものが、二つに分かれ、更にどんどん別れていく・・・ それに伴って、波動が下がり、新しい次元が生まれる。 やがて、三次元の物質地球ができた。 そして、時が満ち、三次元と四次元の地球が終わろうとしている。 地球のディセンションが終了し、地球のアセンションが始まろうとしている。 これまで地球の次元がどんどん増えてきたのが、これからどんどん減ろうとしている。 やがて、また「ひとつ」へ戻っていく・・・ それは宇宙の流れ。 宇宙のドラマ。 人智では計り知れない世界。 人の意識は同心円でできている。 一番中心に三次元の意識がある。 その周りに四次元、その周りに五次元、その周りに六次元・・・ ずーっと意識が同心円上に層をなしている。 それは器であり、繭でもある。 一番外側は、もう円ではない。 無限だ。 「ひとつ」の世界。 一番中心の三次元の意識には、四次元以降の意識が重なっている。 つまり、三次元の意識には、それ以上のすべての意識が浸透しているということ。 三次元の意識の中に、すべての次元の意識も同時に含まれている。 今、地球人の意識の中から三次元と四次元の意識が消えようとしている。 三次元と四次元の意識が消えても、その人自身に変わりはない。 ただ、三次元と四次元の意識を失うだけ。 同心円の中心が、三次元から五次元の円に変わるということ。 今の自分自身の中に、すべての次元の意識も同時に存在している。 但し、どの次元まで意識化されているかは個人差がある。 どの次元のエネルギーがその人から流れ出ているかは、人によってまったく異なる。 同じ人でも、その時、その場所によっても異なってくる。 同じ人の中に、三次元、四次元のみの意識と、五次元以降の意識が同居している。 例えば、怒り、憎しみ、恨み、妬み、恐れ、執着、苦しみ、病、死、欲求不満、叱責、争い、暴力、私利私欲、エゴ・・・ これらのものは、三次元・四次元専用の意識だろう。 五次元以降にもあるとは思えない。 一方、五次元以降にもあるものは、愛、優しさ、思いやり、慈悲、楽しさ、美、調和、科学・・・ 要するに、明るく軽いもの。 つまり、ポジティブなもの。 逆に、三次元・四次元オンリーは、暗く重たいもの。 つまり、ネガティブなもの。 三次元・四次元は光と闇の世界。 闇によって光を際立たせるところ。 真っ暗闇の中で、手探りで愛を確かめるところ。 不自由な肉体の中で、自由を求めるところ。 時間の中で、永遠を探すところ。 闇の中で闇に溺れてしまう人もあれば、闇の中で光を発見する人もいる。 三次元・四次元は、光と闇のドラマの世界。 人類がこれまで堪能してきた宇宙。 ディセンションの終着駅。 アセンションの始発駅。 もし、ある人の三次元のパーソナリティ=人格が、ネガティブなものだけでできていたとしたら・・・ 自己中心で自分のことしか考えず、自分さえよければいいという生き方をしていたとしたら・・・ 当然、そのパーソナリティは五次元以降には行けないことになる。 五次元以上の意識がぜんぜん含まれていないのだから、地球がアセンションする時、三次元と四次元がなくなる時、そのパーソナリティは消滅するしかない。 少なくとも、地球上では存在できない。 他の三次元や四次元の星へ行くか、消滅か・・・ それを決めるのは、同じ人の五次元以上の意識。 魂とかハイアーセルフとか呼ばれるもの。 別に他の誰かが決めるわけではない。 もし、ある人の三次元のパーソナリティがポジティブなものだけであったとしたら・・・ その人の中に三次元・四次元的な意識がほとんどなかったとしたら・・・ 自己中心的ではなく、愛の人であったとしたら・・・ 当然、その人は五次元にアセンションしても、そのままのパーソナリティで存在し続けるだろう。 何も抜け落ちる意識はない。 だから、三次元にいた時とほとんど変わらない。 その人にとっては、アセンションは何ら影響がないに等しい。 これは両極端の例である。 大多数の人は、この中間に位置している。 三次元・四次元的なものもあり、五次元以降の意識も持っている。 五次元以降の意識は、アセンション後も継続する。 三次元・四次元的な意識は抜け落ちる。 基本的には、その人の今の意識の波動が五次元以上になっていなければ、地球と一緒にアセンションすることはできない。 