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カテゴリ:スピリチュアル
今日の屋久島は、静かな曇。
朝から花の撮影に行く。 雨上がりの湿気を含んだ空気の中で、朝露にあふれた植物たちが待っていた。 でも、激しい雨が続いたため、先日は咲いていた花が見当たらないものもあった。 逆に、新しく咲き出した花もあった。 ヤクシマシャクナゲが美しく咲いていた。 今年初めてのヤクシマシャクナゲ。 咲いたばかりの新鮮ないのちが、あわいピンクのエネルギーを発していた。 たろうくんからホームワークの復習が届いていました。 ちょっと検討してみましょう。 「私のホームワークの回答への、kimiさんからのコメントの中で、信頼と信用について、問いかけがありました。 問われて、なんだかすっきりと答えが見出せない私を感じ、 信頼と信用とは。。。というホームワークをしてみました。 私が相手を信頼する、信用すると思うときは、どういうときだろう。。。 相手が私と似た環境や性格・価値観。。。 そういったもので安心して、この人なら信用できる・信頼できると言う私の思い込みがはじまる。 そして、何か問題が目の前に起こった時に、初めて言動が違った! という場面になったときに、動揺する私がでてきます。 それは裏切られたわけではなく、信頼・信用という言葉だけに安心しきっていた私の思い込みが、事実を見つめることをしていなかったように思います。 今まで、ホームワークに取り組み、私を見つめ、気づいていく中で、 今この瞬間を生きる。。。を感じるとき、 信用する・信頼するという意識はあまりないかな。。。と、思いはじめました。 自分を見つめ、気づき手離してあげるように、相手の全ても見守り抱きしめると感じると、 だんだんと、信用・信頼の言葉ですっきりしなかった私は、どこかへ行っていました。 言葉足らずで、何を伝えたいのか、またきちんと伝えきれてない所もあるかもしれません。」 私達は普通、相手とのこれまでの経験で、その人を信頼し信用するかどうかを決めています。 つまり、過去のデータで未来を決めているのです。 ところが、人は変わります。 人だけでなく、周りの状況も変化します。 すべてが変化する中で、過去のデータで生きるのは無理があります。 そのため、相手が過去のデータと異なる言動や行動をする時、裏切られたと感じることが起きてきます。 しかし、それは相手が裏切った訳ではなく、こちらの思い込みが裏切られただけです。 こちらはあくまで過去のデータで、今の相手を見ているのです。 しかし、目の前の相手は過去のままではありません。 過去のデータで未来を縛る時、矛盾が生じてきます。 そこから、裏切った・裏切らないという諍(いさか)いも発生します。 今この瞬間を生きる時、確かに、たろうくんが言うとおり、信頼し信用するという感覚はないかもしれません。 ただ目の前の相手と一緒にいるだけです。 過去の相手ではなく、今の相手と一緒にいるのです。 思い込みやイメージではなく、今の生きているその人と共にいるのです。 その時、相手のすべてを見守り抱きしめる感じで一緒にいられたら、もう信頼し信用する必要もないでしょう。 なぜなら、そこには信頼や信用よりも遙かにリアリティのある、目の前の相手への包み込むような愛があるからです。 信頼や信用というのは、かなり観念的なものです。 そのため、どうしても思い込みになりがちです。 でも、思い込みは過去ですから、必ず今と矛盾が生じます。 大切なのは、今に生きること。 過去の思い込みを外し、今を白紙で生きること。 その時にだけ、信頼や信用を必要としない真の交流が芽生える可能性があります。 それまでは、もしかしたら過去のイメージと付き合っているだけかもしれません。 実際には存在しない幽霊と付き合っているのかもしれません。 今、目の前にいる人だけが実在です。 過去の思い込みは、自分の中だけに存在する亡霊に他なりません。 リアリティに生きないと、亡霊と共に生きることになります。 あなたは亡霊と一生を過ごしたいですか。 もちろん、そんな人は誰もいないでしょう。 今を白紙で生きることだけが、真に生きることに通じます。 思い込みに生きる限り、幻想の人生です。 両者は目から鱗が落ちるほど異なります。 リアリティの中でリアリティを生きる。 リアリティを生きることだけが真の人生です。 これが122日目の心境です。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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