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カテゴリ:スピリチュアル
(119日目-1よりの続き)
わかりにくくてごめんなさい、うまく説明できないのですが、 自分には価値があると信じたいが為、確認したいが為に、 無価値である(と感じられる)ことに対して傷つく、という状態を作り出していたのかもしれないな‥、とも感じました。 そしてこれは思い込みでもあったのだ、と気付きました。」 yukiさんも、否定されたと感じた時や受け入れられず疎外されたと思った時に、傷つくようですね。 その時、期待が失望に変わり、自分が無価値であるように感じるのですね。 そして、悲しみとショックでハートが縮こまり、自己憐憫でおおわれた状態になるのですね。 ここまでは他の人と同じですが、ここから先が少し違いますね。 本当に傷ついていたの? 幻想だった? 自己憐憫に浸るのが好きだっただけ? 可愛そうな私に酔いたかっただけ? そうして自己正当化していただけ? 傷つくとは、どういうことでしょうか。 人は本当に傷ついているのでしょうか。 それとも、それさえも思い込みなのでしょうか。 身体の傷は、明確ですね。 見てわかりますし、痛みもあります。 心の傷も痛みはあります。 でも、事実でしょうか。 傷つけられたのでしょうか。 それとも、傷ついたのでしょうか。 他の人に傷つけられたのでしょうか。 それとも、自分から傷ついたのでしょうか。 それとも、傷ついたと思い込んでいるのでしょうか。 すべては思い込みなのでしょうか。 心の中に傷ができるのは確かでしょう。 それが長年潜在意識の中にあることも確かでしょう。 下手をすると過去世からの傷とかもありますからね。 ということは、心の傷は事実でしょうか。 それは幻想や思い込みではなくて、厳然たる事実でしょうか。 心の傷が潜在意識にあることは事実ですが、傷そのものは事実ではありませんね。 それは思い込みでしょう。 傷があることは事実ですが、傷の中身は幻想です。 傷の中身は単なる思い込みです。 ということは、本当は傷もないのかもしれませんね。 傷ついたという思い込みが潜在意識の中にあるだけかもしれませんね。 そうです。 人は傷つかないのです。 ピカピカの光り輝くままなのです。 けっして傷ついたりはしないのです。 傷つくのは、ただの思い込み。 本当のあなたは傷つかないのです。 常にピカピカ。 最初から最後までピカピカ。 生まれたての赤ちゃんのように、いつも光り輝いているのです。 では、何が傷ついているのでしょうか。 何も傷ついてはいません。 傷ついたというイメージがあるだけです。 ショックを受けて自分は傷ついたという思い込みです。 自分が傷つくことによって、自分を弱者にしているのです。 可愛そうな被害者にすることによって、自己を正当化しているのです。 悪いのは相手で、自分は正しい。 自分は攻撃され否定されている可愛そうな弱者であり、被害者である。 これで自分を守っているのではないでしょうか。 弱者がいやな人は、相手を非難して、相手を悪者にすることによって自分を正当化します。 それが怒りです。 傷つくの逆は、怒り? いずれも自分のイメージが否定された時に出てきます。 自分の思い込みが攻撃されると、相手を反撃するか、反撃できそうになければ自分を弱者にして自分を守るのですね。 いずれも自分を守るための行動であることは共通しています。 戦うことがいやな人は、傷つくふりをして自分を守るのですね。 弱者や被害者になることによって、自分を守っているのです。 そういう意味では平和主義者ですね。 怒りにまかせて反撃する人は、好戦的なのでしょうか。 ところが、どっこい! 平和主義者が、相手が自分より弱いと見ると反撃したりするのですよ。 そう、自分の子供に対しては、どんな平和主義者も好戦的になります。 どこが平和主義者? そう、平和主義も好戦的も相対的なのですね。 相手次第で変わります。 yukiさんは自己憐憫が好きみたいですね。 以前の回答にも、そういうのがありましたね。 悲劇のヒロインを演じてみたいのかな? それは自分が認めてもらえないための、悲しい演技でしょうか。 それとも、自分の思うとおりにならないことへの裏返しでしょうか。 あるいは、他者を悪者にして自分を守るための苦肉の策でしょうか。 いずれにしても、yukiさんのこれまでのパターンということですね。 良いも悪いもなく、そういう生き方のパターンがあったということです。 それに気づけたら、別の生き方が始まることでしょう。 もう一人、回答を寄せた人がいましたね。 それは、えっちゃんです。 まだ十分な回答にはなっていないようですが、せっかくですので見てみましょう。 「外を見ないで、あなたを見よう・・・・・ 本当に、突き放すことなくずっと言い続けてくださった言葉。 甘えていました。 いつ、ホッポリ出されるだろうとビクビクしながら・・・。 見ないようにしていても、永年付き合ってきた自分です。 少しは、わかっている事があります。 とてもさびしがりで、わがままで、甘えたです。 小さな子供・・・・、心は、成長していないのです。 大人になりたくなかった? 大人になる、きっかけがなかった? 子供達に、母親らしく振舞っても、 世間に、一端の大人顔見せても、 薄皮むけば、駄々っ子の子供がいる・・・。 貴方がそうでしょ!って言い返したいような人に、 あんたは「千と千尋に出てくる顔無しだ」って言われた。 今、まさにそうかも知れないって思う。 すぐ調子に乗って図に乗り、ちょっと突付かれると シュンとなる。 あなたはどんな時に傷つきますか。 ・・・・突き放されて、さびしいと思った時。 ・・・・私を、私の気持ちを受け入れてもらえなかった時。 あなたは何に傷つきますか。 ・・・・そんな自分に。 あなたはどうして傷つくのですか。 ・・・自分のこころもとなさ、ふがいなさが口惜しくて・・・、さびしくて、・・・。 あなたの何が傷ついていますか。 ・・・プライド、我儘な心・・・。 いったい傷つくとは、どういうことですか、 ・・・依存心が、足元をすくわれること。 ・・我儘が、行き場を失くすこと・・・・。 ・・・・・・・答えになっているだろうか? 今回のホームワークに、見つめて出会える自分が間に合わない。」 多くの人の心の中に子供が住んでいます。 子供の頃に満たされなかった思いを持ったままの子供が。 そういう部分を持ちながら、みんな大人になっています。 ですから、大人の顔と子供の顔の両方を持っているのですね。 寛大な自分と我が儘な自分。 外面(そとづら)と内面(うちづら)。 建前と本音。 まあ、いろいろあるわけです。 ここでは、そういうものを全部ありのまま認めて、理解しようとしています。 見て見ぬふりをしないのですね。 見たくないものには蓋をして目を逸らしがちですが、そうすると、見てほしいと言って内なる子供が暴れ出すのですね。 いずれにしても、いつかは直視せざるを得ないのです。 自分自身をケアーしてあげることです。 ケアーしなかったら、いつまでも傷つきっぱなしです。 一番可愛そうなのは、あなた自身です。 さびしくて、つらくて、悲しいのですよ。 子供の部分も大人の部分も満たされていないのですから。 突き放されて、さびしいと思った時、自分の気持ちを受け入れてもらえなかった時、傷つくのですね。 そして、傷ついている心許なくて不甲斐ない自分を見て、また傷つくのですね。 傷ついているのは、プライドと我が儘な心。 依存心が足下をすくわれて、我が儘が行き場を失うのですね。 本当は自分の気持ちを受け入れてもらいたいのですね。 でも、受け入れてもらえないと、傷つく。 そんな自分を見て、また傷つく。 よほど傷つくのが好きなのですね。 傷つくことによって、何か良いことがあるのかな? 自分で自分を慰めているのですね。 自分の中に閉じ籠もっている子供ですね。 自閉症? そうやって自分を守っている? これ以上ひどい仕打ちを受けないように、しっかり傷ついている。 このくらい傷ついていれば、もう傷つけられることはないだろう。 こんなに弱い者を傷つけてはいけない。 被害者は守ってあげなければならない。 大切に、大切に保護してあげなければならない。 私は傷ついているのです、みなさん! みんなさん、私を見てください! こんなに傷ついているのですよ! 可愛そうでしょう! だから、これからは大事にしましょうね! みなさーん、わかってますか! ハイ、まさに悲劇のヒロインそのものです。 傷ついている暇があったら、自分自身を見つめた方がいいのかもしれませんね。 そうすれば、悲劇のヒロインや被害者のドラマを演じなくてもすみます。 弱者でも被害者でもなく、そういうレッテルのない、ありのままの自分でいられます。 思い込みというドラマ。 それこそが、まさに人間の悲喜劇。 人生そのものですね。 それがこれまでの人生でした。 これからは? あなたは、これまでどおりの人生がいいですか。 それとも、これまでのドラマにはもう飽きましたか。 もうそろそろ新しいドラマに取り掛かりたいですか。 それは思い込みがないというドラマですが・・・ さて、どうします? もう一人、ごめんなさいメールが届いていましたね。 それはcellist.mayumi♪さんです。 「いつも遅刻してばかりいる私なのですが、今回のホームワークは欠席します。 理由は、真剣に取り組んでいないからです。 自分の心を見つめるよりも、今の目の前のことや身の回りのことに焦点があっていて、ゆっくり自分のことを見つめていませんでした。 頭のすみではホームワークのことを気にかけながら、なかなかノートに書くまでいきません。 時間切れです。」 今回のワークは、cellist.mayumi♪さんのために出したのに・・・ なーんて、思ってはいませんけど。 でも、cellist.mayumi♪さんの投稿がきっかけで、このワークが生まれたのは事実ですね。 ということは、cellist.mayumi♪さんに一番やってほしかったワークということになりますが・・・ 日常生活が忙しくて、自分を見つめる時間がありませんでしたか・・・ でも、日常生活こそが最大の気づきの場なのです。 これ以上の教育現場はないのですよ。 というのは、いろんな人や事と関わらなければ、自分の中の思い込みは浮上してこないからです。 元々、そういう関係性の中でつくってきた思い込みです。 だから、そういう日常の中で自分を見ていく必要があるのですよ。 忙しい時にこそ自分を見つめていないと、思い込みや感情に振り回されてしまいます。 そういう意識があることが、とても大切なのですね。 ホームワークは、それを通して気づくこと自体も大切ですが、更に重要なことは、ホームワークを通して自分自身を見守る意識が育つことなのです。 それが何よりも貴重なのです。 個々の気づきよりも、気づくことのできる意識が育つことの方が重要です。 なぜなら、意識が育てば、後は自分でいくらでも気づけますから。 ここでやっていることは、そのきっかけでしかないのです。 だから、できるだけ忙しい時でも、自分を見つめるように心がけてください。 別に強制ではありませんが、一回参加しないと、それだけ遅れてしまいます。 もう二度と同じことはやりません。 どんどん先へ進んで行きます。 一期一会なのですよ。 機会を、チャンスを生かして使えるといいですね。 (やちよちゃんも聞いてるかい?) (119日目-3へ続く) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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