三次元・四次元の波動では、アセンションした地球上では存在できない。 要は、今の意識の状態にかかっている。 今の意識の波動が五次元以上であれば、地球が五次元にアセンションしても、意識は継続する。 今の意識の波動が三次元・四次元のものであれば、地球が五次元にアセンションした時には、意識は継続できない。 今の意識は途絶える。 もちろん、今の意識は途絶えても、五次元以上の意識は存続している。 だから、存在そのものが消滅するわけではない。 今の意識が継続しないだけ。 要は、今、何次元の波動で生きているかということ。 自分の中にある三次元・四次元的な波動を手離して、五次元以降の波動と共に生きる。 自分の中の重たいもの、暗いものを手離して、明るく軽やかに生きる。 自分の中のネガティブなものを手離して、ポジティブに生きる。 これまで、さんざん通信講座でやってきたことばかり・・・ ハー、やはりあれはアセンション準備講座だった? 別にアセンションの準備のために通信講座をやっていたわけではない。 自由に生きるために、開講していただけ。 自由に生きることが、結果的にアセンションにもつながるということ。 たぶん、自由に生きることは、アセンションにとどまらず、アセンションをも超えていくだろう。 無限に続く道だ。 自由とは、無限の別名でもあるのだから。 日本は八百万(やおよろず)の神々の世界。 「ひとつ」から神々が生まれ、その神々から、また子神が生まれ・・・神々の末裔として人間が生まれ・・・今の私達になっている。 「ひとつ」が神々を創造し、神々がまた子神を創造し、子神が人間を創造し・・・ もちろん、「ひとつ」は神々や人間だけでなく、森羅万象を創造した。 しかし、「ひとつ」がすべて直接創造したわけではない。 八百万の神々が、それぞれ手分けして創造したのだ。 役割分担、つまり、それがそれぞれの神の命(みこと)=使命だ。 無数の花々や動植物も、みんな神々の役割分担における創造物だ。 地球もある神様が創ったものだろう。 今も創造活動は休みなく続いている。 私達人間も、その末端を担って、なにがしかの創造をしている。 宇宙はすべからく創造世界。 無限の創造世界。 創っては壊し、壊しては創り・・・ 創造神と破壊神との根比べ? 破壊、風化も宇宙のシステムの一つ。 元々無常のもの。 刻々の創造があるのみ。 そういう意味では、アセンションというのも比較、時間の世界の出来事。 刻々、瞬間瞬間であれば、アセンションもディセンションもない。 ただ、刻々の今があるだけ。 永遠の今が続くだけ。 だから、あまりアセンションにとらわれることもない。 アセンションにとらわれると、アセンションし損なう。 なぜ? アセンションにとらわれる意識は、取り残されるのを怖がる意識。 あるいは「私」にこだわる意識。 いずれも五次元の波動には程遠い。 やはり、通信講座で学んだところに戻ってしまう。 アセンションがあろうとなかろうと、今ここで、真剣に生きるしかない。 アセンションのことは、まったく無視してもいい。 今ここで、瞬々刻々生きれたら、自然にアセンションするだろう。 いや、既に三次元にいながら意識はアセンションしているに違いない。 アセンションのことは無視した方がいいかもしれない。 そんなことを考える暇があったら、今を真剣に生きた方がいいだろう。 That's all. それがすべて。 それが永遠の真理。 いつ、いかなる時も、いかなる次元でも通用する真理。 今を、永遠の今を真剣に生きる。 それ以上のことはないでしょう。 三次元においても真理。 四次元以降の世界においても真理。 きわめてシンプル。 突拍子もないものは出てこない。 秘伝はないのだ。 通常の当たり前のこと。 今を真剣に生きる。 未来のアセンションのことなど気にすることはない。 今、目の前のことを真剣にやればいいのだ。 刻々、瞬々に生きる。 永遠の今を生きる。 That's all. それが75日目の心境です。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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